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帰還

 まだ夢の中にいるような気がする。


 心が身体から抜け出して自分を上空から眺めている……そんな気がしてならない。


 戦死者名簿にカイルの名前を見つけてからのことははっきり覚えていない。泣き叫んだのが先か、マークに告げに行ったのが先だったか……。


 マークは落ち着いてカイルの死を受け止めた。


「ありがとう、ケイト」


 それだけ言って、背を向けて家に帰って行った。大きかったマークの背中が心なしか小さく見えた。


(私のせいだ。私がアークライト家に行かなかったら。ずっとクライトンにいたら。そうしたら、カイルは軍に入らなかった)


 最後に会った時に、酷いことを言った。好きだと言ってくれたのに、応えることが出来なかった。あんな時は、嘘を言った方が良かったのでは? 希望を与えた方が良かったのではないか?


 あの時のカイルの悲しそうな顔が浮かんでくる。後悔ばかりがケイトの胸に押し寄せた。


 戦死者名簿には出身地区と名前しか載っていない。どこでどのように亡くなったのかは分からないし、遺品なども滅多に戻って来ることはない。埋葬するものが何もないのだ。


 マークの食堂を訪ねて行くと、ライルが開店の準備をしていた。マークはまだ働く気になれず、奥で横になっているらしい。


「マークおじさん」


 マークは奥の部屋の硬い長椅子の上で毛布を被って横になっていた。


「ケイト。情け無い姿を見せちまったな」


「ううん。情け無くなんかないわ。私だって、あれから何をしていても現実味がないの。あの知らせは夢だったんじゃないかって毎朝思ってる」


「死んだのはカイルだけじゃない。そう思おうとするんだがな、子供に先立たれるのは本当にこたえるんだ……埋める物は何もないがな、あいつの母親の横に墓碑を作ってやろうと思ってるよ。それくらいのことはしてやりたい」


「おじさん……」




 マークの食堂を出た後、ケイトは炊き出しへ向かった。今日が、最後の炊き出しの日だ。今後は国が主導して人々の暮らしを立て直していくはずだ。


「ケイト」


「ミレーヌ、おはよう」


「今日は少し顔がしっかりしてるわね」


「ごめんなさい、ミレーヌ。迷惑かけてしまって」


 カイルの死を知ってからもケイトは炊き出しに参加していた。だがあまりにひどい顔をしているので、裏方に回されていたのである。


「休んでも良かったのに。毎日、無理して出て来なくても」


「でも私が始めた事だから。投げ出すわけにはいかないわ。それに今日で最後ですものね」


「長かったわね……でも貴重な経験が出来たわ。平民の暮らしなど、以前の私なら一生知ることはなかったでしょうから」


 平民はただ税金を納めるだけの存在ではない。それぞれが感情もあり、ドラマもあり、精一杯生きているということを貴族令嬢達は感じていた。

 親の世代の中には『関係ない』とばかりに贅沢な暮らしを続ける者もあった。だがこうして令嬢達が平民を知る事は、いいか悪いかは別としてこれからの貴族の在り方を変えていくかもしれなかった。


 最後の片付けを終え、関係者に礼を言って炊き出しは終わった。傷病兵の看護の方も落ち着いてきており、貴族の敷地での看護は終了した。


(ブライアンはまだ帰らないけれど……)


 怪我が酷い者は動くことが出来ずにとどまっていることも多いと聞く。そのまま亡くなってしまう場合もあり、戦死者名簿は未だ張り出され続けていた。


(どうか、無事で帰って来ますように)


 ケイトは毎晩祈り続けていた。




 学園は再開されたが、ケイト達は既に卒業の時期を過ぎており、学園に戻ることはなかった。令嬢達はそれぞれ結婚に向けての準備を始めたようだった。


 ある日、アークライト家に一台の馬車が止まった。ホークス伯爵家の馬車だった。

 出迎えたモースが慌ててベンジャミンを呼びに来た。


「旦那様! ブライアン様がご帰還なさいました!」


「何だと?」


 ベンジャミンとケイトは急いで玄関ホールへ向かった。ブライアンが、無事に帰って来たのだ!  


 ブライアンの姿を見たベンジャミンは足を止めた。女性軍人の肩を借り、杖をついたブライアン。顔はやつれ、左頬に傷、左眼には眼帯が付けられていた。


「ブライアン! よく戻って来てくれた!」


「ブライアン、よくご無事で……!」


 駆け寄る二人を女性が手で制した。


「申し訳ありませんが、少尉はお疲れです。まずはベッドの方へ」


「そうか、そうだな。モース!」


「はい、準備は出来ております」


 男性使用人がブライアンを受け取ると部屋へ連れて行った。

 ホールに残されたベンジャミンとケイトに女性が恭しく礼をして話し始めた。


「申し遅れました。私はユージェニー・ホークスと申します。アークライト少尉とは同期になります」


「おお、ホークス伯爵家の。才媛と名高いご令嬢でしたな」


「いえ、私は一介の軍人です。それより公爵、アークライト少尉の事でお話があるのですが」


「それではあちらで話をしましょう」


 ベンジャミンはユージェニーを客間へ案内しようとした。


「あの、ホークス様。私も同席してよろしいですか?」


「あなたは……」


「ああ、ホークス殿。娘のケイトです。ブライアンのことを同じように心配しておりますので、同席しても構わんでしょう」


「ケイト様というと……ボンネットのお嬢様ですね。すっかり大人になられたのですね。どうぞ、ご一緒に」


「ありがとうございます」


 あの時の、ボンネットを選んでくれた同級生だったのか。五年前になるのに覚えていてくれたのだ。


「アークライト少尉の体調は、見ての通りあまり芳しくありません。長く向こうで治療を続けていましたが、これ以上とどまるわけにもいかないので私が迎えの馬車を出して連れて参りました」


「それならば我が家に言っていただければ、馬車を出しましたのに」


「迷惑をかけたくないと。そう仰るものですから」


「ブライアン。なぜ迷惑などと……」


「ホークス様、ブライアンはどのような怪我を負ったのですか? 病状は今はどのような?」


 ケイトは心配でたまらず、早口で聞いた。


「全身に傷を負い、足は骨折しております。左眼も斬られ、視力を失いました。これらの傷による高熱が続き、生死の境を彷徨っておられました」


「なんと……」


 ベンジャミンもケイトも言葉が出てこなかった。


「熱が下がりなんとか移動出来るようにはなりましたが、心の傷が大きく、しばらくは軍に復帰も出来ないでしょう。ブライアンは……優しすぎるのです」


 ユージェニーはいつの間にか、ブライアンと呼んでいた。


「彼の部隊は優秀で、誰一人欠けることなく戦い抜いてきました。ところがノートルが降伏を決める直前の戦いで、上層部がミスを犯したのです」


(誰一人欠けることなく、ということは、それまではカイルは生き残っていたということだわ)


「大事な戦いでした。ブライアンの部隊を含む精鋭達が戦っているというのに、援軍を予定とは違う場所に送ってしまった。孤立した彼らはそれでも戦い続け、立派に自分達の役割を果たしました。そしてやっと援軍が到着し、ノートルを降伏させるに至ったのです」


「その戦いで精鋭部隊はほぼ全滅。生き残った者も酷い怪我を負い、救出後亡くなる者もいました。ブライアンはその責任を感じ、また、自分だけが生き残ってしまったことへの罪悪感を感じています。そして、彼が特に可愛がっていたカイルの死が、彼の心に深刻なダメージを与えています」


「カイルの、死が……?」


「はい。最後の戦いの折、目に傷を負って一瞬の隙が出来てしまったブライアンをかばって、カイルが敵の刃に倒れてしまったのです」


「そんな……」


 ユージェニーも辛そうだった。戦場での事を思い出してしまっているのかもしれない。


「これを、ケイト様に渡すよう頼まれました」


 懐から白い紙に包まれた薄い物を取り出して開いた。中には、茶色い髪が一房、包まれていた。


「まさか、カイルの……?」


「はい。カイルの髪です。身体は向こうに置いたままにされるので、これだけでもと。形見になればということのようです」


「カイル……ブライアン……!」


 ケイトは涙があふれてきた。カイルの事を思い、ブライアンの気持ちを思い。言葉は何も出て来なかった。ただただ、涙だけが静かに流れていた。


「ケイト様の顔を見るのは辛いと仰っていましたので、しばらくはそっとしておいて差し上げては」


「私の顔を見たくないということでしょうか……」


「ケイト様を見ると嫌でもカイルを思い出すのでしょう。お世話は使用人に任せて、ご家族の方はあまり話などなさらない方がいいと思います。私が、軍の帰りに毎日寄ってブライアンの様子を見ましょう。今までずっと見てきましたので変化がわかりますから」


「承知いたしました。ホークス殿、よろしく頼みます。心の病には時間が必要だというのは、妻の時によく分かっております」


「分かっていただけて幸いです。では、私はこれから軍の方に向かいますので。また明日、夕刻お邪魔いたします」


「ありがとうございます、ホークス様。よろしくお願いいたします」


 ケイトは深く頭を下げた。自分には今何もすることが出来ないのだ。彼女に任せるほかない。


(ブライアン……それでも、帰って来てくれて嬉しい。同じ屋根の下にいられるだけで充分だわ。私を見るのが辛いなら、絶対に顔を出さない。ゆっくりと、心身の傷を癒やして欲しい)





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