表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
REVENANT: SHONAN ZERO  作者: 狐目の仮面
35/69

第三章:要塞の揺りかご [第二十七話] 灰色の聖域

 山口曹長に導かれ、一行がようやく腰を下ろしたのは、地下一階の市民ロビーの片隅だった。

 かつては吹き抜けから陽光が差し込む開放的な空間だった場所は、

 今や段ボールとビニールシートで無数に区切られた、灰色の迷宮と化している。

 数千人の生存者が放つ熱気と、鼻を突く消毒液の臭い。

 そこは、外の地獄からは守られた「聖域」であったが、

 同時に絶望が澱のように溜まる場所でもあった。


「……ここだ。畳一畳分が、お前たちの今の領土だ」


 山口は壁際の僅かなスペースを指差すと、それだけ言い残して去っていった。

 冷たいコンクリートの上に敷かれた、薄汚れたグレーの毛布。

 それが、今日から彼らが守るべき「家」だった。


「……やっと、座れる」


 恭二がリュックを下ろし、崩れ落ちるように座り込んだ。

 その言葉を皮切りに、正人も、康二も、暦も、まるでもう一歩も動けないといった様子で、

 次々と毛布の上に身を投げ出した。

 学校を出てから、一度として本当の意味で「安全な場所」はなかった。

 常に背後には死の気配があり、神経を研ぎ澄ませていなければならなかった。

 その緊張の糸が、市役所の重厚な壁に囲まれたことで、ぷつりと切れたのだ。


「みんな、無理しないで。今日はもう、何もしなくていいから」


 奈々が、震える手で救急キットを取り出した。

 彼女自身の顔色も青白いが、それでも仲間の体調を気遣うことを忘れない。


「沙耶ちゃん、足、見せて」

 奈々は沙耶の隣に這い寄ると、制服の裾を捲り上げた。

 剥き出しとなった擦り傷に、無言で消毒液を塗る。


「……っ」

 沙耶は僅かに眉をひそめたが、拒絶はしなかった。

 戦場では「放置すべきもの」だった傷が、奈々の手によって丁寧に、慈しむように手当てされていく。

 その清潔な包帯の感触が、自分が「戦う道具」ではなく、一人の「人間」として扱われていることを、  痛いほどに自覚させた。


「……ありがと、沙耶」


 ふいに、横になっていた恭二が声をかけた。天井の剥き出しの配管を見つめたまま、

 彼はもう敬語を使わなかった。


「お前さ、本当……すげぇよ。大学のあいつ(オーガ)との戦い、あれ見て、俺、思ったんだ。

 ……お前がいなきゃ、俺たちはここにはいない。ビビったけど、感謝してる」


 正人も、目を閉じたまま短く同意した。

「……沙耶は、強い。俺たちの、誇りだ」


 沙耶は、奈々に包帯を巻かれながら、静かに視線を向けた。

 これまで「畏怖」の対象でしかなかった自分が、対等な「戦友」として認められた瞬間だった。


「……お前たちも、よくやった」

 沙耶の簡潔な言葉に、恭二は少し照れたように鼻をすすった。


 その隣では、桜が奈々の肩に頭を預けて、既に深い眠りに落ちていた。

 眠りの中でも、彼女の手は奈々の服の裾をぎゅっと掴んでいる。

 暦も康二も、資料を抱えたまま、抗いきれない睡魔に飲み込まれていった。


 自衛隊から配給されたのは、乾いたクラッカーと少量の水だけだった。

 温かいスープも、ふかふかのベッドもない。

 だが、誰にも脅かされず、仲間たちの寝息を聞きながら横になれるということが、

 今の彼らにとっては何よりも贅沢な救いだった。


 沙耶は、毛布の端を握りしめた。

 先ほど田辺亜希子に渡した、巡査長の遺品。その重みが、まだ掌に残っている気がした。


(……生きてる)


 冷たい床。灰色の壁。

 けれど、隣には自分を呼ぶ声があり、自分を気遣う手の温もりがある。

 沙耶は、奈々が自分の肩に寄り添ってくるのを感じながら、ゆっくりと目を閉じた。

 

 藤沢市役所の長い夜が始まる。

 それは、失われた人間性を、眠りの中で静かに繋ぎ合わせるための、最初の休息だった。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ