もうあなたは用済みです
わしが意識を取り戻した時、傍におったのはなんとエイヴェじゃった。周囲を見回してみれば、慣れ親しんだ自分の瞳場の中。帰ってきたらしい。
「ああ、おはようございます」
「なんでお前が瞳場におるんじゃ?」
「サーマさん以外にも、多方面から金を借りていたことがバレまして。これ以上面倒を持ってこないで欲しいと追い出されたんです。行き先がないので泊めてください」
「お前の借金癖とその面の皮の厚さにはびっくりじゃわ。つーか、わしが渡した金は?」
「研究の為にこれを買ったので、もうありません」
エイヴェが取り出したのは、緑がかった銀の指輪じゃった。
「宿木指輪か。わしら咲者を契約で縛るようなもんを、なんでまた?」
「研究の為と言ったでしょう。高くてなかなか買えなかったんですが、やっと手に入りました。あと私の地元的には、宿木指輪って呼び方の方が馴染み深いんですけどね」
他愛ない会話をしておったら、勢いよく扉が開いた。同時に響いてくる、女の子の声。
「せんせー、起きたのッ!?」
わしが目を向けてみると、焦ったように髪の毛を振り乱したのアヲイの姿があった。
「おー、アヲイ。心配かけたな」
「よ、良かった……って、何勝手に倒れてくれちゃったんですかー? お陰であたし、医者呼んだりここまで運んだりで、死ぬほど面倒くさかったんですけどー?」
「カナメさんを運ぶの、自分で立候補してませんでしたっけ?」
「あーあー、うるさいうるさいッ!」
エイヴェの言葉に顔を赤くしたアヲイが声を上げ、わしは笑った。なんじゃ、いつも煽ってくる癖に、心の底ではわしのことを心配しておったんかい。可愛いところもあるもんじゃのう。
その後はやってきた医者に診察してもらい、他の部位に異常が見られなかった結果。華脳帯を極度に酷使した為の、一時的な意識喪失という診断をもらった。経過観察が終わるまで月華瞳法は使わないことを言いつけられ、痛み止めの薬を処方される。しばらくは、ゆっくり養生することになった。
「こんにちはこんにちは」
「誰かの……ピサロっ!」
日が経ち、立ち上がるのも苦にならなくなってきた頃。シルキーを連れたピサロが瞳場にやってきた。曰く、護衛の報酬をまだ渡していなかったから、と。
「ああエイヴェさん、やっぱりここにいたんですね。探す手間が省けましたよ」
「私のことを探してたんですか? またどうして」
「だってだって貴方がいると、借金取りが来るじゃないですか。ボクとしては知らぬ間に近くにおられて、迷惑をかけられたくないですし」
「なるほど、確かにそうですね」
「いやいや今度は借金取りがウチに来るってことなんじゃがっ!?」
「おやおやカナメ君。駄目ですよ駄目ですよ、エイヴェ君を追い出したりしちゃあ。元に戻る研究をしてもらうんですよねえ?」
「うぐぐっ!」
笑顔で鼻につく言い方をしておるピサロじゃが、正論とあっては反撃できん。わしは苦虫を嚙み潰したような顔で、奴を睨み返すことしかできんかった。
「まあカナメ君達なら、借金取りくらい追い返せるでしょうし。ボクとしても今後とも今後とも、ご贔屓にしていただきたいですしねえ」
「二度とお前の頼みなんざ聞くかっ!」
「お金なら積みますよお? ほら、こんなに」
「ぐ……か、金で人が動くと思ったら、大間違いじゃわいっ!」
目の前に積まれた無数の札束。ふん、そんなもんに釣られるわしじゃないわい。
「せんせー。何嬉しそうに銭勘定してるのー?」
「はっ! 身体が勝手に」
気が付くと指を舐め、紙幣を一枚一枚確認しておったわし。これが金の魔力か、抗えん。
「ま、ボクらはこの辺にさようならしますよ。こう見えて、結構結構忙しいのでね。では」
あっさりと引き下がり、シルキーと共に帰っていったピサロ。どうにも腹の底が見えん奴じゃが、手に持った札束がわしの指から離れてくれん。恐ろしい相手じゃった。
「で、私の取り分はいくらですか?」
「元はと言えば、全部お前の所為じゃろうが、誰が渡すかぁぁぁっ!」
「せんせー。あたしの取り分はありますよねー?」
「うぐっ。ま、まあそうじゃな。アヲイにはこのくらいを」
「えー、ちょっとしけてませんかー? 医者代と搬送代を要求しまーす」
「ここは間を取って私に預ける、というのはどうでしょうか?」
「間もへったくれもあるか貴様ぁぁぁっ!」
三人で金の分け前について議論を交わした後。結局はわしとアヲイで折半し、お疲れ会ということでわしの払いで宴会をすることになったんじゃが。アヲイもエイヴェも、人の金だと遠慮なしに頼みまくりやがって。お陰でせっかく得た金を大きく減らすことになっちまったわい、トホホ。
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カナメの瞳場から帰ってきたピサロは、館の執務室で頭を回していた。目の前にいるのは、簀巻きにされたサーマである。
「さあて、ようやく実験も終わりましたねえ」
「ち、チミぃッ! 俺にこんなことして、タダで済むと思ってんのかぁッ!?」
「サーマ君、ありがとうございました。お陰でお陰で、良い結果が得られましたよ。寄生害虫を操る研究、半信半疑だったんですけどねえ」
ピサロの言葉に、サーマが青ざめる。外から提供された武力を使ったのは間違いなく彼だったが、その情報の出所が今、目の前にいる。
「ま、まさかチミが、俺達にこの情報を?」
「ええ。その為にエイヴェ君を見つけ出して、後ろ盾もなく戦ってくれそうなカナメ君をも呼んだ訳ですからねえ。実験は大大成功でした」
「ち、ち、チミが全部裏で糸を引き、俺達を操って」
「ああ、ご心配なく。既にあなたの家も、ボクの傘下に取り込ませていただきました。家というのは便利ですよねえ。武力や兵力の提供までしていただいて、感謝感謝です」
「ふ、ふざけんなッ! 俺ら極道を何だと思って」
「もうあなたは用済みです」
サーマの言葉を聞かないままに、ピサロは右の指を鳴らした。直後、彼の部屋の扉が乱暴に開かれる。
顔を向けたサーマは、目を見開いた。そこにいたのは漆黒の肌に長い首を持った、尻の上側からは漆黒の尾が生えている生命体、魔獣。
「ち、丁度良かった。こいつらを殺して俺を助けろぉッ! 俺は母虫を取り込んでるんだ。どんな魔獣も、俺の言うことには逆らえ」
「食べて良いですよ、皆さん」
「「「キシャァァァッ!」」」
ピサロの一言で魔獣達が彼に襲い掛かった。三体がそれぞれ牙を剥き、簀巻きにされているサーマを我先に喰らおうと牙を突き立てている。
「ギャァァァッ! な、なんで、あぐッ! あっ、ああああああああ」
何が何だか分からないといった様子のまま、サーマは魔獣によって生きたまま食い殺された。後に残ったのは血の染みと、彼が着ていた紫色のスーツの残骸のみ。その染みや残骸すら、魔獣達は舌を伸ばして喰らい尽くそうとしていた。
「母虫の上には女王虫がいるんですよ。さて、ようやく計画も大詰めです。嬉しい誤算のお陰で、大幅に変更することにはなりましたが」
舌を這わせ続ける魔獣の横を、車椅子を回して通り過ぎていくピサロ。三体いるそれらは、身体の不自由な彼には見向きもしなかった。
「後は細かい調整のみ。シルキー、カナメ君の瞳場は監視しておくように。せっかく湧いた幸運に万が一にも逃がさないように。あとはアヲイ君も含めて、再調査も」
「承知いたしました、手配いたします」
「そろそろこの平和な景色も、見納めですかねえ」
足元まであるガラス窓の所にやってきたピサロは、静かな庭先を見て口角を上げた。
「名残惜しいものもありますが、まあ良いでしょう。さてシルキー、皆さんを呼んでください。これからの手筈について、ボクから説明します」
「はい、ピサロ様。この魔獣達はいかがいたしましょうか?」
「説明に便利なので、このまま待機させておきましょうか。伏せ」
ピサロの一言で、スーツの破片を舐め取っていた魔獣らが一斉にしゃがみ込んだ。首を床につけ、動きを止める。
「これを見せれば、彼らも大喜びでしょう。招集はもちろん、ボクの名前で行います」
一呼吸置いたピサロは、車椅子を動かしてクルリと振り返ってみせた。懐から取り出したアスタリスクマークの腕章を腕に巻きつつ、その顔に心底楽しそうな歪んだ笑みを浮かべて。
「革命軍『反天照』のリーダー、ピサロ=クレイヴの名で。あなたにも期待していますよ、シルキー」
「拾っていただいた身としては、勿体ないお言葉です。必ずや、ピサロ様に勝利を」
「クックックック。まさかあの時の喰い損ねが、あなただったなんて。これも運命ですかねえ……ねえ、カナメ君」
ピサロは笑う。一人で笑う。彼の笑い声が、カナメ達に伝わることはない。事はゆっくりと、しかし確実に動き始めていた。