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第6頁 謝罪とお礼

 2月2日、午後7時、宿屋。


「ふぅ……」


 重力に任せて、布団にボフンと埋まった。お日様の優しい香り身体全体が包まれる。結局あの後……


「信じ、られません」

「そうですか」


 僕の言葉に対して何の感情も乗せずに返ってきた言葉。だけど、彼女の瞳が黒く染まったような気がして。

 瞬間悟った、僕はアサヒさんを傷つけたのだと。


「あ、の……」

「信じなくても構いませんが、私があなたを助けた訳ではないことはご理解いただけたかと思います。もう帰ってもらっていいですか」


 僕が何か声をかけねばと焦っている間に、線を引かれてしまった。あの時の彼女の瞳が今でも頭から離れない。


 だけど、当然の反応だと思う。無理やり家に押しかけて、話を聞かせてもらったのに、信じられないっていうのはあまりにも自分勝手が過ぎる。

 明日もう一度会いに行こう。そしてちゃんと謝ろう……会ってくれればの話だけど。


「はぁ」


 布団に転がりながら、今日のことを振り返ってみる。

 一日だけでいろんなことが起こり過ぎた。人生で初めて経験した異形との遭遇、異形を治療しているアサヒさんとの出会い、そして誤解していたかもしれない異形の生態。


「どうして、異形が境の内側に居たの?」


 あの異形には鉛が効いたから、柵は有効だってことなんだろうけど。だったらどうして内側に入って来れるんだ? 瑞穂山の奥に隠れていたとか? まさか柵に穴が開いてた? 


「結局アサヒさんは何者なんだろう」


 異形と話ができる女性。あの時、アサヒさんは異形の言葉を理解しているようだった。僕には不快な金属音にしか聞こえないのに、なぜ彼女には異形の言葉が届くんだろう。それに……


『人肉を食べる子たちは、大昔に狩られたんです。今生き残っている子たちは、木の実や花の蜜を食べて生活している、人間には害のない子たちばかりです』


 はっきりと断言されたあの言葉。あの時は衝撃的過ぎてそのまま納得してしまったけれど、どうして言い切れるんだろう。異形全員と知り合いでもない限り、無害かどうかなんて分からないじゃないか。


 そこまで考えて、ふと銃を撃った時の衝撃が両手に蘇った。異形が発した声と、真っ赤な血。もし、僕の撃った弾丸が致命傷を与える場所に当たっていたら……


「っ……」


 そこまで考えて、ブンブンと頭を振った。

 怖いとそう思う。今まで、自分たちの認識が間違っているなんて、考えてもみなかった。言われたことをそのまま鵜呑みにして、全てを知っているような顔をしてきた。何も知らないのに、僕たちは拳銃を構え、命を奪う。

 彼らがそこに居るというだけで、僕たちは命を奪う大義名分を得る。そんな自分勝手な理屈で、無害な命がいくつ奪われたんだろう。





 ※※※




 2月3日、午前9時、アサヒのログハウス前。


「ふぅ」


 昨日に引き続き冷たい雪が降り積もる中、僕は小屋の前に立っていた。口から吐いた息が、白く染まっていく。


 一晩、考えた。彼女に言われたこと、実際に僕自身が見たこと。たくさん考えたけれど、やっぱり伝えたいことは変わらない。

 もう一つ息を吐きだして、心を落ち着けた。灯りは灯っている。彼女はそこに居る。


 トントントン


 昨日と同様、何故か扉は開けっ放し。出てきてくれるだろうか。祈りを込めながら、僕は壁を叩いた。緊張しながら彼女の反応を待っていると……


「はい」


 警戒心を前面に出した状態のアサヒさんが顔を出す。ローブ、マフラー、手袋をして完全防備の状態。その姿が心まで閉ざしているような姿に見えたけれど、僕はゆっくりと口を開いた。


「おはようございます、陸奥です。お話があって来ました」

「はあ」


 僕の真剣な気持ちが伝わったのか、今日は昨日のように奥に消えようとはしなかった。そして、半分戸惑ったような表情をして、部屋の中に通してくれる。




※※※




「話ってなんです?」

「謝罪と、改めてお礼を言いたくて」

「謝罪とお礼……」


 アサヒさんは小首を傾げている。だけど、きちんと僕の目を見つめてくれた。その瞳は綺麗な緑色で、昨日のように黒く濁ってはいない。


「昨日はすみませんでした。いきなり押しかけて話を聞いておきながら、信じられないなんて失礼なことを言いまして」

「……」

「僕が信じたくなかっただけなんです。無害な存在に銃弾を撃ち込んだことを認めたくなかったから」


 驚いて咄嗟に撃ってしまった一発。撃ち殺そうとして構えていた一発。あの時、撃ってしまったことと、撃とうとしていたという事実は変わらない。

 だから、そんな相手は凶暴で残虐で、人類の敵であってほしかった。


「アサヒさんの話を聞いて、一晩考えました。異形が全部、無害な存在だってすぐには信じられないけれど、少なくとも昨日の異形には僕を食べる意識はなかった」


 食べられると思ったけれど、静かに閉じられた異形の口。アサヒさんがひまわりの花を返したら、襲ってくることもなく姿を消したこと。不自然な異形の行動の数々は、彼女の説明だと全ての筋が通る。

 信じたくないけれど、信じるしかない事実の応酬。それらは僕たちが長年信じてきたことが、間違いだと告げていた。だから……


「僕に、あれ以上撃たせないでくれてありがとうございました」


 心からの感謝を、あなたに。

 あの時、アサヒさんが一瞬でも遅ければ、僕は銃弾が尽きるまで異形を撃っていたかもしれない。命を刈り取ろうと、必死になって。

 それが現実にならなかったのは、アサヒさんが居てくれたから。彼女が僕を止めてくれたから。


「……」


 なんて言われるだろうか。『帰ってください』と追い返されるだろうか。僕は頭を下げ彼女の反応をジッと待った。すると……


「どう、いたしまして」


 頭の上にか細い小さな声が降った。顔を上げれば、ただでさえ顔がほとんど見えていないのに、口元のマフラーを更に上げようとしているアサヒさんの姿が。それは照れているのですか? 彼女が初めて見せた女の子らしい仕草に、ほんの少しだけ胸の高鳴りを覚えた。

 昨日は僕のせいで引かれてしまった線。その線が少しは薄れただろうか。これから仲良くなれるだろうか。だけど……


「話は終わりですね? 帰ってもらっていいですか」

「……」


 瞬間、極寒ブリザードの対応に戻ってしまった。少しだけ可愛いなと思った自分を殴りたい。




※※※




「……っ」


 極寒ブリザード対応で、陸奥を部屋から追い出したアサヒ。彼の姿が見えなくなった途端、壁にもたれながらズルズルと座り込んでしまった。

 暴れる鼓動と乱れた呼吸を落ち着けようと、必死に気持ちを静め込む。


「撃たせないでくれて、ありがとう……」


 静かな室内で、アサヒは彼の言葉を噛みしめる様に呟いた。胸の中にポカポカとした温度を感じ、身体全体が温かくて仕方ない。

 彼が嘘偽りなく、素直に言葉を伝えてくれた故だろう。そうでなければ、こんなに心に響かない。


「こんなにも嬉しいと思うのは、いつぶりでしょうか」


 小さく呟いたその声は、雪と共に世界の中に染みていく。

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