第41頁 怖くないですよぉ
3月20日、時、ひまわり畑。
アサヒさんが去った後、僕は一人ひまわり畑で寝転ぶ。背中全体に雪独特の冷たい感触が広がった。
『緑色です』
自然と僕の頭の中に浮かんできたのは、優しい声音で質問に答えてくれたアサヒさん。声と同じでとっても優しい顔してた。初めて見たよ、あんな顔。きっとご両親のことが大好きなんだろうな。そうじゃないと、あんな優しい顔はできないと思う。
「ご両親って、どんな方なんだろう」
いつかお会いできるだろうか。アサヒさんにはお世話になってるし、挨拶できるとといいなぁ。
あのログハウスには住んでないよね? 僕何回か訪れているけど、一度もお目にかかったことない。アサヒさんは異形の治療のために一人暮らしなのかな。まだお若いだろうに、立派だなぁ。
「ヌフッ」
それにしても、今回のやり取り。ほんの少しかもしれないけどアサヒさんとの距離が縮まったんじゃない? ね? ね? そうだよね? 質問してもいいよって許可をもらえたってことは、それだけ踏み込んでも不快ではないですよってことですもんね?
彼女と出会ってから約一カ月半。何故かずっと壁を建設されて、距離を保たれてきましたが、一歩前進! いえ、二歩、三歩の前進ですともぉ‼
「ヌフフフフフ」
今後も彼女と距離を縮められるように、頑張らねば! とりあえず、次に質問したいことを考えておこう。今日は咄嗟のことだったから、変なことを聞いてしまった。まぁ、結果オーライだったのでいいんですけどね。
んー、でも何を聞こうかな。いや聞きたいことはたくさんあるんですけども。歳はおいくつですか、とか、何でマフラー手袋をずっと付けたままなんですか、とか。でも、女性に年齢を聞くのは失礼だってお母さんが言ってたし、マフラーたちの件に関しては、多分答えたくない類の質問だと思う。
アサヒさんが答えてくれそうなやつってなると……あ、『好きな食べ物はなんですか』なら答えてくれるかな。
そもそもアサヒさんは普段食事をどうしているの? 食材の調達に村まで降りてる? それって結構大変だし、面倒くさいんじゃ。あ、でも重いのは苦じゃないのかな。以前アサヒさんの3倍くらいは体重がありそうなケルベロスを、何とか一人で持ってたもんね。というか、食材を山の上のログハウスまでいつも運んでいるから、ケルベロスを持てる筋力がついたのでは? お米とか重いですもんね。
でも、もしアサヒさんの好物を知ることが出来たら、差し入れすることもできるし、一緒に食事してもっと仲良くなれたりなんかして! キャー! そうなったらいいのにな。
……いや、キャーって何だよ。女子か。恋する乙女か、僕は。一部お見苦しい記載があったこと、謝罪申し上げます。
だけど……いつか一緒に食事をできるくらい距離が縮められたら、もっと楽しいんだろうな。
「ヌフフ、ムフフッ」
「u@、rwvn」
「ヌフ、あ、狐さんこんにちは」
挨拶しながら身体を起こせば、そこには狐さんが。だけど、何だか様子がおかしいぞ。若干腰が引けているし、顔が引きつっているような気がする。そして、僕の顔を見ると同時に、動きが停止してしまった。何かあっただろうか。状況的に考えて、僕が原因なんだろうけど……あ。
「ご、ごめんなさい。嬉しいことがあったので、変な笑い声が漏れて、ちょっと顔が緩くなっただけなんです。びっくりさせてしまいましたよね」
「……」
「怖くない、怖くないですよぉ」
どうやら普段とは違う僕の様子にびっくりして固まってしまったらしい。アサヒさんやエルが相手なら「気持ち悪いです」で片づけそうなことだけど、繊細で臆病な狐さんには刺激が強すぎたようだ。昨日も大声を出して驚かせてしまったばかりなのに、今度は視覚的暴力を振るってしまった。大変申し訳ない。
「陸奥ですよぉ、大丈夫ですよぉ」
僕はこれ以上怖がらせないように顔を引き締めつつ、それでいてニッコリと笑顔を浮かべながら狐さんに話しかける。近づくと逆効果な気がするので、一歩も動かないことを決めた。何も怖くありませんよぉ、ちょっと顔が緩んだだけですからねぇ。
※※※
そんなこんなで狐さんを宥め続けて数十分……
「@sivk」
「いやぁ、申し訳ない」
狐さんの硬直が溶け、彼女から僕に触れてくれた。良かった良かった。もうこんなことがないように気をつけますね。驚かせてごめんなさい。本当にごめんなさい。
「i[oksvd」
「はい、何でしょう」
狐さんは僕の顔をツンツンして、自分の耳を触り首を傾げた。可愛いですね、その仕草。あ、そうではなくて、ちゃんと彼女が何を伝えたいのか考えなくては。
えっと、僕の顔をツンツンしているのは、さっきの緩んでいた顔のことかな。そのことを怒っているとか? いや、怒っている感じはないか。狐さんにこやかに笑ってますもんね。
耳を触って首を傾げているのは何だろう。狐さんの耳に何かある? 怪我は……してなさそうだね。ふわふわの毛並みでとても素敵なお耳だと思います、はい。
んー、何だろう。狐さんは何を伝えたいのかな。僕の顔の緩み、耳、小首を傾げる……あぁ、もしかして。
「僕の顔が緩んだ出来事を聞きたいんですか?」
「]ifvk」
そう尋ねれば、ブンブンと首を縦に振って頷いてくれた。しかも鼻息が荒い。どうやら話を聞くのを楽しみにしてくれているらしい。
「んふふっ、実はですねぇ……」
狐さんの言動にまた頬が緩みそうになったけれど、何とか持ちこたえて先ほどのアサヒさんとのやり取りを語り始める。話が終わるまで僕の顔面が持つといいんだけど。頑張れ僕、負けるな僕。えいえいおー!