さて、行くとするかのう
街はずれにある小さな村。木造りの家々が並び立つそこに、漆黒の生命体が津波のように押し寄せてくる。
その生命体の名は寄生害虫。人間と同じ大きさを持った二本足が生えている漆黒の蛇であり、真紅の瞳で得物を捉えて、鋭い牙で喰らい尽くすという化け物。
どの動物種にも属さず、未だにその全貌が明らかにはなっておらん。生物に寄生して、その姿さえも変えてしまう。生態系は不明で、飼いならすことも不可能な厄災の獣。対抗できるのは、月華瞳法のみ。
それが今、束となって襲い掛かってくる。村中で戦っていたわしも敵兵も、顔を背けざるを得なかった。災害と呼ぶに相応しい有様。敵も味方も関係なく、ただただ口を開けた奴らに飲み込まれていく。群衆暴走と呼ばれる大群を、こんな小競り合い程度の小隊で相手にできる筈もない。
「ギャァァァッ!」
「やめ、助け、ァァァアアアアアッ!」
一人、また一人。味方が、敵が、村人が、蛇の牙の餌食となっていく。奴らの食欲に底はなく、勢いが衰えない。次だ、次だ。そんな声が聞こえてきそうなくらい、目についた片っ端から喰らい続ける獣達。いつしかその牙は、ボロボロになったわしへと向いていた。
「キシャァァァッ!」
獣の咆哮が耳を叩く。真紅の瞳にわしが映り、奴らが押し寄せてくる。大太刀を握る手が震える。
既に味方はおらず、敵兵もいない。村人こそまだ生き残っておるが、助けてくれる者などおらぬ。身体から発せられる傷の痛みが、更なる窮地を突きつけてくる。絶体絶命。
「あ、赤薔薇之太刀がッ!?」
奴らの突進を防いだその時、持っていた大太刀が砕け散った。囲まれた今、再度生成しておる暇もない。脳裏を過る、先ほどの悲鳴。湧き上がる生への執着心。身体中に震え出し、背骨に直接冷水を垂らされたような怖気が走る。
「ぶ、武器を、太刀よ、わしを、わしを守ってくれ」
武器を掴もうとして空を切る、わしの手。その先でよだれを垂らしておる、漆黒の蛇共。
「い、嫌じゃ。死にたく、ない。助けて、くれ」
獣に命乞いは通用しない。巡り廻る恐怖が次第に凝縮されていき、やがてそれは一つの感情へと変化する。絶望へと。
「キシャァァァッ!」
「あ、あああああ」
煮詰められた絶望は、強烈な忌避感を生む。
嫌だ、嫌だ。こんなものは嫌だ。子どものように単純な言葉しか頭に浮かばず、その言葉は叶わない。寄生害虫が動き出した。牙を剥き、よだれを垂らし、わしをその大口で喰らい尽くしてやろうと首を伸ばしてくる。それに対してわしは、わしは。
「あああああああああああああああああッ!」
絶叫の後に一瞬視界に映ったのは、数多に現れた真紅の大太刀。そこで、わしの意識は途切れたんじゃったな。
ああ、またこの夢か。
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一通り生活が落ち着いてきた頃、わしはアヲイを連れてとある場所を目指しておった。木造りの建物が並び立つ街中を、土の地面を踏みながら連れ立って歩いていく。
「で、せんせー。大聖堂で日雇いの仕事に申し込んできたのはいいんですけど、何をするんですかー?」
「寄生害虫の討伐じゃ。基本報酬は安いが、出来高が積み上げられる。咲者であるわしらだからこそ、受けられる仕事じゃ。さっさと行くぞ」
エイヴェについては、未だに手がかりはなし。モタモタしていたら国外へ取り逃がす可能性もあるが、先立つものがない。教会からの補助金と、アヲイのアルバイト代だけでは、到底足りないのが現状じゃ。裏社会への渡りをつける為にも、金は必須じゃからのう。
じゃからこそ、日雇いの仕事でもこなして金を得ようという訳じゃ。今回のは出来高が発生する案件じゃから、上手くやれば一気に稼げそうじゃしのう。
「なーんか今日、せんせー機嫌悪いですかー?」
「……別にそんなつもりはない。ちと夢見が悪かっただけじゃ」
「そーですかー。ふあーあ、眠いー」
あくびをしているアヲイ。にしてもこいつ、バイト後の帰りが遅い気がするんじゃが、一体何処で道草食っておるのか。眠いならさっさと帰ってきて寝れば良いものを。
「そんなことよりも、早く月華瞳法教えてくださいよー」
「お前が教えることほとんどないくらいに扱えとるからじゃろうがっ!」
あとはアヲイの奴が、基礎がほとんどできておることもある。馬鹿弟子が顔を出した際に習ったと言っておったが、それにしては知識も豊富じゃし、命脈の扱いも見劣りせん。鍛錬もなしにこのレベルとか、マジで天才なんじゃが。
「模擬戦でいきなり勝てるなんて思ってませんでしたよー。せんせーの方が早くヘバった時は、思わず笑っちゃいましたねー。あっ、だからザコせんせーなんて呼ばれてたんですかー?」
「うっさいわいっ! たかだか一回勝てたくらいで、調子に乗るでないわ。つーか一晩近くも戦い続けることになるなんて、思ってもみんかったわっ!」
まずは力量を見ようと思ったら、そのまま泥沼の長期戦に連れ込まれてしまい。最終的にはそのつもりのなかったわしの体力が底をついて、敗北を喫した。
タフネスさまで馬鹿弟子そっくり、まるで奴が性転換したようじゃわい。お陰でなんの気負いもせんままに、話ができとることもあるがのう。どういう遺伝があったら、身内にこんなのが二人も発生するのか。生命の不思議じゃ。
「勝ちは勝ちでしょー? でー、早く肆華を教えてくださいよー」
「あのなあ。まだお前には、鍛えねばならんところが山ほどある。大人しく鍛錬しとれ」
あーだこーだとやり取りしている内に、わしらは街の海岸線沿いにある砂浜へとやってきた。降り注ぐ太陽と白い砂浜、寄せては返す青い海。本来なら季節も季節じゃし、ここは水着の女子で溢れかえったパラダイスになる筈じゃった場所じゃが。
今や寄生害虫と依頼を受けた咲者が、血で血を洗っているかのような有様になっておる。
「集まってくれてありがとう。私はここの海水浴場のオーナー、ヒルデだ。見ての通り、ここは寄生害虫で溢れかえってしまった。君たちにはこれを駆除してもらいたい」
集まったわしらと他の咲者と思われる輩達の前で、一人の中年男性が声を上げた。七三分けの生真面目そうな中年。スーツ姿が様になっておるし、多分経営者っぽいのう。
「報酬は君たちが倒した寄生害虫の瞳を集めてくれ。その数に応じて金額が支払われる。怪我した場合は助けこそするが、事前の同意書にもあったように治療費は自己負担で頼む。死亡した場合の責任も、こちらで取ることはない」
「おい姉ちゃん。ガキ連れとは、随分と余裕そうじゃねーの」
話の途中で、アヲイに絡んでくる輩がおった。筋骨隆々で体格の良い、ソフトモヒカン頭の男性。顔にはあのサーマを思い出させるような、嫌らしい笑みが浮かんでおる。
「なんですかー?」
「こんな仕事に来るってことは、金に困ってんだろ? 俺の分け前をやるからよお。あとは、言わなくても分かるよなあ?」
モヒカン男の視線は、アヲイのたわわに実った二つのおっぱいに注がれておった。
「えー、あたし分かりませーん。おじさん、そこまで強くもなさそうだしー」
「ハッ。生意気な娘だなあ、ヒイヒイ鳴かせたくなるぜ。見てろよ」
言うや否や、モヒカン男はさっさと駆け出していった。
「開華、功片ッ!」
世界の命脈を汲み上げて身体能力を上昇させる、月華瞳法の華片の一つ、功片。男の動きが一気に加速する。その瞳には蒲公英の華片が映っておった。顔に似合わず、可愛らしい華を持っておるのう。
「オオオオラァァァッ!」
モヒカン男は海から続々と上がってくる寄生害虫に対して、殴る蹴るの暴行を加えていく。動物とも虫とも取れる金切り声と共に、奴らが次々と倒れていきおった。
戦うその姿は、野蛮人にしか見えん。肉弾戦だけで寄生害虫を圧倒するとは。大口を叩くだけの力量はあるらしいのう。
「キシャァァァッ!」
一体の持った漆黒の蛇が、モヒカン男に向かって牙を剥いた。そのままでは頭から齧られ、絶命するのではないかとも思ったが。
「弐華、守片ッ!」
「キシャァァァッ!?」
「す、すげえ。アイツ、弐華まで使えるのか」
嚙みついた筈の寄生害虫が、悲鳴を上げておった。牙にヒビが入っておる。守片でもって、身体強度を上げたのか。
周囲を見た限りでは華片を一つだけ扱えるという、護身術レベルの開華を使っておる者ばかり。そんな中で二つ同時に扱える弐華は、頭一つ抜けておるな。
「ハーッハッハッハッハッ! 全部俺がいただきだッ!」
完全に自身の力に酔っているモヒカン男は、周囲の誰よりも次々と寄生害虫を打ち倒していく。こやつがおればもう大丈夫なのではないか、とも思ったが。
「せんせー。そろそろ何とかしないと、あのクズ死ぬんじゃないですかー?」
「そうじゃな。駄目じゃ、あれは」
わしとアヲイの見解は一致しておった。最初から全力全開のあの勢い、相手が一体や二体なら良かったんじゃろうが。
「ぜえ、ぜえ、あ、頭が割れそうに痛ぇ。ま、まだいるのかよ。グハッ!?」
次々に襲い掛かってくる寄生害虫の群れ。まさに波状攻撃と言わんばかりのこの調子では、何処かで息切れすると思っておったが。思ったよりも早かったのう。
キチンとした鍛錬を受けていない野良の咲者に多い傾向じゃ。ヘバった所に寄生害虫の突進を受け、男は吹き飛ばされていた。
「あれれー? もうおしまいですかー? ねーねー」
アヲイの煽りに反応する余裕もないのか、モヒカン男はいくらかの瞳だけを持ってさっさと後ろに下がっていった。あの様子では、今日はもう無理じゃろうて。周囲の他の面々はそれを見て無理せんようにと、控えめに戦っておった。
なるほど。じゃからこの仕事は、なかなか終わらんのか。配当をケチった為か、ロクな咲者が参加しておらん。結果的に長引いて支出が増えておるんじゃったら、たわけとしか言えんが。
「さてと、行くとするかのう」
状況の把握もできたところで、わしはさっと前に出て行った。手を前にかざし、口を開いた。