序章:奈々一家の賑やかな食卓
序章:奈々一家の賑やかな食卓
「ただいまー」
工藤奈々の明るい声が、玄関に響いた。リビングへ向かうと、既に夕食の準備が整い、温かい匂いが漂っている。
「おかえり、奈々。手、洗っておいで」
母の恵美が、エプロン姿でキッチンから顔を出す。彼女は地域の公民館でボランティア活動をしており、いつもエネルギッシュだ。
「今日はね、パパが早く帰ってこられたから、奈々の大好きなハンバーグよ!」
「やったー!」
奈々の顔がぱっと輝く。父の雄介は藤沢市民病院に勤める看護師で、不規則な勤務が多い。彼が夕食時に家にいるのは、奈々にとってささやかな喜びだった。
食卓には、雄介、恵美、そして奈々の三人が揃う。
「パパ、今日もお仕事お疲れ様」
「おう、ありがとうな、奈々。今日はね、病院もなんだかバタバタしててさ。風邪でもないのに、急に高熱出す人とか、なんだか変な症状訴える人が多くてねぇ」
雄介は何気なくそう言ったが、その言葉には、医療従事者ならではの微かな懸念が滲んでいた。
「あら、そうなの?季節の変わり目だからかしらねぇ」恵美が心配そうに相槌を打つ。「私も公民館のほうで、来週の子供向けイベントの準備があるんだけど、体調崩す子が出ないといいわね」
「うん。学校でも、なんかだるそうにしてる子、いたかも…」
奈々は、父の言葉に少しだけ胸騒ぎを覚えたが、目の前の美味しいハンバーグと、家族の笑顔に、すぐにその不安は薄れていった。
食事が終わり、奈々が食器を片付けていると、雄介が「そういえば、駅前でちょっとした騒ぎがあったらしいぞ。原因はよく分からないみたいだが…」と、テレビのローカルニュースを見ながら呟いた。
「え、そうなの?」
「まあ、大きなことじゃなきゃいいけどな」
恵美が淹れたお茶を飲みながら、工藤家にはまだ、いつもの平和な夜が流れていた。この温かい食卓が、数日後には想像もできない形で失われることになるとは、誰も知る由もなかった。




