第三章:要塞の揺りかご [第二十八話] 砕かれた境界線
地下一階、市民ロビー。
段ボールの壁に囲まれた狭い空間、埃の舞う正午の光が窓の高い位置から差し込んでいた。
最初に目を覚ました恭二が身体を伸ばすと、節々が悲鳴を上げた。
「……ん……。もう、こんな時間か」
その声に重なるように、仲間たちが次々と身を起こす。
学校を脱出して以来、初めて深い眠りにつけたのだ。
「……十二時を回ってる。私たち、よっぽど疲れてたんだね」
奈々がスマートフォンの時計を見て呟いた。
隣では桜がまだ眠たそうに目をこすり、康二と暦は枕元の資料の無事を確認している。
沙耶は、壁に背を預けた座った姿勢のまま、静かに目を開けた。
彼女だけは、眠っている間もナイフの柄から手を離していなかった。
「……みんな、ちょっと集まってくれ」
恭二が一同を見回した。
その顔つきは、ただの逃亡者から、この「要塞」で生き抜こうとするリーダーのそれに変わっていた。
「俺たちはここに保護されたけど、ただの居候で終わるつもりはない。自衛隊の山口一曹も言ってた。
ここは数千人の避難民を抱えて、物資も限界だ。……『何もしない奴』から順に、居場所がなくなる」
恭二は、小林先生から聞いていた市役所の現状を整理した。
現在は原田部長をトップとする行政組織と、山口一曹率いる自衛隊、
そして実務を取り仕切る総務課の田辺亜希子の三者が、危ういバランスで秩序を保っている。
「だから、自分から役割を貰いに行く。奈々は救護所、桜は炊き出し。康二と暦さんは資料の秘匿と解析。……そして、俺と正人は自衛隊の訓練に参加させてもらう。……いいか?」
「……異議なし」
沙耶が短く答え、全員が力強く頷いた。
【救護所にて】
奈々は、ロビー横の会議室を改造した簡易救護所を訪れた。
そこには、不眠不休で治療を続ける医師・加納と、自衛隊の衛生曹長・青山の姿があった。
「あの……。私、工藤奈々と言います。看護師を目指していました。何か、手伝えることはありませんか?」
加納は血の滲んだ白衣のまま、鋭い目で奈々を見た。
「お嬢ちゃん、ここは学校の保健室じゃないんだ。凄惨な現場に耐えられるのか?」
「……学校で、友達の最期を看取りました」
奈々の真っ直ぐな瞳に、青山が助け舟を出した。
「先生、彼女のグループはここまでの道中、負傷者を出さずに辿り着いています。……素質はあるかと」
「……ふん。いいだろう、まずは包帯の洗濯と整理からだ。逃げ出すなら今のうちだぞ」
厳しい言葉だったが、奈々は「はい!」と力強く返事をした。
【炊き出し現場にて】
一方、桜は一階の食堂へと向かった。
そこでは、避難民の女性たちを束ねる「食堂のボス」のような大柄な女性が、
巨大な鍋をかき回していた。
「あの! お手伝いさせてください! お掃除でも、お裁縫でも、何でもやります!」
桜の愛らしい笑顔に、女性は手を止めた。
「あんた、中学生かい? 自分のことで精一杯な時期だろうに」
「私にできることで、みんなを元気にしたいんです!」
桜は、避難民から聞いた「ボタンが取れて困っている人が多い」という情報を早速伝え、
即席の「お直し屋」を提案した。
「……面白いね。食い扶持くらいは稼いでもらうよ、桜ちゃん」
桜は、小さな一歩を確実に踏み出した。
【臨時訓練場にて】
市役所裏の駐車場。恭二と正人は、小林先生と共に山口一曹の前に立っていた。
「訓練に参加させてください。……俺たち、もう二度と仲間を失いたくないんです」
恭二の言葉に、山口は鼻で笑った。
「ガキに教える暇はないと言ったはずだ。小林、お前の教え子はこれほど図々しいのか?」
「図々しいのは生きようとしている証拠だ」小林が腕組みをして言った。
「山口。こいつらは実際にレヴァナントの変異体を仕留めてここに来た。
……試してみる価値はあるぞ」
山口の目が鋭くなる。
「……いいだろう。だが、泣き言を言った瞬間に叩き出す。
加藤、新井。まずは外周を十周だ。一秒でも遅れたら今日のメシ抜きだぞ!」
「……っ、了解!」
恭二と正人は、泥にまみれたアスファルトの上へ、全力で駆け出した。
【拠点にて】
沙耶は、拠点の段ボールの隙間から、それぞれの場所へと散っていく仲間たちの背中を見送っていた。
「……村田さん」
ふいに横から声をかけられ、沙耶は僅かに肩を揺らした。
そこにいたのは、所在なさげに眼鏡のブリッジを押し上げる康二だった。
彼は他人と目を合わせるのが苦手なのか、少し視線を逸らしながら続けた。
「……村田さん。僕はここで、暦さんと資料の解読を続ける。
……君にばかり戦わせるわけにはいかないから。僕にできることを、精一杯やるつもりだ」
康二は、かつて平和だった頃、クラスの誰とも深い関わりを持たず、
ただ知識の壁の中に閉じこもっていた。
そんな彼が、ぎこちない言葉で「仲間」としての決意を伝えてきたのだ。
「……ああ。任せる、康二」
沙耶の言葉に、康二は「あ、ああ……」と小さく戸惑い、さらに眼鏡を押し上げた。
安全という名の「檻」の中で、彼らは「守られる子供」であることをやめた。
沙耶は、手際よく資料を整理し始めた康二の横顔を見つめた後、
自分もまた、この要塞の「影」を確かめるべく、静かに立ち上がった。




