第二章:終末都市の彷徨 [第十五話] 遭遇
夜の闇が支配する商店街。バスを人気のない路地に隠し、村田沙耶、新井恭二、加藤正人、宮増康二、そして小林先生の五人は、息を殺して「ルミナリエ湘南」へと接近していた。スーパーの入口付近では、先ほどバスの中から確認した五、六人の男たちが、依然としてシャッターをこじ開けようと作業を続けている。彼らの手には金属バットや鉄パイプが握られ、時折、品のない笑い声や罵声が闇に響く。その様子は、明らかに秩序の欠片もない、力だけが支配する集団であることを示していた。
「…やはり、まともな連中ではなさそうだな」小林先生が、低い声で呟いた。彼らは、スーパーの向かい側にある、シャッターが半壊した衣料品店のショーウィンドウの陰から、慎重に状況を窺っている。
「どうしますか?このままやり過ごして、別の場所を探しますか?」恭二が、緊張した面持ちで尋ねる。
「いや…」沙耶が、男たちの動きを冷静に観察しながら口を開いた。「あのスーパーの規模なら、食料や医薬品の備蓄はかなりあるはずだ。我々にとって、それは見過ごせない。それに、彼らの様子からすると、まだ内部の探索は十分に進んでいないように見える」
「村田の言う通りかもしれん」小林先生も同意した。「彼らが入口のシャッターを開けるのに手間取っている間に、我々が別の侵入経路から内部に入り、必要な物資を確保する。それができれば理想的だが…」
「別の侵入口…あるでしょうか?」康二が、持っていた地図と、おぼろげな記憶の中のスーパーの構造を照合しようと目を凝らす。
「大型スーパーなら、搬入口や非常口が複数あるはずだ。問題は、そこが安全かどうか…そして、彼らに気づかれずに接近できるかどうかだ」小林先生は、厳しい表情で言った。
その時、略奪者グループの一人が、苛立ったようにシャッターを蹴り上げ、大声で叫んだ。
「クソッ!このシャッター、ビクともしねえぞ!柴田さん、どうします!?」
「うるせえな!もっと力ずくでやらねえからだ!」
リーダー格と思われる、一際体格のいい男、柴田と呼ばれた男が、他のメンバーを怒鳴りつけた。彼の顔には、この世界の崩壊を歓迎するかのような、歪んだ高揚感が浮かんでいる。
「よし、お前ら、こっちの通用口も見てこい!どこか入れる場所があるはずだ!」
柴田の指示で、二人の男が金属バットを手に、スーパーの側面にある通用口の方へと向かっていく。
「…まずいな。先を越されるかもしれん」小林先生が呟く。
「行くぞ」沙耶は、短く告げると、音もなくショーウィンドウの陰から滑り出した。彼女の動きは、闇に溶け込む黒豹のようにしなやかで、速い。
「え、村田さん!?」恭二が慌てて後を追おうとする。
「新井、待て!」小林先生が制止した。「村田の判断は正しい。我々も動くぞ。宮増、お前はここで周囲を警戒し、何かあればすぐに知らせろ。新井、加藤、お前たちは俺と来い。あの二人が向かった通用口とは別の、裏手にある搬入口を目指す。おそらく、そちらの方が手薄なはずだ」
三人は、沙耶とは別のルートで、ルミナリエ湘南の裏手へと回り込むように移動を開始した。康二は、息を殺してその場に残り、タブレットで可能な限りの情報を収集しつつ、仲間たちの動向と略奪者たちの動きに神経を集中させた。
沙耶は、驚異的な速さと隠密性で、略奪者の二人組よりも早く、スーパーの裏手にある従業員用の通用口へとたどり着いた。そこは薄暗く、ゴミ箱などが散乱しており、人気はない。ドアには鍵がかかっていたが、沙耶は懐から取り出したヘアピンを使い、まるで手慣れた専門家のように、数秒で鍵を開けてしまった。
(こんな技術が、こんなところで役に立つとはな…)
彼女の脳裏に、かつての過酷な日々が僅かに蘇ったが、すぐにそれを振り払う。
ドアを僅かに開け、内部の気配を探る。活性死者――いや、「レヴァナント」の気配は、今のところ感じられない。
沙耶は、音もなく内部へと滑り込んだ。そこは薄暗い従業員用の通路のようだった。
一方、小林先生、恭二、正人の三人も、少し遅れてスーパーの裏手、大型トラックが接近できるような搬入口にたどり着いた。シャッターは固く閉ざされているが、脇にある小さな通用口のドアは、わずかに開いていた。
「…ここから入れるかもしれん」小林先生が、慎重にドアノブに手をかける。
「先生、待ってください。罠かもしれません」恭二が警戒する。
「かもしれんな。だが、行かねば物資は手に入らん」
小林先生は、恭二と正人に目配せし、鉄パイプを構えながら、ゆっくりとドアを開けた。
内部は、広大な倉庫スペースのようだった。高い天井まで商品が積み上げられ、フォークリフトが数台放置されている。そして、その薄暗がりの中に――。
数体の「レヴァナント」が、獲物を求めるように徘徊していた。
「…やはり、いたか」小林先生が呟く。「数は…四体。よし、やるぞ。新井、加藤、気を引き締めろ!」
「はい!」
三人は、即座に戦闘態勢に入った。小林先生が中央で指示を出し、恭二と正人が左右に展開し、レヴァナントへと向かっていく。彼らの手には、先ほど部室棟で手に入れた金属バットと木刀が握られている。
薄暗く、カビ臭い空気が漂うルミナリエ湘南の広大な倉庫スペース。高い天井まで商品が積み上げられた棚が迷路のように並び、フォークリフトが数台、まるで主を
小林先生の低いが鋭い号令が飛ぶ。それは、先ほどの学校脱出の道中、?小林先生が即席で彼らに叩き込んだ、対複数戦闘における基本的な陣形の一つだった。中央に最も経験のある小林先生が立ち、左右に恭二と正人が展開し、敵を挟み撃ちにするか、あるいは側面からの攻撃を防ぐというものだ。
「はい!」
恭二と正人は、緊張に顔を引き攣らせながらも、力強く返事をした。彼らの手には、部室棟で手に入れた金属バットと木刀が、汗でじっとりと湿りながら握られている。
小林先生が、鉄パイプを中段に構え、ゆっくりとレヴァナントへと歩み寄る。その動きには一切の無駄がなく、まるで獲物を狙う古強者のような風格があった。
「まず一体、俺が引き受ける。残りは、お前たちで確実に仕留めろ!」
一体のレヴァナントが、小林先生を目掛けて唸り声を上げながら突進してきた。その腐敗した爪が振り下ろされる。小林先生は、その攻撃を最小限の動きで捌くと、体重を乗せた鉄パイプの一撃を、レヴァナントの側頭部に叩き込んだ。ゴシャッという鈍い音と共に、レヴァナントは体勢を崩して床に倒れ伏す。小林先生は、即座に追撃を加え、その頭部を完全に破壊した。
その隙に、残りの三体のレヴァナントが、恭二と正人に襲いかかってきた。
「うおおおっ!」
恭二は、恐怖を振り払うように叫びながら、金属バットを横薙ぎに振るう。一体のレヴァナントの腕に当たり、鈍い感触が伝わるが、相手は怯むことなくさらに距離を詰めてくる。その腐臭と、虚ろな目が、恭二の闘争本能と恐怖心を同時に刺激する。
「こっちだ、化け物!」
正人が、もう一体のレヴァナントの注意を引きつけるように叫び、木刀を力任せに振り下ろす。彼の攻撃は恭二のものよりも遥かに重く、レヴァナントの肩口に深々と食い込み、その動きを一瞬止めた。
しかし、三体目のレヴァナントが、恭二の死角から忍び寄り、その背中に襲いかかろうとしていた。
「新井、後ろだ!」小林先生の鋭い声が飛ぶ。
恭二が慌てて振り返ろうとした瞬間、彼の視界の端で、黒い影が躍動した。
一方、沙耶は従業員用の通用口からスーパー内部へと侵入し、闇に紛れて慎重に進んでいた。彼女の五感は極限まで研ぎ澄まされ、僅かな物音、空気の流れ、そして「レヴァナント」の放つ独特の腐臭を敏感に捉えている。
(…この通路の先に、おそらくは事務所か休憩室。医薬品や、店内の見取り図があるかもしれない)
彼女は、壁に背を預けながら角を曲がり、いくつかの従業員用ロッカーが並ぶ小部屋に出た。ロッカーのいくつかは開いており、中には従業員のものらしき私物が散乱している。沙耶は、その中から未使用の絆創膏や小さな消毒スプレー、そして誰かが置き忘れたらしい栄養補助食品のバーを数本見つけ、手早く自分のリュックにしまった。
さらに奥へ進むと、施錠された「事務所」と書かれたドアがあった。沙耶は、再び金属片を取り出し、鍵穴に差し込む。数秒の精密な作業の後、カチリ、という小さな音と共にドアが開いた。
事務所の中は、書類やファイルが散乱し、パソコンのモニターは黒いままだ。沙耶は、まず壁に貼られていた店内の避難経路図を素早く記憶し、次に施錠されたデスクの引き出しを、同じく金属片で器用に開けた。中には、現金や伝票と共に、いくつかの鍵束と、予備の懐中電灯、そして未開封の電池が入っていた。
(…マスターキーか、あるいは特定のエリアの鍵か。懐中電灯と電池は有用だ)
沙耶はそれらを確保すると、事務所の窓から外の様子を窺った。略奪者たちが、まだ入口のシャッターと格闘しているのが見える。そして、その奥、スーパーのメインフロアと思われる方向からは、微かに複数のレヴァナントの気配が感じられた。
(…数は多い。だが、まだフロア全体には広がっていない。食料品売り場は、おそらく一階の奥…)
沙耶は、最短で食料品売り場に到達できるルートと、そこから安全に脱出できる経路を脳内でシミュレートし始めた。その思考は、冷徹なまでに効率的だった。
その頃、倉庫では小林先生たちが最後のレヴァナントと対峙していた。恭二と正人は、互いに背中を預けるような形で連携し、小林先生の指示を受けながら戦っている。彼らの動きは、まだ荒削りだが、学校での最初の遭遇時とは比べ物にならないほど落ち着きと決意が感じられた。
「新井、足元を狙え!加藤、頭を潰せ!」
小林先生の的確な指示。恭二が金属バットでレヴァナントの膝を砕き、体勢を崩させる。すかさず、正人が渾身の力で木刀を振り下ろし、その頭部を破壊した。
「はぁ…はぁ…やった…」
恭二は、その場にへたり込みそうになるのを、必死に堪えた。
「よくやった、二人とも」小林先生は、息を整えながら言った。「だが、安心するのはまだ早い。この倉庫にも、まだ奴らが潜んでいるかもしれん。それに…」
彼の言葉を遮るように、スーパーの正面入口の方から、何かが金属を派手に破壊するような、大きな音が響き渡った。
ガシャァァァン!!
そして、それに続く、男たちの歓声のような声。
「…まずいな。どうやら、正面のシャッターが破られたらしい」
小林先生の顔に、険しい表情が浮かんだ。
「急いで物資を確保し、ここから離脱するぞ。略奪者どもと鉢合わせるのは避けたい」
三人は、倉庫内に残されていた段ボール箱をこじ開け、缶詰や保存水、レトルト食品など、持ち運べそうなものを手早くリュックに詰め込み始めた。しかし、彼らの心には、新たな脅威、同じ人間である略奪者たちとの遭遇という、重い予感がのしかかっていた。




