幼馴染
翌朝いつものように入り口で全体に挨拶をしたのだが、クラスメイトの反応が違っていた。
「皆さん、おはようございます」
いつもなら誰も返事の無い中を席に着くのだが、今日はあちこちからおはようございます、と返事があった。
(あら……?)
自分の席に座ると、隣の生徒が話し掛けてきた。
「おはようございます、ケイト様。私、アシュリー・シモンズと申します。よろしくお願いいたします」
(あらあら? 初めて自己紹介してくれたわ……?)
「先日は教科書を見せてくれてありがとう、アシュリーさん。よろしくお願いしますね」
そう言うとアシュリーは可愛らしく微笑んだ。
(どうしたのかしら、今まで誰も話をしてくれなかったというのにこの変わりよう……)
昼休みになると、ミレーヌに声を掛けられた。
「ケイト・アークライト様。私、ミレーヌ・シェルダンですわ。宜しければ今日のお昼、ご一緒にいかがかしら」
「まあ、ミレーヌ様。光栄ですわ。ぜひ、ご一緒させてくださいませ」
(どう考えても、昨日のことが影響してるわよね……こんなに急に状況が変わるなんて。良いことか悪いことか、とにかく話をしてみないとわからない)
カフェテリアでは一番奥まった広い席が王族用でその隣に公爵家用の席があったらしく、そこに案内された。
(こんな奥に専用の席があったのね。そんなの知らないから、今まで外のテラス席でササッと食べてたわ……私は外の方が気持ちいいから別にいいけどね)
ミレーヌはきちんと背筋を伸ばして座り、どこにも隙の無い完璧な公爵令嬢に見えた。
「ケイト様。今回は我が公爵家の寄子であるヘイズ子爵とペリー男爵の娘が無礼を働いたようで、申し訳ございませんでした」
「いえ! もう済んだことですし、お気になさらないで下さい。ところでミレーヌ様、その話はどこでお知りになられたのでしょうか」
あれ程にミレーヌに知られるのを恐れていた二人である。自分達で話したとは思えない。
「我が公爵家の情報網を見くびらないでいただきたいの」
ミレーヌは落ち着いた低い声で言った。
「良くない行動をしたのなら、自分で始末をつけるのが貴族というものです。あの二人は昨日付けで学園を辞めさせましたからもうご迷惑をおかけすることはございません。ご安心下さいませ」
「そんな。辞めさせるまでしなくても」
ミレーヌはキッと睨みつけケイトにキツい視線を送った。
「あなたにはわからないかもしれませんが、私達のような身分の者には貴族としての誇りがあります。それを傷つけた者を、私は許しません」
ミレーヌの顔には迷いなど何一つ無かった。誇りこそが生きていく上で一番大切だと信じているのだ。
「ところであなたは第二王子殿下に想いを寄せていらっしゃるのかしら」
「いいえ! そのような感情は私は持っておりません。殿下からも、友達だというお言葉をいただいております」
「そう。それならばいいのです。王族に輿入れするというのは生半可な覚悟では出来ぬこと。ましてや平民としての暮らしが長かったあなたがとても生きていける世界ではありません。その点をわきまえていただきたいわ。私が言いたいのはそれだけです」
では、とミレーヌはそのまま席を立ち、カフェテリアを後にした。ケイトはミレーヌの貴族としての矜持に圧倒され、むしろ感嘆してその姿を見送った。
それ以来、クラスの生徒たちはケイトを無視することはなくなった。とはいえ積極的に仲良くはしてくれなかったが、話し掛ければ答えてくれる。それだけでも随分楽になった。
(きっとミレーヌが生徒たちに指示を出したのでしょう。これで充分だわ。これなら勉強に集中出来るし助かるわね)
こうしてようやく学園生活が落ち着いた頃、ブライアンも訓練期間を終え少尉として任務に就くことになった。そしてある日、ケイトにこんな事を聞いてきた。
「ケイト。クライトン地区のカイルという男を知っているか?」
「カイル? カイルですか? 知ってます! 私が住んでいた家の近所に住む幼馴染です。ブライアン、カイルを知ってるんですか?」
「私の部隊に配属されてきた新人兵なんだ。募集で入ってきた平民だが運動神経がやたら良くてな。元気もいいし何かと目をかけていたら今日、ケイトは元気かと言ってきた。私がアークライト姓だから、ケイトの関係者だと思ったんだそうだ」
「カイルが軍に……? カイルは、マークおじさんの手伝いをするため料理人になると思っていたのに」
「どうしても叶えたいことがあると言っていたな。何のことかは教えてくれなかったが」
(どうしても叶えたいこと……? 何だろう)
「それで、ケイトが会いたいなら連れてきてやってもいいんだが」
「えっ、本当ですか?」
「ああ、休日に家に呼ぶのなら構わないだろう」
「ぜひ会いたいです! もう三年以上会ってないんですもの。大きくなってるのかしら」
「なら今度の休みに連れて来よう。カイルも喜ぶだろうな」
「私も楽しみです! ありがとう、ブライアン!」
ケイトは思わずブライアンに抱きつき頬にキスをした。ベンジャミンにはしょっちゅうしているが、ブライアンには初めてだった。
ちょっと怯んだ様子のブライアンに、ケイトはしまったと思った。抱きついたりして、嫌な思いをさせたかもしれない。
「……じゃあ、カイルには伝えておく」
ブライアンはそのまま部屋に入ってしまった。
(あーあ……嬉しくてつい、やってしまったわ。怒ってる風ではなかったけれど、気まずい感じになってしまった。これからは気をつけよう……)
そして約束の休日。
アークライト家にやって来たカイルは、まず門から屋敷までの距離に圧倒された。
(何だよこれ! 公園かよ!)
あまりに遠いので途中で走ることにした。
(毎日ここを走るだけでも訓練になりそうだな)
そしてようやく玄関に到着した時にはじんわりと汗をかいてしまっていた。
「カイル!」
ホールから懐かしい声が聞こえ、ケイトが走り出て来た。
「ケイト……!」
昔のようにハグしたかったが、汗をかいているし少尉も見ているし、近付いて来たケイトがあまりに綺麗になっていたのでハグなんてしてはいけない気がした。だから手を差し出した。
「カイル、久しぶりね! 元気だった? マークおじさんやトムおじさん、みんな元気?」
ケイトは両手でカイルの手を握り、ブンブンと振り回す。
「カイルも背が高くなったわね! 肌も日焼けして
男らしくなってる!」
「ケイトも元気そうで良かった。安心したよ」
「ケイト、そのくらいにしてまずはお茶を出してやったらどうだ。喉が乾いているようだぞ」
「あっ、そうね、ブライアン。ごめんなさいカイル、こちらへどうぞ」
「あっ、アークライト少尉、ご挨拶が遅れました。本日はお招きいただきありがとうございます」
カイルはブライアンに敬礼をした。
「今日は堅苦しくしなくていいぞ、カイル。妹の幼馴染が遊びに来ただけだからな」
「はい、ありがとうございます!」
客間に通されたカイルは高そうな食器にお茶の用意をするケイトを見つめていた。
(もの凄く広くて豪華な部屋だな。服も上等な物だし、何もかも、俺とは違う。本当にケイトは公爵令嬢になったんだな……)
「はいどうぞ、カイル。お菓子は私が焼いたのよ。トムおじさんのところで鍛えた腕が結構役に立ってるわ」
「ははっ、あの頃はケイト、パンをたくさん作っていたもんなあ。その後は俺んちで野菜を切って」
「そうそう。今でも時々、マークおじさんの賄いを食べたくなる時があるわ」
「そんなに美味しいのかい? 私も食べてみたいものだ」
「少尉、ぜひ次の休みにはおいで下さい! 私がご案内します!」
「ありがとう。そのうちお邪魔させてもらうよ」
二つ歳上のブライアンをカイルは尊敬していた。武芸に優れ、体力も知力もあり、それでいて威張り散らす事もなく常に下の者に目を配ってくれる。直属の上司がこの方で良かったと心から思っているのである。
(俺と同じ二等兵でも、他の少尉の下に配属された奴は酷い扱いをされていたりするからなぁ。そういう上司は上の者にはヘコヘコして、そのストレスを新人いびりで晴らしているんだからタチが悪い)
アークライト少尉の家に引き取られたならばケイトも幸せに違いないと思っていた。そして今日実際にケイトの様子を見て、その予想は正しかったと感じた。
「ねえカイル、どうして料理人になるのをやめたの?」
「ん? ああ、ライルがもう親父より腕を上げててさ。バリバリ働いてるから俺がいなくても大丈夫。だから俺は俺で、自分のやりたい事をやろうと思ったんだよ」
「へえ〜。じゃあ、カイルのやりたい事ってなあに?」
「……内緒だよ!」
ニコニコして自分を見つめるケイトの鼻の頭をピンと指で弾いた。
「痛ーい! こんなの久しぶりにやられたわ、カイル!」
プンプンと怒った振りをした後楽しそうに笑い声を上げるケイトと一緒に笑いながら、カイルはこの時間が永久に続けばいいと思っていた。
(俺のやりたい事は、たぶん絶対に叶わない事だ。それが叶わなくても、こうやって少しでも側にいられたらそれでいい……)
「ブライアン、今日は本当にありがとうございました」
カイルが帰った後、ケイトはブライアンにお礼を言った。
「二人とも楽しそうだったな。話も随分弾んでいた」
「久しぶりでしたもの。近所の人々の近況も聞けて良かったですわ」
「……ケイト、クライトンに帰りたいと思うことはないのか?」
「時々、夢に見ることはあります。自由であったかくて楽しかった場所ですから。でも今は、この屋敷が私の家です。お茶目なお父様と優しいブライアンがいてくれるここが。私、今本当に幸せなんです」
「そうか……それなら良かった」
お休み、と言って頭をポンと叩くとブライアンは自分の部屋に入って行った。
「お休みなさい、ブライアン」
ケイトは今しがたブライアンの手が置かれた部分に触れながら、後ろ姿を目で追っていた。