第二章:終末都市の彷徨 [第十四話] 潜む影
夕闇に沈んだ藤沢駅北口に広がる商店街は、
今は死の静寂に包まれていた。かつては買い物客や学生たちで賑わい、活気に満ち溢れていたはずの場所。しかし、今はその面影もなく、割れたショーウィンドウや路上に散乱した商品、そして放置された自転車などが、ここでも凄惨な出来事があったことを無言のうちに物語っていた。スクールバスは、狭く、そして暗いアーケード街を、ヘッドライトだけを頼りに徐行しながら進んでいく。両側の店舗のシャッターはほとんどが固く閉ざされているが、いくつかの店は入口のガラスが破壊され、闇がぽっかりと口を開けていた。その奥からは、時折、何かを引きずるような音や、微かなうめき声が聞こえてくるような気がして、バスの中の生徒たちの緊張感を高める。
「…気味が悪いな」
助手席に座る新井恭二が、唾を飲み込みながら呟いた。アーケードの屋根が、夜空の僅かな月明かりさえも遮り、バスの周囲はヘッドライトが照らし出す範囲以外、ほとんど何も見えない。
「全員、窓の外から目を離すな。何が出てくるか分からんぞ」
運転席の小林先生が、低い声で再度警告する。その声には、経験に裏打ちされた確かな重みがあった。生徒たちは、固唾を飲んで窓の外の闇に視線を集中させる。奈々は、隣で相変わらず目を閉じ、浅い呼吸を繰り返している沙耶の様子を気遣いつつも、自分の側の窓を食い入るように見つめていた。遠藤桜は、恐怖で顔を強張らせ、時折小さく息を飲む音が、静かな車内に響く。
バスが、アーケードの中程にある、以前は小さなイベントなども行われていたであろう広場のような場所に出た時だった。
「先生、止まってください!」
後部座席にいた康二が、鋭い声を上げた。彼の指差す先、広場の隅にある比較的大型のスーパーマーケット――「ルミナリエ湘南」という華やかな名前の看板が、今は薄汚れて傾いている――の入口付近に、複数の人影が見えたのだ。それは、闇に紛れて最初はよく見えなかったが、バスのヘッドライトが不意にその方向を捉えたことで、はっきりと姿を現した。
「生存者か…?いや、様子がおかしい…」正人が、目を凝らしながら呟く。
その人影は、明らかに奴らとは異なる動きをしていた。数人(五、六人だろうか)が集まり、スーパーの入口のシャッターをこじ開けようとしているのか、あるいは何かを運び出しているように見える。そして、その手には金属バットや鉄パイプのようなものが握られ、その腰には刃物のようなものも見えた。
「…略奪者、か」小林先生が、苦々しげに吐き捨てた。「この状況だ。ああいう連中が出てきてもおかしくはない。むしろ、これから先、あの化け物よりも厄介な敵になるかもしれん」
その言葉に、バスの中の生徒たちの間に、新たな種類の緊張が走った。これまでは、得体の知れない「化け物」との戦いだった。だが、これからは、同じ人間とも戦わなければならないのかもしれないのだ。
村田沙耶が、閉じていた瞳をゆっくりと開いた。彼女の視線は、バスの窓越しに、ルミナリエ湘南の入口で不審な動きをする男たちを冷静に捉えている。その黒曜石のような瞳には、何の感情も浮かんでいない。ただ、対象を分析し、脅威度を判定しているかのような、冷徹な光だけが宿っていた。
「どうしますか、先生?このまま、気づかれないように通り過ぎますか?」恭二が、声を潜めて尋ねる。
「いや…」小林先生は、少し考え込んだ後、意外な言葉を口にした。「あのスーパーには、まだ食料や医薬品が残っているかもしれん。我々の手持ちも、いつまで持つか分からんからな。危険は承知の上だが…少し、様子を見てみる価値はあるかもしれん」
「しかし、あの連中が…もし戦闘になったら…」
「だからこそだ」小林先生は、恭二の懸念を遮るように言った。「彼らがまだ気づいていない物資が、奥に残っている可能性もある。あるいは、彼らと交渉して、一部を分けてもらうという手も…いや、それは甘すぎるか」彼は自嘲気味に付け加えた。
そして、小林先生は、静かに男たちを見据えている沙耶に問いかけた。
「沙耶、お前はどう思う?あの連中と、あのスーパー。リスクとリターン、どう判断する?」
不意に話を振られ、沙耶は、その美しいが感情の読めない瞳で小林先生を一瞥し、そして再び略奪者たちへと視線を戻すと、静かに、しかしはっきりとした口調で答えた。
「…必要なら、奪うだけだ」
その言葉に、バスの中の空気が再び凍りついた。奈々が、思わず沙耶の袖をそっと掴む。
「沙耶ちゃん…!」
「冗談だ」沙耶は、ほんの僅かに口元を緩めたように見えたが、その目は全く笑っていなかった。「まずは偵察。その後、状況に応じて最善手を選択する。それが、基本だろう」
小林先生は、沙耶のその言葉に満足そうに頷くと、バスをスーパーの建物の影になるような、アーケードのさらに薄暗い路地に慎重に寄せ、エンジンを止めた。周囲の闇が、一気に深くなったように感じられる。
「いいか、ここで待機だ。村田、新井、加藤、そして宮増。お前たちは俺と一緒に行く。他の者は、何があっても絶対にバスから出るな。工藤、お前は遠藤のことを頼む。何かあれば、クラクションを三回鳴らせ。それが合図だ」
「はい…」奈々は不安げに頷いた。
沙耶、恭二、正人、康二、そして小林先生の五人は、それぞれ武器を手に、息を殺してバスを降りた。夜の闇と、アーケードの屋根に遮られた僅かな月明かりだけが、彼らの進む道をぼんやりと照らしている。
目指すは、略奪者たちが群がる廃墟のスーパーマーケット、「ルミナリエ湘南」。そこに彼らが求める希望があるのか、それとも更なる絶望が待ち受けているのか、まだ誰にも分からなかった。




