船の目的とメンバー紹介
意識がはっきりすると、ミオイは身体を起こした。
起きても特に支障はない。意識が戻ったためか、青白かった顔も少し赤みを増した。
どちらかと言えば肌は白いものの、具合が悪いようには見えない。知らなければ、まったくの健康体だと思われるだろう。
その気になれば普通に動けそうだが、狼牙や白がゆっくり休めと言うので、ミオイもおとなしくしている。
目を覚ましてから時間が経っても記憶が戻る様子はないが、こればかりは狼牙や白にも手の施しようがない。ここは時間が薬になってくれるのを期待するばかりだ。
「ねぇ、これってどういう船なの?」
人が大勢いては、気が休まらないだろう。
ということで、医療室にいるのは現在のところ、白とミオイだけだ。ふたりしてベッドに腰かけ、おしゃべりしていた。
「おれ達はマトクだ」
「マトクって……何?」
聞いても、ミオイはきょとんとするだけ。
「知らねぇのか?」
「知らないのか、覚えてないのかよくわかんない」
いわゆる一般常識的なことはわかるようだが、ミオイは白の言葉に首をひねる。
「えっと……これについては、しゃべっても平気だよな」
ちょっとちゅうちょしたものの、白は話を続けた。
「お前、魔法使いに会ったこと……は、覚えてねっか」
「うん」
「この船に乗ってる仲間のうち、魔法使いじゃねぇのはコウとバルコーンだけだ。さっきいた、小柄な奴とでっかい奴な」
魔法は人の幸せな暮らしのために使われることが基本であり、大前提。だが、それを悪いことに使う者も存在する。
そんな魔法を使う犯罪者を取り締まる活動をしているのが、魔法犯罪監督署。通称マトクである。魔法関係の役人、といったところか。
この船には、その署員が乗っているのだ。
船長、つまりこのチームのリーダーは狼牙。黒髪の狼牙がいつも黒系の服を着ているので、本人の了承なしに「黒狼隊」と呼ばれている。それで自分達がちゃんと認識されるのであれば、と狼牙は構っていない。
現在、ある任務のために航海しているのだが、その途中でミオイを見付けて保護した、という状況だ。
話のついでに、白は改めて仲間について説明しておく。
さっきコウがその場にいる仲間を一気に紹介していたが、起きたばかりだったミオイはもちろん覚えられなかった。
狼牙。魔法使いで船長で船医。攻撃魔法全般を得意とする。
祖父が医者だったこともあり、医者としての知識は十分。医者で生活することもできる知識・技術を持つが、本人にその気はない。医者の能力があるが、治癒魔法は不得手。
チェロル。魔法使い。氷と雷の魔法を得意とする。
本来、魔法使いは杖を使って魔法を使うものだが、彼女は杖を凶器にして挑むことも多数。なので、棒術も得意。ちなみに、これは狼牙がやっているのを見て盗んだ技だ。
面倒見のいい姉御肌気質だが、この船ではコウの次に若い二十二歳。
翠嵐。魔法使いで航海士。風魔法を得意とする。攻撃ももちろんできるが、普段は風を読むことで天候を知り、航海を安全なものにしている。
読むのは風ばかりでなく、書物なども相当読む。仲間達が知らないような知識も、彼女に聞けばだいたいのことがわかる。
チェロルより一つ上の二十三歳だが、見た目も立ち居振る舞いも落ちついて見えるので、いつももう少し上に思われがちだ。女性としてはあまりありがたくないはずだが、本人が気にしている様子はない。
コウ。戦闘要員。魔法使いの周囲にいる、普通の人間の逮捕担当。
戦う民族と呼ばれるフェイズ族で、どんな色粉でも染まらない真っ白な髪を持つ。
女性のチェロルとほとんど変わらない背丈で細身だが、その体躯からは想像できない力がある。魔法は使えないが、その腕っ節は常人の十倍はあるだろう。二十人や三十人の悪漢に囲まれても、一瞬で軽く全員を素手でノックアウトしてしまう。
フェイズとわかると、ケンカ自慢の人間にどれだけの力があるのかと絡まれたり、力試しに利用されたりすることがある。フェイズの特徴でもある白い髪をいつもバンダナで隠しているのは、いちいち対応するのが面倒だからだ。
バルコーン。整備士。船のメンテナンス一切を任されている。その体型に見合わず、手先がとても器用だ。
ちなみに、ブラック・キャット号は彼が製造し、舵も基本的に彼が担当。船名も彼が付けたのだが、白とは関係ない。製造中、黒ねこが木材の陰で子ねこを産んでいたところからの命名である。
特別な能力を持つ戦闘要員ではないが、その体格に見合った腕力を持ち、状況に応じて前線に出る。その点を見込まれ、陸・海軍から何度もスカウトされているが、規則に縛られるのがいやで、比較的自由に行動できるマトクを選んだ。
ひどいくせ毛らしく、少し伸びると朝起きた時に爆発するので、いつも丸刈りにしている。
「さっき医療室にいたのは、これで全部かな。あと、ミオイを船へ引き上げた時にいたのがレット。魔法剣士だ。剣に魔法の力を絡ませて攻撃する。だから、狼牙と同じで攻撃魔法が得意って言えるかな。目付きと口は悪いけど。普段は物静かで……あ、釣り好きだ。腕はまあまあかな。それと、食堂にいるのがシズマ。火が得意な魔法使いだ」
シズマも魔法使いなのでもちろん戦闘要員の一人なのだが、普段の彼は火の力を料理人として存分に発揮している。
普通の人間以上に火を自在に操りたいがために魔法使いになったようなもの、とは本人談。他の魔法は、基本的なことがかろうじてできる程度だ。
地方出身のシズマは、都心に出て来てとある食堂で働いていた。そこへコウが行き、その味にほれて狼牙にスカウトさせた。
狼牙は空腹でなくなるなら何でもいいというタイプだが、コウはせっかくなら仕事中でも美味い物が食べたいと訴えたのである。遠方で長丁場の仕事の時、彼がいれば見事にそれがクリアできるのだ。
最初はマトクに入ることを渋ったシズマだったが、狼牙に「仕事で色々な土地へ行けば、知らない味に出会えるかも知れないぞ」と言われたことで、誘いをあっさり承諾した。
「それだけ? みんな、悪い魔法使いと戦うんでしょ? 人数、少なくない? それに、コウと……バルコーンだっけ。魔法使いと戦うのに、二人は魔法使いじゃなくって平気なの?」
「人数に関して言えば、少数精鋭ってやつだ。それに、いつも魔法が効く場所ばかりじゃないからな。その時は腕力がものを言うんだ。よそのチームにも、コウみたいな奴はいるからな。普段はみんな、ふざけたような奴ばっかりだけど、いざとなったらすっげぇ強いんだぞ」
船員紹介をする白は、自慢げに言う。
「白も?」
「おれは……狼牙の指示なしに人間を襲うと、封印されたり力を奪われたりするから妙なことはできねぇけどさ。一応、戦闘要員に入ってる。本当の姿になったら、すげぇんだぞ」
「ねこ、なんでしょ?」
「ああ。だけど、単なるねこじゃねぇぞ。人間を乗せて走れるくらい、でっかいんだ。翼だってある。人間はおれ達を翼猫って呼んでるみたいだけど」
十年前、白は他の魔獣に襲われて傷付いたところを狼牙に助けられた。
その後、使役されるように……と言うと奴隷か何かのようだが、要は魔法使いと魔獣が交わす契約をしたのだ。魔法使いが必要な時に呼び出し、魔獣はその力を使って魔法使いを援護する、という約束である。
普通は契約した後、魔獣は呼び出されるまで自由に行動するものだが、白は狼牙のそばに居着いてしまった。
で、見よう見まねでケガの治療などができるようになったのだ。狼牙の指示があれば、薬の調合などもやってのける。姿は子どもでも、理解力や応用力は高い。
「普段は街の中にいるから、こういう人間の姿なんだ。でも、気を抜くと耳やヒゲやしっぽが出たりする。さっきも気を抜いたつもりはねぇけど、耳が出ちまった」
「ちょっとびっくりしたけどね」
起きたら目の前にねこ耳の少年がいるのだから、大抵の人間なら驚く。
「でも、かわいかった」
「お前、結構強い奴だな」
「え? そうかな」
「普通の女の子にしか見えないのに。最初にあの姿のおれを見た奴は、魔物の扱いに慣れた魔法使いでもなきゃ、だいたいが悲鳴をあげるぞ」
にこにこしながら「かわいかった」なんて言われ、白はそのことに驚いている。いつもなら、聞くのは悲鳴や罵声なのに。
「だって、まさか本物の耳とは思わないもん。すっごくよくできた飾りみたいって。それにあたし、ねこは好きよ。……たぶん」
名前以外の記憶がないので、自分の好みさえも推測でしか言えない。
話をしているうちに何か思い出すかも知れないと、白は自分達のことを任務に差し障りがない程度にあれこれと話した。
ミオイは興味を持って聞き、明るい顔で声をたてて笑う。記憶をなくして落ち込んでいる、というそぶりは全くない。
白が言ったように、やはり彼女はかなり強い精神力を持っているようだ。もしくは何も考えていない、か……。
白は食事の時間より少し早めにミオイを食堂へ連れて行き、シズマとも会わせておく。ミオイのことは、シズマもチェロルから聞いていた。
「起きて大丈夫なんか?」
白が地方出身者と話していた通り、シズマは聞きなじみのない言葉を話す。
「うん。熱もないみたいだし」
「そうか。元気が出る料理、ぎょーさん作ったるからな。楽しみにしとき」
赤毛と言うより、朱色の髪を一つに束ねているシズマ。ミオイの前で、見事な包丁さばきを見せる。火に踊らされる食材からは、出来上がりを楽しみにさせる香りが漂っていた。
その香りに誘われてか、できたという声が上がる前から船の仲間達が食堂へと集まる。
ミオイは気を失っていたので覚えてないが、改めてレットとも顔を合わせた。知らない人間が入れ替わり立ち替わり出入りしたら落ち着かないだろうと、医療室へ行くのを控えていたのだ。一応、レットなりに気を遣っていたのである。
食事中は仕事の話は一切なし。ということで、笑いの絶えないテーブルとなった。これはいつものことのようだ。
本当に魔法使いの犯罪者を捕まえる仕事をしている人達なのかと思ってしまったミオイだが、堅苦しい話を暗い顔でされるよりはずっといい。
その夜、ミオイは医療室のベッドをあてがわれた。元気そうに見えてもまだ詳しいことはわかっていないので、何かあってもすぐに治療ができるようにだ。
白は魔獣と言っても男には違いないので、他の仲間達と休むために医療室を出た。
一人になると、ミオイは急に不安になってくる。ベッドに入るまでが賑やかだったので、一人だとその静けさがなおさら身に染みるのだ。
ミオイはしばらくベッドでおとなしく横になっていたが、もそもそと起き出した。そのままベッドを抜け出し、医療室の外へ出る。
外には灯りがほとんどないので暗かったが、おかげで星空がよく見えた。雲の筋かと思ったものは、星の川だ。
そんな暗い中、ミオイは甲板を歩く人影を見付けた。闇の中に黒い服だから、目をこらしても見えにくい。ミオイが見付けられたのは、その影が動いたからだ。
「狼牙」
人影の名前を呼びながら、ミオイはそちらへ近付く。確信があった訳ではないが、そんな気がした。
影はやはり狼牙だ。暗い中でも、わずかな明かりでかろうじて顔が見えた。
「見張り役なの?」
「いや、見張りはちゃんと上にいる」
ここからでは見えないが、船の上部、見張り台には当番の翠嵐がいる。
「じゃ、何してるの?」
「お前こそ、何をしている。おとなしく寝ていろ」
「ずっと寝てたせいか、目がさえちゃって。いつもより絶対に睡眠時間が多いもん」
「あれは睡眠とは言わない。気絶、もしくは昏睡だ」
「んー、そっか」
眠りの名前が何であれ、今こうして目がさえているのは事実だ。
「狼牙にちゃんとお礼を言ってなかったね。見付けてくれて、ありがとう」
「……」
助けられて礼を言う。ごく当然のことだ。
しかし、狼牙の中でどこか不思議な感覚が生まれる。記憶を失って不安なはずの少女が、自然な笑顔を向けるからだろうか。
これまでの任務の中でも、人を助けることは何度もあった。今のミオイのように、彼に直接礼を言う人もたくさんいた。
だが、彼女のように本当に「嬉しそうに」礼を言ってくる人はほとんどいなかったように思う。狼牙の持つ雰囲気が、どちらかと言えば人を寄せ付けないように感じられるせいだ。
それなのに、ミオイは狼牙の漂わせるそんな空気をまるで気にする様子はない。鈍感なのだろうか、とも思うが……悪い気はしない。
「偶然だ。海を見ていたら、お前が流れてきた」
「偶然でも何でもいいよ。見付けてもらったことに変わりないもん」
状況がどうであれ、彼のおかげでこうして生きていられるのだ。
「白が言ってた。狼牙が拾えるかって言ったって。レットからそう聞いたって話してたよ。狼牙が何も言わなかったら、誰も気付かなかっただろうって」
「……」
「狼牙はお医者さんでもあるんでしょ。そんなふうに見えないけど」
上がり気味の目は眼光鋭く、口は真一文字。全体的に整って女性に騒がれそうな見た目なのだが、その雰囲気も手伝って絶対小児科医にはなれそうにない風貌である。
アイスブルーの瞳も「冷たそう」という第一印象に拍車をかけているのかも知れない。同じような瞳の翠嵐は、そんな風に感じないのに。
「医者を生業にしている訳じゃないからな」
「お医者さんってことは、頭がよくて手先も器用なんでしょ? いいなぁ。あたしは器用じゃないし、頭もよくない……と思う。たぶん」
普通に言いかけて、記憶を失っていたことを思い出す。
「名前以外のことを忘れるなんて、バカだよねぇ……」
笑顔に陰りが生まれる。小さなため息がもれた。
「記憶を失うのに、頭の善し悪しは関係ない。天才でも、理由があれば記憶を失うことはある」
狼牙は別にミオイを慰めようとしているのではなく、有り得ることを言っただけである。
それでも、ミオイにすれば「気にするな」と言ってもらえたようで嬉しい。
「子どもはそろそろ寝ろ」
「あたしは子どもじゃないもん」
ミオイはそう言ってから、長身の狼牙を見上げる。遠い祖先に巨人がいるんじゃないかと思えるバルコーンは別として、狼牙は乗組員の中で一番背が高い。
「子ども……なのかなぁ。違う気がするけど、この身長差は大人と子どもだよね」
一方、ミオイは頭のてっぺんが狼牙の胸辺りにどうにか届く、という低身長。普通に見れば、やはり大人と子どもに思われるだろう。
二十五歳の狼牙と、十三、四歳くらいであろうミオイ。身長にしろ年齢にしろ、狼牙から見ればどうしたってミオイは子どもにしか見えない。
「自分の名前以外にわかること、他にないのかなぁ……」
それまで夜の海を見ながら話す格好だった二人だが、急にミオイが手すりにもたれてそのまま座り込んだ。