受け入れられて
ミオイが再び目を覚ますと、狼牙はすでに起きていた。
寝顔が見られなくて残念、とミオイがこっそり思ったのは、狼牙には内緒だ。
白達が入手してくれた薬草のおかげで、解毒はしっかりできている。回復はミオイの体力次第、ということだったのだが、だいたいが常人より体力のあるミオイなので、身体はもう元気だ。
ただ、ウォグ島でさんざん暴れ回ったため、アバ島でできた足の傷の一部がまた開いてしまった。ケガの治りも常人よりは早いようだが、やはり一気に全てが完治するとまではいかない。いくつかの深い傷が、今回のことでまた要治療になってしまった。
それと、魚の毒針でできた腕の傷口も、毒の効果でか少しただれている。
眠っている間にそれらの傷は治療されていたが、また薬をつけるために包帯が取られた。フォンシー村にいた時は、包帯なんて一度も巻いたことなかったなー、とミオイはその様子を見ながら思い返す。
起き上がってベッドに腰掛けるミオイの傷を、狼牙は手早く処置していく。腕の傷に改めて包帯を巻き、足も同じように的確に治療していった。手慣れた動作に、ミオイは感心して見入っている。
「細かい傷もあるから、もう少し薬を調合した方がいいかな。水が足りねぇから、おれ、食堂に行ってもらってくる」
水を入れるための瓶を持って、白は医療室を出て行った。
「ありがとう、狼牙」
大きな傷の治療が終わり、ミオイは狼牙に礼を言った。
「お前の回復力ならすぐに傷も閉じるだろうが、もうしばらくはおとなしくしていろ。走るなよ」
「うん……」
ミオイだって、船の上で暴れようとは思わない。さんざん走り回ったから、力を発散させる必要もない。
フォンシー村で同じような状態になったら、誰が手当てしてくれるだろう。
ふとそんなことを考える。手当うんぬんの前に、暴れるミオイは敬遠され、遠巻きにされるのがオチだ。いや、遠巻きどころか全員がすぐに逃げて行くだろう。
どちらにしろ、誰も関わろうとはしない。
でも、この船にいる人達はあたしのために動いてくれて、狼牙は見捨てずにちゃんと見付けて連れ帰ってくれた。
そのことを考えると嬉しくて、改めて狼牙のことが好きだという気持ちが強くなる。
好きと言ったら、重いと言われたの。
ミオイの頭の中に突然、アバ島のカフェにいた女性達の言葉が頭に浮かんだ。
なぜ、今頃になって思い出してしまったのだろう。温かくなった気持ちが、急に凍らされたような気分になる。
重い、とは何なのだろう。受け入れられない、という意味だろうか。どうしてそんなことになるのだろう。
これがフォンシー村なら。ミオイが誰かを好きと言えば、その相手はドン引きしてしまうだろうから、口には出せない。もっとも、そうなるとわかっているから、そういう感情はずっと持たないようにしていた。
だが、好きという感情は悪いものではない、と思っていたのに。
とにかく、好きと言って重いと思われるなら、口にするのは控えるべきだろう。ようやく自分がいてもよさそうな場所が見付かったのに、また受け入れてもらえなかったらつらいし、悲しい。
それとも、今更だろうか。ずっと抑え込んでいた反動なのか、これまでミオイは気持ちを隠すことなく何度も狼牙にぶつけていた。彼はすでに、いやという程ミオイの気持ちはわかっているはず。
使用済みの脱脂綿などを片付けている狼牙の背中を見ていたミオイだが、か細い声で呼び掛ける。
「狼牙……」
「何だ」
狼牙は振り返らずに返事する。
「あたし、重くないかな」
「は? お前がもう一人いたって、まだ軽いくらいだ」
「そ、それって体重の話でしょ!」
どう見たって、やせ気味のミオイが重そうだと言う人はいないだろう。もしかして……はぐらかされたのだろうか。
「そういう意味じゃなくて」
「じゃあ、何の話だ」
はっきりすぎる口調で聞き返されると、ちょっと言いにくい。
「狼牙のそばにいて……好きって繰り返し言って、こんな面倒なことにばっかり巻き込まれてるあたしの存在、重くないかなって」
「スレイブの時はともかく、タガトヒの件や魚の毒はお前のせいじゃないだろう。悪いことが重なるって時は誰にでもある」
好きと言われてる点についてのコメントは……あえて避けられたのだろうか。
「それは……そうかも知れないけど。あたし自身でさえ、どこの誰かもわかんない。生まれた所とか種族とか、素性のわからない人間がそばにいるのって、どうなのかなって」
翠嵐にはアルス族かも、とは言われた。だが、それはあくまでも彼女の推測だ。
自分が何者かもわからないし、魔法ではないのに普通の人とは明らかに違う力を持っている。そんな人間は……不気味だとか怪しいと思われないだろうか。
さらには、そんな訳のわからない人間からしつこい程の好意を向けられて、どう感じるのだろう。
「存在が重いとか何とかっていうのは、うざったいとかそういう意味か」
「ん……まぁ、そんな感じ、かな」
一言で表すなら、そうなるのだろうか。うざったい、という表現も結構きつい。
「バカか、お前はっ」
狼牙が振り向き様に怒鳴り、ミオイはびくっとする。
「本気でうざいとか、どうでもいいなんて思ってたら、仕事でもないのにあんな場所まで乗り込むか。何度も真っ直ぐ飛び付いて来た奴が、今更重くないかとか聞くなっ」
狼牙の口調は、本気で怒っている。怖いとは思うが、ミオイはなぜそんなに怒られるのかわからない。
「真っ直ぐすぎるから、狼牙がいやになっちゃうんじゃな……」
ミオイは最後まで言えなかった。
傷のある左手を避けるようにして、強く抱き締められているのに気付いたのはずいぶん後のこと。
それより先に意識したのは、狼牙にキスされた自分がここにいることだった。立っていたら、きっと腰が抜けている。
「お前はミオイだろう。どこの種族の奴だろうと、お前はお前だ。それ以上でも以下でもない。それで十分だ」
くちびるが離れると、狼牙がささやくように言う。
これは、ミオイが一番望んでいる展開、と言えるだろう。
だが、あまりに突然すぎて、にわかには信じられない。一番望んでいると言っても、一生手に入らない展開だと思っていたから。
「……あたし、これからも狼牙と一緒にいていいの?」
「お前、さっきから何をくだらないことばっかりほざいてるんだ。今度そんな中身のない話をしたら、その口縫うからな」
後ろ向きの言葉ばかりが出る口なら、本当に縫ってしまいたいと思う。どうして今になって「重い」なんて言葉が出て来るのか、狼牙にはわからない。そんなことを思わせるような言動をした覚えなど、全くないのに。
「ど、怒鳴らないでよ……」
今まで考えられない程に近い距離で怒鳴られると、怖さ倍増だ。
「お前が今までいた場所はともかく、これからはもう怖がらなくていい」
「……」
これまで笑顔で隠そうとしていたのだろうが、本当のミオイは人の感情にずっと怯えながら生きてきた。力の強さは関係ない。ほんのわずかなきっかけで、彼女はすぐ恐怖にさらされてしまう。
精神は強いのかも知れない。タガトヒやスレイブの力に屈しなかったのは、強いと言っていい。純粋な悪意に対しては、恐らく強いのだ。
だが、その強さは脆さと紙一重。一点をつつかれるだけで、あっけなく崩れてしまう弱さが隠れている。
心は普通の少女……いや、世間一般の少女より、余程弱い。少しのことですぐに傷付く。
それを笑顔で、人にも自分にさえも見えないようにしてきた。それが習慣になり、感覚がマヒしてしまうまで。
もう怖がらなくていいのに。
ミオイがどこの誰であろうと、彼女を受け入れ、しっかり受け止める人間がいて、もっと自然に生きられる場所があることを教えたい。
さらに言えば、そんな人間のうちの一人に狼牙がいる、ということも。
守ってやりたいと思う。あまりにも頼り無げで、放っておけないから。
「狼牙」
「今度は何だ」
ミオイが怒ったように、上目遣いで狼牙を見る。
「胸貸して」
「胸?」
狼牙が返事するより先に、ミオイは立ち上がって狼牙の胸に顔をうずめた。肩が震え、小さな嗚咽が聞こえる。
村にいる間、誰も本気で受け入れてくれなかった。冗談で人に抱き付いたら、恐怖と緊張で身体を硬くされた。それ以来、そんなことはしていない。
でも、狼牙達に出会い、警戒されていないとわかって狼牙に抱き付いてみた。ずっと誰かの温もりがほしかったから。
会ったばかりなのに、自分でも理由はわからないが、この人のことが好きだと思ったから。触れたいと思ったから。
ミオイの中で、それは大きな賭でもあった。そうすることで、これまでのようにまた拒否されるかも知れない。
それならそれで、と開き直りもあった。
驚かれたりはしたが、拒否されない。不思議にすら思えたが、嬉しい。心が温かくなるのがはっきりわかり、さらに嬉しくなる。
だから、好きだと伝えた。拒絶されないうちに、それだけは早く伝えておかなくては。
こちらが好ましく思っていても、それを言う前に拒まれ、行き場のなくなったこれまでの感情が身体の中に溜まっている。これ以上溜めておく場所は、この小さな身体にはもうないから。
それなのに、アバ島で聞いた「重い」というあの言葉。
好きと言う前に存在を否定されず、好きと言っても感情を拒否はされなかった。返事なんて一切期待していない。言えるだけでよかったのだ。
でも、本当は否定されていたら? 拒否されていることに、自分が気付かなかっただけだったら?
もしそうなら、どうしたらいいんだろう。
考え出すと辛くて、苦しかった。
でも、ミオイの感情は狼牙にちゃんと受け入れられている。受け止められている。
そのことがわかり、今までの色々な感情が一気にあふれたのだ。
こうして受け止めてもらっていると、あふれた感情も静かに溶けてゆく気がした。狼牙の手が頭にぽんと触れるのも、ミオイの心を温かくする。
人の温もりというのは、こんなにも心地いいものなんだと初めて知った。
一方、医療室の外では。
水をもらって帰って来たはずの白が、中へ入れないでいる。
よくわからないが、何となく入らない方がいいような、でもずっと戻らないとそれはそれで変に思われる気もして、どうしたらいいのかと右往左往していた。
「あれ? 白。どうしたんだ?」
その様子に気付いたコウが、白に声をかける。
「ミオイが泣いてるみたいで」
「何で泣いてんだ?」
言いながら、白が止める間もなく、コウは医療室の扉を開けた。後ろで白が「あ……」と声にならない声を出したが、コウはまるで気付いていない。
「ミオイー、傷が痛むのか?」
白に聞いた通り、ミオイは狼牙にとりすがって泣いていた。それをコウは、傷の痛みのせい、と勝手に誤解する。
「んなの、メシ食えばすぐに治るって。もうすぐシズマがうまいメシ作ってくれるから、それいっぱい食え」
自分の基準で、食事をすれば誰でもすぐにケガが治る、と思っているコウである。
「以前から時々思っていたが……お前、本当に空気を読まないな」
あきれるのを通り越し、狼牙は感心する。言われたコウは「何が?」という感じで首をひねるだけだ。
ミオイが狼牙にくっついているのは今までに何度も見ているし、今とこれまでの違いがわからないのである。
白はコウが扉を開けてくれたので便乗して中へ入り、何もわかってないフリをしながら薬の調合を続ける。
「よくわかんねぇけど、空気じゃ腹ふくれねぇだろ」
コウの言葉にミオイはようやく顔を上げ、小さく「うん」と言って笑った。
☆☆☆
ミオイが拳を繰り出し、コウが受け止める。コウが回し蹴りするのを、ミオイは飛びずさって避けた。それを追ってコウが走り、ミオイも地面を蹴って再び拳をコウに向け……。
「熱心ねぇ、二人とも」
「コウは初めて自分より下の奴が来て、嬉しいんだろ。しかも魔法なしで、対等に相手をしてもらえるからな」
魔法犯罪監督署の訓練場で。
コウとミオイは、毎日のように体術の特訓をしていた。剣メインのレットや魔法メインのチェロル(杖で叩きのめすのはオプション)から見れば、じゃれているようにも見える。
彼らの本拠地ノフィスの街へ戻り、今回の任務はひとまず完了。
「任務遂行中に拾いました。放っておいて、あの才能を腐らせるのはもったいないので」
ミオイに関しては、狼牙が上官にしれっとそう報告して「黒狼隊」に入れた。
実際、何もさせないのはもったいない。せっかく持って生まれた力なら、役に立てなくては。
そうすることで、ミオイも自分の存在や力に悩むこともなくなり、どこの種族かと考えることも減っていくだろう。
それに、どこで生きて行くにしても、先立つものは必要だ。どうせ働くなら、しっかり力を発揮できる場所がいい。
タガトヒには「俺が拾ったから、俺がもらう」などと挑発していたが、まさか本当にそうなるとは予想していなかった狼牙である。
シズマはその話を聞いて「そうなるやろな、とは思てたわ」と言った。ウォグ島で海賊に対し、ミオイのことを「仲間」と言っていたのを聞いているからだ。
他にも言い様はあるだろうに、そんな言葉が出たので、将来本当にそうなるだろうと予測していた。
「チェロル達もここにいたのか。コウ、ミオイ」
狼牙が訓練場に姿を見せた。レットとチェロルの姿を確認し、バトル練習をしている二人を呼ぶ。
「新しい仕事だ。準備しろ」
「はーい」
ミオイが嬉しそうにこちらへ走って来た。その後を、コウが少しずれたバンダナを直しながら歩く。
「狼牙、長くなりそうなのか?」
「たぶん、前回より長くなる。出発は明後日だ」
レットに答えている狼牙の腕に、ミオイが絡みつく。
「これって、あたしの初仕事だよね。難しいこと、する?」
「初心者にいきなり高い難易度を求めることはしない。それと……仕事中に絡みつくな」
「じゃ、帰ってからね」
「お前な……」
狼牙が詰まるのを見てレットが横を向いて吹き出し、チェロルがくすくす笑う。
ミオイは何でもないように言っているが、周りにいる人間が聞けば結構きわどかったりする時がある。でも、本人は全然わかっていない。
「俺、バルコーンに伝えて来るな」
「あたしも翠嵐の所へ行くわね。着替え、用意しなきゃ」
「あれ、二人とも行くのか?」
「ああ。コウ、お前もシズマに伝えてやれ」
「ん。あ、そんじゃおれ、シズマにメシ食わせてもらお」
二人はさっさとその場から立ち去り、コウもその後を追う。
「お前らなぁ……行き方がわざとらしすぎるぞ」
レットとチェロルは、見せつけられるのはごめんだ、と背中で言っている。コウは単に仕事の話を伝えるのにかこつけて、おいしい食事をもらうのが目当てなだけ。
「狼牙、白に仕事のことを言うのは、帰ってからでいいの?」
三人の立ち去り方を気にすることなくミオイが尋ね、狼牙は小さくため息をつく。
これからの仕事も、一波乱ありそうだ。





