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ユージェニーの提案

 ブライアンが戻ったその日の夜、中庭の向こうにある彼の部屋の明かりは早々に消えた。ブライアンは眠れているのだろうか。戦地から戻った兵士は不眠に悩まされていると聞く。


(家に戻ったことで少しでも安らいだ気持ちになっていて欲しい……)


 だが自分には何も出来ないもどかしさに、ケイトも眠れぬまま夜が更けていった。


 翌朝、朝食を届けた使用人によればブライアンはベッドに寝たままぼんやりと目を開けていたという。


「ですが、まだお声を聞いていないのですよ」


「そうなのか?」


「はい。それに、こちらの言うことをわかってらっしゃるかどうか、定かではありません」


「そうか。だが無理に話させようとすることはならん。ゆっくりだぞ」


「はい。承知いたしております」


 話す気力も無いということなのだろうか。側に居たいと思うケイトだが、それはしてはならないことなのだ。


「お父様。今日は私、ちょっと出掛けて参ります。カイルの髪を届けに」


「おお、そうか。ブライアンも気にしているだろうからな、早い方がいい。私は今日は家にいるから、行っておいで」


 ケイトは小さなロケットペンダントを用意して、マークに会いに行くことにした。カイルに会いたい時にいつでも会えるように、手元に残しておくためだった。


 マークは、今日は店で開店準備をしていた。少し動けるようになったのだろう。


「おじさん」


「ケイト、どうしたんだい」


 ケイトは奥の部屋に入らせてもらい、マークに髪を見せた。


「ケイト……! これは」


「カイルの髪です。軍の方が、カイルの最期を話してくれました。カイルは最後まで立派に戦い、上官をかばって死んで行ったと聞きました」


「そうか……あいつは、立派に役目を果たしていたんだな……」


 マークが肩を震わせ、涙をこぼした。ずっと、ケイトに涙を見せることはなかったマークが。


「ありがとう、ケイト。軍の人がこの髪を取っておいてくれたのかい」


「ええ。せめて形見にと言って。ねえおじさん、私も一本だけ、髪をいただけないかしら。カイルの思い出を取っておきたいの」


「いいとも。ケイトに持っていてもらえるならあいつも喜ぶだろう。後は俺が半分持って、墓に半分持って行こう。母親と同じ所に埋めてやるつもりだ」


 マークはケイトに髪を一本渡した。ケイトはその髪をそっと丸め、ペンダントに入れて首に付けた。


「ありがとう、おじさん」


「こちらこそだ。ケイトが軍の人の知り合いだったからこうして遺髪を持ってきてもらえたんだ。そうでなけりゃ、実家までわざわざ遺品を届けるなんてことはないだろう。ありがとう、ケイト。やっと、気持ちにひと区切りつきそうだよ」


(私じゃない、ブライアンのおかげだわ。私は何もしていないもの。……でもこの事を、ブライアンに直接話すことは出来ない。カイルを思い出してしまうから)


 いつかまた、ブライアンとカイルのことを話せる日は来るのだろうか。ケイトは心から戦争を憎いと思った。三人で笑い合ったあの楽しかった日々を、永遠に葬り去った戦争という悪夢を。




 その日の夕方、ユージェニーが軍服のままアークライト家を訪れた。ケイトはまずマークのことを報告した。


「ホークス様、今日カイルの髪をご遺族にお渡しして来ました。とても感謝していましたわ。ありがとうございました」


「そうですか、良かった。でもブライアンにはまだ伏せておきましょう。カイルを思い出して辛いかもしれないから」


「はい、お任せします」


「では私がブライアンの様子を見てきましょう。夕食も持って行きます。彼は、私がいれば食事を食べるので」


 ベンジャミンが心配そうな顔で言う。


「ホークス殿、ではお願いします。実は朝食も昼食も、声は掛けているのですが反応が無く全く手をつけていないのです。このままでは身体が回復しないのではと心配だ。それに一言も喋らないし……」


「分かりました。少しでも食べられるよう元気付けてみます」


 ユージェニーは夕食を載せたトレイを持ってブライアンの部屋に入り、しばらく出て来なかった。それから一時間程経っただろうか、彼女は微笑んで出て来た。


「ゆっくりと時間をかけて食べさせましたから、半分くらいは食べることが出来ました。薬も飲ませておきましたから」


「おお、良かった、かたじけないホークス殿。ブライアンは何か言っておりましたか?」


「いえ、何も。ただ、私の言う事はわかっているようです。ところでアークライト公爵、医者は何と言っていましたか」


「そうだった、ホークス殿、医者の手配までしていただいてありがとう。今日の午後来てくれたよ。彼の話によると傷はまだ痛みがあり熱も微熱ながら続いているそうだ。薬は続けて飲み、無理はしないようにと」


「そうですか。まだまだ、時間はかかりそうですね。ではまた明日参ります」


「ホークス様、本当にありがとうございました」


 ケイトが頭を下げた。


「ケイト様、ユージェニーでいいですよ。ホークスじゃ堅苦しくて」


「はい。ではユージェニー様、また明日お待ちしております」


 いつも凛々しいユージェニーだが、笑うとやはり女性らしい柔らかな笑顔だ。


「それでは」


 そう言って軍人らしく大股で帰って行った。




 次の日も、ブライアンは目を開けてはいるが何も見ていない様子で、ただ横たわっていた。ベンジャミンもケイトも顔だけでも見たいと思うのだが、自分達が顔を見せるとブライアンの負担になることを考えるとそれは出来なかった。


 夕方やって来たユージェニーはブライアンに食事を取らせた後、ある提案をした。


「ケイト様、しばらく領地の邸宅へ移るなど出来ませんか?」


「ユージェニー様……それはどうしてでしょうか?」


「ブライアンはどうやらケイト様が近くにいることそのものが辛いようなのです。落ち着くまでは遠い所に行っていただいた方が、彼のためにもいいかと」


「そんなに……そんなにブライアンは私のことを?」


「今は心の病気ですから。負担になることは避けるべきなのです。心の平穏を取り戻すためにも」


「……そうか。妻のマリアもそうだったな。ハンナを遠ざけてしばらく経ってからやっと落ち着くことが出来た。ならばケイト、そうしよう。お前を一人で行かせる訳にはいかんから私も一緒に行く。ブライアンのことはモースや使用人達と、ホークス殿に任せてみよう」


「わかりました。ブライアンのためなのですね」


「無理を言って申し訳ありません、ケイト様。少しでも早くブライアンが回復出来るようにと思ってのこと、お許しください」


「いやいや、ホークス殿が良くしてくれているのは分かっております。では私とケイトは領地へ移り、用がある時だけこちらへ戻ることにしましょう」


「ご理解いただきありがとうございます」



 ユージェニーの提案に従いベンジャミンとケイトは領地へ移った。田舎で気候が良くのびのびとした雰囲気に、ブライアンがこちらに来た方が身体にいいのではないかしら、とケイトは思った。


「ねえお父様。ブライアンをこちらへ移すのはダメなのかしら」


「うむ、だがそうなるとホークス殿が仕事帰りに寄ることが出来なくなるからなあ。今は彼女が頼りなんだし」


 ブライアンではなくユージェニー中心の看護に何かしら釈然としないケイトだった。




 領地に移って二週間経った頃、ユージェニーに呼ばれて一度屋敷に戻ることになった。すると、またしても驚きの提案が待ち受けていた。


「アークライト公爵。実は、ご提案があります。ブライアンと私の結婚を考えていただけないでしょうか」


「結婚?」


 ベンジャミンもケイトも寝耳に水の話で驚きを隠せなかった。


「はい。ブライアンはいつ回復するとも分かりません。このまま公爵とケイト様を領地に遠ざけておくのも無理があります。ですが、ブライアンがこの家を出て行くのなら話は別です。それならばブライアンも楽になるし、お二人も戻って来られます」


「いやしかし、ブライアンは何と……?」


「今の状態を見れば私にだけ心を許しているのがわかるでしょう。幸い私には男の兄弟がいません。ですから、ブライアンに我が家に婿入りしていただき、私が男子を生んでホークス家の跡取りにしたいのです」


「では我がアークライト家は……」


「ケイト様が婿をお取りになればなんの問題もないでしょう。そもそも、本人達の気持ちを無視してブライアンとケイト様を結婚させるだなんて、その方がおかしかったのですよ。ねえ、ケイト様?」


 あまりに突然の話に理解が追いついていなかったケイトだが、今まさにブライアンが奪われようとしているのだけはわかった。ケイトに呼びかけるその表情は、笑顔ではあるが目が笑っていない。獲物を狩る鷹のような、獰猛な目に思えた。


「待って下さい! 私は……私は、ブライアンが好きなんです!」


 思わず大きな声で叫んだケイトにベンジャミンは驚き、ユージェニーは顔をしかめた。


「私は、ブライアンを愛しています。ブライアンは嫌がっていたけれど、私はずっとずっと……好きだったんです。せめて、ブライアンの病気が治るまで。彼の心が平常に戻るまで、待っていただけませんか?」


「そんなのいつになるかわからないでしょう。それに、ブライアンはあなたの顔も見たくないほど嫌がっているんですよ。それなのに、彼の気持ちを無視して自分の気持ちだけを押し付けるつもりですか?」


「それでも、ブライアンの口から気持ちを聞かせてほしいのです。ブライアンにそう言われるのなら諦めます。でもこんな状態では、嫌です」


「ホークス殿、ブライアンに会わせてくれ」


 ベンジャミンはケイトの手を引いてブライアンの部屋へ入ろうとした。


「お待ち下さい。彼はもう眠っています」


「もうひと月近く顔も見ていないんだ。ブライアンの顔を見せてくれ」


 ユージェニーを身体で押し除け、ベンジャミンはドアを開けた。


 ブライアンはベッドに横たわっていた。目は閉じているようだ。


「ブライアン!」


 ベンジャミンとケイトがブライアンの側に走り寄り、声を掛ける。


「やめて下さい。今眠ったところなんです!」


 ユージェニーが追い返そうとするが、二人は構わず声を掛けた。


「おいブライアン、目を開けてくれ。ブライアン!」


 するとゆっくりと瞼が開いた。


「ブライアン、私だ! わかるか?」


「ブライアン、ケイトよ。お願い、返事して!」


「……夢か……?」


「ブライアン、夢じゃないわ。私達ここにいるわ!」


「……ケイト」


 ブライアンの手がゆっくりと動き、ケイトの手に触れた。


「旦那様! その方の言う事を聞いてはなりません!」


 その時バタンとドアが開き、モースが部屋に飛び込んで来た。


「ホークスは、ブライアン様に薬を盛っていたのです! 医師と結託して……! 」










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