アーサーの訪問
第二王子アーサーは近頃気分が良かった。
まず朝食のメニューを自分で決めるようになった。以前は出されたものがあまり欲しくなかったとしても変更を言い出すことが出来なかった。
父母や兄は平気で取り替えさせていたが、アーサーはせっかく作ってくれたのにと思うと何も言えず、その結果、あまり食べられなくて残してしまうことが多かった。
だがまずは朝の着替えをする時に使用人に食べたいものを伝えることにした。
「今朝は食欲がないからサラダとヨーグルトだけで」
「今日はパンケーキとフルーツが良い」
これがシェフには好評で、『殿下がやっと食に興味を示してくれた』と喜んでいるという。
食事のメニューだけでなく、服装も自分で決めるようになった。迷った時は相談するが、あれこれと考えるのは楽しい。人前に出てからしまった! と思うこともあったがその次からは気をつけるようになるので失敗はだいぶ少なくなってきた。
大したことではないが、自分で決めるという経験は徐々に自分に自信を与えた。
休日には父や兄はよく狩りを楽しむ。アーサーも行きたいとかねてから思っていたのだが、いつも止められていた。
「お前は身体が弱いのだからやめておけ。怪我でもしたらいけない」
そう言われるとそうだなあと思い、大人しく引き下がっていたが、最近は行きたいと強く主張するようにした。
すると驚かれはしたがあっさり連れて行ってもらえた。意外と簡単に許しが出たので呆気なく思えたくらいだ。
もちろん最初は何の成果も出せなかったが、それを悔しく思い乗馬や弓の練習をするようになったので、何回目からか獲物を仕留めることが出来るようになった。
父母はアーサーを褒めてくれるようになった。大人しくて何を考えているかわからなかったアーサーが、自分の意志で行動するようになったと喜んでくれたのだ。
時には叱られることもあった。だがその失敗は二度と繰り返さないし、その度に賢くなれた気がした。
アーサーは、自らの評判を上げることに成功したのである。
そんな頃、妊娠中の王太子妃に待望の男児が生まれた。
(何とめでたいことだ! この子が第二継承権を持ち、私は第三位になった。王子はまだ何人か生まれるだろうし、そうすると、私が王になる可能性は低くなってくる。それならば、私は平民の血を引く妃を娶っても構わないのではないか……?)
アーサーは自分の妃も自分で決めたいと、そう思うようになっていた。
ケイトが入学して一年が過ぎた。今年十七歳になるケイトは穏やかな日々を過ごしていた。
学園では勉学に励み優秀な成績を収めていた。親しいと言える友人は出来ていないが、クラスメイトとたわいのない話を出来るくらいにはなっている。
そして、あれからブライアンは時々カイルを連れて来てくれるようになった。三人で過ごす休日はとても楽しいものだった。
だがそんな楽しい日々もいつかは終わりが来る。
(あと一年経てば学園を卒業する。そうしたら誰かと婚約し結婚するでしょう。最初の時以来お父様は私とブライアンを結婚させるという話をしなくなったから、きっともう諦めたのでしょうね)
ブライアンと結婚するのでなければ、自分は誰と結婚するのだろう。
普通の公爵令嬢ならばどこの家でも歓迎され尊重されるはずだ。貴族の結婚は政略結婚が主なのはケイトも理解している。だから父の勧める縁談に従う覚悟は決めている。
(問題は、平民の子である私を受け入れてくれる家があるかどうかなのよね……)
高位貴族は平民に対する拒否感が強い。だから下位貴族にしか嫁ぐことは出来ないだろう。アークライト公爵家にとってメリットのある結婚は出来ないのかもしれない、とケイトは考えた。
(どうせならアークライト家にとって価値のある結婚が出来たら良かったけれど、今さらどうしようもないもの。なるようにしかならないわ)
そんなある日の休日、王宮から使者がやって来た。
「第二王子殿下が本日午後お伺いしたいと仰っています」
「何だと? アーサー殿下が? いったいどうしたことだろう」
ベンジャミンは急いでもてなしの準備をさせ、ケイトとブライアンにも一番良い服に着替えるよう命じた。
(アーサー、急にどうしたのかしら。学園では何も言ってなかったけど……)
近頃のアーサーはとても自信に溢れていて、王族らしい堂々とした佇まいになってきたと評判だった。(ケイトは他の王族を知らないので、王族らしい佇まいというものがよくわからなかったが)
アーサーとは週に一度は一緒に昼休みを過ごしている。だがミレーヌとも同じくらいの頻度で昼食を共にしているようなので、自分はあくまでも友達としての感覚であった。
「急にすまないな、アークライト公爵」
「いえ、アーサー殿下。お越し頂き光栄至極に存じます。本日はどのようなご用件でしょうか?」
「ケイトと学園で仲良くさせてもらっているのでね。お礼を言いがてら、遊びに来たのだよ」
「左様でございますか! ではケイト、庭園をご案内して差し上げるのだ。その後、客間にお連れしなさい」
「はい、お父様」
「ケイト、畏まらずにいつもと同じでいいぞ」
「はい、殿下。でも今日は殿下が制服ではないので緊張してしまいます。やはり王族の方の服装は素晴らしいですね」
「ありがとう。色合わせも自分で決めているんだ。ケイトのおかげだよ。それより、ケイトのドレス姿も素敵だ。華やかなエメラルドグリーンのドレスがよく似合う」
ストレートに褒められてケイトは照れてしまい、顔を赤くした。
「殿下、褒め言葉がスラスラ出るようになりましたね!」
二人は笑いながら庭に出て行った。それを見送りながらベンジャミンがブライアンに言う。
「ブライアン、どういう事だと思う?」
「殿下はケイトを気に入っているのではないでしょうか」
「やはりそう思うか。近頃殿下はすっかり大人っぽくなられ、王子に相応しい品格を身に付けてきたと評判だ。世間ではシェルダン家のミレーヌが婚約者になると言われているが、家の格ならば我が家も同等だ。もしも殿下が望まれるのであれば、ケイトが王室に入ることもあるやもしれんな」
「そうですね。兄の王太子殿下は先日お生まれになった王子殿下を跡継ぎになさりたいでしょうから、王妃に相応しくない妃を弟が持つことはむしろ歓迎すべきことかもしれません」
「ケイトにとっては針の筵のような結婚だろうがな。王族に平民の血が混ざることに強い拒否感はあるだろう。殿下が守って下さるとよいのだが」
「ええ。今、見たところではケイトにぞっこんのようですね」
「まあ成り行きを見守るしかないな。そうだ、もしケイトが殿下と結婚することになったら、お前にも早く相手を見つけねばならんな。アークライト公爵家を継ぐ男子を作ってもらうためにも」
「はい。父上の望むままに」
ブライアンはぼんやりと庭の方を見つめながら答えた。
庭に出た二人は学園の話などしながらそぞろ歩いていた。
噴水の横に設えてある薔薇のアーチを見たアーサーは、足を止めて見事だと褒めた。
「薔薇は華やかで美しいな」
「そうですね。匂いもとても素敵です。殿下は薔薇がお好きですか?」
「薔薇も好きだが紫のライラックが好きだな。匂いも、可憐な花も。花言葉を知ってるかい? ケイト」
「ライラックの花言葉は確か『友情』でしたわね」
「ああ。でも紫色のライラックの花言葉は、『初恋』なんだ」
アーサーはケイトの手を取り、正面から顔をじっと見つめた。
「ケイト。私は君が好きだ」
「えっ……」
「君に私の妃になって欲しいと思っている。君の気持ちはどうだろうか? 聞かせてくれないか」
「でも殿下、私は平民の母を持つ者です。王室に入れる資格はありません」
「私は決めたんだ。自分のやりたいようにやると。君が私の気持ちに応えてくれるなら、どんな困難も乗り越える自信がある。君を不幸にしたりしない。どうか、私と結婚して欲しい」
ケイトはあまりに突然のことに頭がグルグルと回っていた。アーサーの事は好きだ。だがそれは友情なのだ。こんな半端な気持ちで王室に入れる筈がない。
「殿下、あの……私、今、混乱しています。今すぐのお返事は出来そうにありません」
「ああ、もちろんだよケイト。驚かせて悪かった。それに、無理強いするつもりもないんだ。これは正式な申し込みではないのだから断ってくれても構わないんだよ。ただ、私の気持ちは知っておいて欲しいんだ」
アーサーはケイトの手の甲に優しく口づけた。ケイトは何故だか身体が震えていた。
「殿下、私、よく考えてみます……その間、昼休みにお会いすることを控えてもいいですか?」
アーサーはわずかに顔を曇らせたが頷いた。
「構わないよ。よく考えておいてくれ。私もあちこちに相談をして、君にいい返事をもらえたらすぐに正式な申し込みが出来るように準備しておくよ」
「はい、殿下」
アーサーが帰った後、ベンジャミンがケイトに告げた。
「ケイト。殿下は根回しをすると仰ったが並大抵な事ではないだろう。もしかしたら長い間交渉した上で婚約不可ということもあるかもしれない。だがそれでも、もしも殿下に正式に望まれたらこちらにそれを断るという選択肢はない。それだけを覚悟しておきなさい」
「はい。でもお父様……殿下はまず私の気持ちを知りたいと仰いました。もし私が殿下のことを好きではないとお断りすればどうなるのですか?」
ベンジャミンはケイトの肩にそっと手を置いた。
「ケイト。殿下に恥をかかせることなど出来ないのだよ」
ケイトは絶望を感じていた。何故そう思うのか、自分でもわからなかった。ただ、罠にかかったウサギのように、自分にはもうどうすることも出来ないのだと感じていた。
(あれ程、お父様が決めた縁談に従うと覚悟をしていたはずなのに。どうしてこんなに辛いんだろう。アーサーのことは嫌いではないわ。きっと、ずっと優しく愛してくれると思う。それなのに何故……)
その夜ケイトはベッドの中で一人泣き続けていた。月明かりが差し込み、いつもより部屋は明るい。
(今日は満月なのね……)
眠れないケイトは、そっと中庭に出て行った。池の方に進んで行くと、立っている人影が見えた。
「……ブライアン」
ブライアンがゆっくりと振り向いた。
「ケイト。どうしたんだ。眠れないのか?」
「ええ。ちっとも眠くならなくて」
ブライアンが右手を優しくケイトの頬に当て、親指でそっと目の下を拭った。
「泣いていたのか」
「……」
「殿下と結婚するのが嫌なのか?」
「わからないの。アーサー殿下の事は友人として好きだわ。でも結婚なんて考えたこともなかった。お父様の言う通りにどんな縁談でも受ける覚悟はしていたけれど、王室だなんてあまりに突然で……」
話しているうちにまた涙が溢れてきた。するとブライアンは優しくケイトを抱き寄せ、頭を撫でてくれた。逞しいブライアンの胸に頭を預け、ケイトは声を出さずに泣いた。
「ケイト、殿下は優しい方だ。きっとケイトを一生大切にしてくれる。父上や私もケイトが不遇な目に合わないよう全力でサポートする」
ケイトはブライアンの胸に顔を埋めたまま頷いた。
「それに、殿下が上手く王室と交渉出来ず、正式な申し込みは出来ない可能性もある。だから泣くな」
ケイトはぐすん、と鼻を啜った。
「殿下に望まれたけれど結婚は出来なかった、となれば、きっと私は嫁ぎ先が無くなってしまうわね。そしたらずっとこの家にいてもいい……? お父様とブライアンと一緒に……」
「ああ、もちろんだ。もしそうなったら、父上の言う通り私と結婚してこの家を継ごう」
ケイトはその言葉を聞いてピタリと泣きやんだ。
「本当に? ……ブライアンは嫌じゃないの?」
「嫌ではないよ。ケイトのことは大切に思っている」
(この言い方は、妹として家族として、大切に思ってくれているということよね……でも、それでもいい)
「ありがとう。なんだか気が楽になった……」
泣きやんだが一向に離れようとしないケイトの頭を、ブライアンは月明かりの下いつまでも撫でてくれていた。