第51頁 僕の後書き
「約、束……」
「はい、約束です」
「約束は、破ったらダメなんですよ」
「はい、破りません」
「破ったら……針千本、飲ませますからね」
「大丈夫! ちゃんと守りますから!」
グズグズと泣きじゃくりながら、呟かれた物騒な文言。僕は慌てて同意を示した。彼女なら、約束を破った報復として本当にやりかねないと思ってしまった自分が居るのは内緒です。
「うぅ……グスン」
ポロポロと零れ落ちる涙を擦っているアサヒさん。涙は止まることを知らないが、彼女の手はきちんと僕の手を握ってくれた。
あたたかいアサヒさんの手のひら。恐怖故か微かに震えているけれど、それでもしっかりと彼女は僕の手を取ってくれた。
※※※
それから僕は、ひまわり畑の調査結果と異形たちの真実を論文に纏めて世界に発表した。予想はしていたことだけれど、やっぱり簡単には受け入れてもらえなくて。全く聞く耳を持たない人が大半。中には暴言やペンが飛んでくることもあった。
分かっていても、暴言を言われれば悲しいし、ペンが当たれば痛かった。だけど、それでも諦める訳にはいかないから。僕が足を止めることはなかった。
「よし!」
次に異形駆逐専門組織であるハンター協会へ。そこの所長に真実を打ち明けようと面会を申し込んだ。
最初に変わってくれるとしたら、彼らなんじゃないかって思うんですよ。ハンターさんたちは、僕みたいな一般人より異形と接触する機会が多い。僕が最初に出会った骸骨のお母さんに違和感を覚えたように、ハンターさんの中にも何か感じている人がいるかもしれないと思って。
「お帰りください」
だけど、強制的に追い出されてしまった。
でもよく考えるとそうか。積極的に異形駆逐活動を行ってきた彼らにとって、『異形が無害である』と認めることは、自分たちが無害な命を大量に殺害してきたと認めることになる訳で。僕が彼らの立場だったら、信じたくない事実だし、そんなすぐには受け入れられないと思う。
それでもその後、何度も何度も足を運んだ。そして何度も何度も追い返された。ため息をつかれるし、嫌な顔もされるけれど、僕の足は止まらなかった。
※※※
「陸奥さん、お客様ですよ」
部屋の外で紅葉さんの声が聞こえる。入ってもらうよう依頼すれば、入室してくれたのは……
「あ、アサヒさんこんにちは」
「こんにちは」
「すみません、わざわざ来てもらって」
「いえ」
いつもは僕の方からログハウスに出向くんだけど、最近はそれが難しくなってしまって。迷惑かなとも思ったけれど、宿の部屋に来てもらった。
「渡したい物があるとお聞きしました。この本のことですか?」
「あ、それは違います。だけどもう少しでお渡しすることになると思います。まだ詳しいことは内緒なんですけどね」
「はぁ……」
「今日お渡ししたいのはこっちです!」
ジャジャーンと僕はアサヒさんの目の前に一輪の花を差し出す。
「ひまわりの花?」
「はい、僕が種から育てました。異形パワーはないので、夏が終われば枯れてしまうんですけど、どうしてもお渡ししたくて」
実はこの一輪を育てるのに、数え切れないほど失敗した。最初の数年は土との相性が悪かったのか、全く根付いてくれず撃沈。その後は何とか根付く子も居たんだけど、僕が忙しくて。いろんな場所へと飛び回っているうちに枯らしてしまった。とても申し訳ないことをしたと反省しております。でも、間に合って良かったよ。どうしても僕が育てたひまわりを受け取って欲しかったんだ。
「アサヒさん、知ってますか」
コホンと一つ咳払いをして、改めて彼女と向き合う。
「ひまわりの花にはたくさんの花言葉があるんです。そんな数ある言葉たちの中で、僕がこの花に託したい言葉は……」
「……」
「『あなたは素晴らしい』」
「……あなたは、素晴らしい」
僕の言葉を噛みしめるように繰り返してくれるアサヒさん。そして両手で抱きしめるようにひまわりの花を受け取ってくれた。
「ありがとう……ございます」
もにょもにょしながら、マフラーを上にあげている。相変わらず可愛いですね、その仕草。でも、その可愛らしいマフラーも要らなくなる日が、きっと来ますよ。手袋も、ローブも、左目を隠す前髪も、全部。
だから胸を張って生きてください。身体の形なんて関係ありません。アサヒさんはアサヒさんなんですから。それだけで素敵なことなんです。素晴らしいことなんです。どうか、そのことを忘れないでください。
※※※
この本を読んでいる皆様へ。僕から最後にお願いがあります。
今までいろんなことを綴ってきましたが、この本をきっかけに、誰かを傷つけることは絶対にしないでください。僕たちはそんなこと望んでいません。
誰も悪くないんです。少し間違えてしまっただけなんです。
怒りの矛先が向いてしまうんじゃないかと心配なのは、異形駆逐専門組織であるハンター協会。
……正直、僕はハンターさんたちが憎かったです。無害な命を奪い取る彼らに、心の底から腹が立ちました。
だけど……僕自身、骸骨のお母さんに同じことをしようとした訳で。
皆さんはどうですか? 突然、目の前に人類の敵だと言われ続けている相手が現れたら、銃を向けますか? その存在が大きな体躯で、尖った爪と牙を持ち、鋭い目つきであなたを睨んだら、弾を放ちますか?
今、あなたが想像した行為と、ハンターさんの行為の間に違いはありますか?
大昔、人喰い異形が暴れている世界で、僕たちを守ろうと戦ってくれたのは、ハンターさんたちです。戦いで命を落としてしまった人も居たでしょう。身体の一部を失ってしまった人や心に大きな傷を負った人も居たでしょう。苦しくて痛くて怖くて、それでも彼らは僕らのために戦ってきてくれたんです。だから今の僕たちが居るんです。
人喰い異形が絶滅し、無害な異形だけになったけれど、人類を守りたいという想いはそのままで、日々厳しい訓練に耐え切磋琢磨しています。そんな彼らは悪ですか? 違うと、僕はそう思います。
だから、僕たちのためにずっと戦ってくれたハンターさんたちだけを悪者にしないでください。これは僕たちみんなの過ちで、罪なんです。どうか、人類を救ってくれた英雄を、黒い感情と一緒に語らないでください。
何をしても、何もしなくても、失われた命は戻ってこないし、この胸の中の傷跡が消えることはありません。だからこそ、全部抱えて前を向いてください。同じことを繰り返さないために、後悔も痛みも全て持って歩いてください。
そうやってお互いの苦しみを分け合って、異形と人間が笑顔で手を繋げる未来に、届いたらいいなと僕は思います。いえ、きっと届きます。届けますよ、必ずね。
陸奥