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海に愛されて  作者: 碧衣 奈美
第三章 ミオイの行き先
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幻覚

 早く……早く帰らなきゃ。帰ら……帰りたい。

 もうろうとした意識の中で、ミオイがひたすら思うのは「キャット号へ帰らなければ」ということ。

 狼牙が医療室を出てすぐ、ミオイは意識を取り戻した。だが、ミオイに見える景色は、いつもとまるで違う。

 ベッドに寝ていたミオイだが、自分にかけられていた白いシーツを見て、巨大なパンに挟まれてると思い込んでしまった。

 あたし、巨人に食べられちゃう。

 なぜか、自分がサンドイッチにされている、と思ってしまったのである。

 見慣れたはずの医療室だったが、一度恐怖に取り憑かれた彼女の目に、まともな物はもう一切映らない。

 ちゃんとキャット号にいるのに、知らないうちにどこかよそへ連れて来られたから帰らなければ……という意識のみで部屋を出た。

 ベッドから出た時も、足がふらついて一度転んでしまう。そんなに大きな音は出なかったが、ミオイは焦ったように周囲を見回した。今の音で巨人に気付かれたら捕まってしまう、と思ったのだ。

 もちろん、捕まえようとする手はなく、ミオイはありもしない伸び放題の草をかき分けているつもりで、無意識にドアを開けた。身体は動きを覚えているが、ミオイ自身にはドアノブを回してドアを開けて、という行為を自分がしているとは認識できていない。

 外だ、というのはわかった。今までいた所とは明るさが違う。見付かることなく、巨人の巣から出たのだ。

 だが、すぐ近くに何かいる。こちらに向かって何かしゃべってきたが、何を言っているのか理解できなかった。

 実際はバルコーンがミオイに気付き、起きて大丈夫なのか、と尋ねただけだ。

 しかし、ミオイに現れていた症状は、幻覚だけではない。聞こえる音や言葉も、まともに伝わらなくなっていた。

 そのせいで、巨人の巣の外で見張りをしていた魔物に見付かってしまい、逃げられると思うのか、といったことを言われた、と思い込む。ミオイの中の状況と想像が、世界の全てを作っているのだ。

 バルコーンの身体が大きく、巨人の手下の魔物なら身体が大きいのも当然、とつながってしまった。ミオイの様子を見て心配そうな表情を浮かべるバルコーンだったが、彼女にそんな感情は伝わらない。

 うまく呼吸ができず、引きつったような声が喉の奥で出た。

 ダメ、ここで止まってる場合じゃない。逃げなきゃ。キャット号へ、狼牙の所へ、みんなのいる所へ帰らなきゃ。

 そんな思いだけが頭を占め、ミオイはそこから走り出した。何か言われたが、聞いてない。たぶん、止まれとか、待てといった言葉だろう。止まれと言われても、止まれば食われてしまう。

 いつの間に連れて来られたか覚えてないが、とにかくここから離れなければ。その一心だけだ。

 キャット号の手すりは、ミオイにとっては崖。そこから一気に崖下へと飛んだ……つもりだった。

 その先に何が待っているか、わからない。でも、とにかく今は巨人の手から逃げなくては。キャット号へ戻らなければ。

 今のミオイは、狼牙達やキャット号の記憶があるまともな部分と、幻覚のせいでありもしない物が見えている異常な部分が交錯している。

 着地すると、ここから早く離れなくては、という思いで、今出せるだけのスピードで走った。熱があるという自覚はなく、夢の中のようにうまく走れない、という感覚だけがある。それでも、ミオイは必死に足を動かした。

 どこまで走ったのだろう。自分なりに全力疾走し、それなりの距離は稼げた……と思いたいが、自分の現在地が全然わからない。

 進行方向にも流れてゆく景色の中にも手がかりはないが、だからと言ってそれを探すためにこの近辺をうろうろするのはしたくなかった。

 何よりも、足を止めるのが怖い。止まった途端、後ろから巨人の手が伸びて来るような気がして。もしくは、巨人の手下の魔物が追って来るような気がして。

 しかし、実際のミオイはすでに走れていなかった。キャット号(ミオイにとっての崖)が見えなくなる所までは何とか走れたが、そこまでで限界。

 ふらふらになりながら、とにかく前へ進んでいるだけだった。進んでいる、と言うよりは、つんのめっている状態だ。かろうじて転んでいないだけ。

「おんやぁ? ねぇちゃん、どうした?」

 もう少しで西のメイン通りへ入る、という所で。

 ある海賊の一団が、ふらふら歩くミオイを見付けた。ミオイの方では、魔物に見付かったと思い、びくっとなる。

「おい、こんな所に若い女がいるぜ。ちょっと小せぇが」

「へぇ、磨けばそれなりの上玉になるんじゃねぇか?」

「よぉ、ねぇちゃん、どっかから逃げて来たのか?」

「この島じゃ、どこへ逃げても大して変わらねぇけどな」

 海賊達は現れたミオイが、よその海賊の元から逃げて来た、と思ったらしい。

 売るつもりか買ったばかりか、なんてことはどうでもいい。どちらにしろ、誰かの「商品」だろう。それが隙を見て逃げ出し、自分達が見付けた。いわば、落とし物を拾ったようなもの。

 落とし物なら、それは拾い主の物になる。落とした奴がバカなのだ。大切なら、他人に奪われるのが嫌なら、しっかり自分の手元で管理しておけ、というのがここでは常識。盗賊の常識、とも言える。

 奴隷か踊り子か、はたまた海賊達の慰み者か。どれでもいい。何だったら、全てをさせればいい。

 女を買う予定はなかったが、思いがけずいい拾い物をした。今日はついている。

 海賊達にとって、ミオイはすでに自分達の所持品の一つになっていた。

「さぁ、おとなしくこっちへ来な」

 一番近くにいた男が、ミオイの腕を掴んだ。

「離せっ」

 ミオイが手を振り払う。男の身体が、仲間達の方へと飛ばされた。ミオイにすれば、人型のスライムが触手を腕に絡ませようとした、としか見えなかったのだ。

「こ、このあま……」

 小柄な少女が男をぶっ飛ばした事実より、抵抗されたという点のみで海賊達に怒りが生まれた。

 仲間が飛ばされたのはたまたまだ、バランスを失っただけだ、と。どんなバランスの崩し方をすれば飛ばされるのか、なんてどうでもいい。

「おとなしくしてりゃいいものを」

「おらおらっ、殺されたくなきゃ、じっとしてな」

 海賊達が手に手に剣や斧などを握り、ミオイを囲んだ。

 いっそのこと、それも幻覚で他の物に見えればいいのだが、なぜか武器だけはまともに見える。危険をキャッチする本能だけが、ミオイの中でかろうじてまともに生きているのかも知れない。

 なので、魔物がこれまでに喰った人間の武器を手にし、今度は自分がその餌食にされようとしている、という話へとつながった。

 恐怖に引きつったミオイの顔を見て、海賊達は満足そうに笑う。やはりさっきのことは何かの「間違い」で、自分達の方が優位だと勘違いした。

 一方、ミオイは恐怖に支配されかけたが、それを何とか振り払う。

 いくらコウと同等に近い筋力を持つと言っても、ミオイは戦いにおいてど素人だ。しかし、戦って勝ち、この場を切り抜けないと狼牙や他のみんなと会えなくなってしまう。

 その意識だけで、小さな拳を握りしめた。


 お前さ、こう動いたらいいと思うぞ。


 要領のいい戦い方を、誰かから教えてもらったような気がする。いつだったか、誰にだったか、どうするんだったか……。

「こんなガキ相手に、全員が得物を持つこたぁねぇだろ」

「いや、ちょっとは怖い思いをさせて恐怖心を植え付けておかねぇと、こうやってまた抜け出しかねねぇぞ」

 まるで、一度自分達の手からミオイが逃げたかのような言いぐさだ。

 幸いなことに、そのセリフはミオイの耳には入っていない。入っても、理解しきれない。バルコーンの言葉がわからなかった時と同じだ。

「殺したらもったいねぇぞ。せっかくの拾い物なんだしよ」

「ああ、わかってらぁ。ちょっと痛い目に遭わせるだけだ」

 そう言って、一人の男がミオイに斬り付けた……つもりだった。

 その前にミオイが相手の懐へ飛び込み、みぞおちに拳を入れる。さっき振り払われた仲間より派手に、男は遠くへ飛んで行った。


 そうそう。お前、飲み込み早いなー。絶対、才能あるぞ。


 誰かがそんなことを嬉しそうに言って、ほめてくれたように思うのは……夢だろうか。

「……何だ、こいつ」

 二人目が飛ばされたのを見て、さすがに海賊達も相手が単なる小娘ではないと悟った。さっきのことは、見間違いではなかったのだ。

「おい、おめぇら。こんな小娘にやられたとあっちゃ、世間の笑いものだぞ」

「冗談じゃねぇ。俺達をなめやがって」

 持っていた武器を構え、海賊達は改めてミオイを囲む。

 怖がってちゃ、帰れない。帰れなかったら……狼牙に会えない!

「あたしは、みんなの所へ帰るのよ。そこ、どいて」

「勝手なことを抜かすな、小娘が」

 いつものミオイなら「どっちが勝手なのよ」と言い返すところ。だが、半分も言葉を理解できない。ちゃんと聞こえない。魔物が意味不明の言葉で騒いでいる、と認識するだけだ。

 数人の海賊が、剣を振りかぶる。それを素早くよけると、ミオイはその手を蹴り上げ、殴り、思いっきり体当たりした。次が来るのを待たず、自分から仕掛けてゆく。

 囲まれて次々に来るのを待つより、自分からさっさと倒しに向かう方が楽だ。その方が、構えて待つよりずっと自由に動ける。

 そうやって腹をくくったせいか、やりやすくなった気がした。

 気が付けば、周囲にいた魔物は全て倒れている。何とか排除できたようだ。

 それはいいが、呼吸が苦しい。身体がふわふわして、妙な気分だ。

「これは……どうなってやがる」

 新たな声が聞こえ、びくっとしたミオイが顔を上げる。

 何、このでかいの……。

 新たに現れたのは、その海賊の船長だった。周囲には、身体の大きな十人以上の手下がいる。ミオイにとっては、また魔物が現れた、というところだ。

 手下と違い、船長の男は手下より軽く頭三つ分くらい大きい。さっき崖の上(つまりキャット号)で見た大きな魔物 (つまりバルコーン) より大きいと思われる。

 そのサイズを見て、魔物のボスだ、ということは何となく理解できた。これだけ手下を下せば、ボスが登場してもおかしくない。

「まさか、てめぇみたいな小娘がやったのか、うちの手下どもを」

「……」

 子分を倒したのはお前か。

 ちゃんとそう聞こえたのではないが、たぶん魔物のボスならこういうふうに言うだろうな、という想像でミオイは考えていた。それ以外、この状況でボスが口にする言葉が思い浮かばない。たぶん、そう大きく違ってはいないだろう。

 しかし、魔物としゃべったりしたら何かおかしな術をかけられるような気がして、答えるのはやめておく。

 と言うより、呼吸がつらくて話をするのがおっくうなのだ。

「目が()わってやがる。酒かクスリでもやってんのか、てめぇ」

 聞こえないと言うより、ミオイはもう相手の言葉を聞くつもりはなかった。

 相手は魔物。しかも、ボスだ。話し合いで穏便(おんびん)に解決しよう、なんて言葉が相手から出るとは思えない。だったら、話を聞く必要はないだろう。

「あたしはみんなの所へ帰るの」

 ミオイが口にするのは、それだけだ。今のミオイにとって、唯一の望みで目的。

「てめぇが誰かは知ったことじゃねぇ。だが、手下がのされた礼はしねぇと、他の奴らに示しがつかねぇんだよ」

 身体が大きいと、持っている武器も大きい。軽く振り下ろすだけでも、ミオイの身体を軽く真っ二つにできそうな剣だ。ぎらりと光を反射する刃に、手下達の「やっちまえ」という声が上がる。

 大きい魔物は、大きい武器を持つんだ……。

 もうろうとしながら、ミオイはそんなことを考えた。溶けかけたスライムのような魔物が、磨かれた刃の剣を振りかざしている。何だか滑稽(こっけい)だ。

「おらぁっ」

 船長の剣が振り下ろされ、大きな音がしてミオイがいた付近の地面に大きな穴ができる。まるで小さな爆発が起きたかのようだ。

「ん?」

 無残な遺体になっているはずの女がいない。血の一滴すらもなかった。自分が作った、単なる穴がそこにあるだけ。

「あたしは帰るんだっ」

 剣が振り下ろされるより先に、船長の後ろに回っていたミオイ。軽く飛び上がると、その拳を少し前屈みになっていた広い背中の中央に当てる。

 それだけのことで船長は地面に叩き付けられ、それでも足りずにめり込んだ。地中深くまで。さっき自分が作った穴より数倍深かった。

「せ、船長ぉ?」

 自分達のボスの勝利を信じて疑っていなかった手下は、あまりの出来事にただ呆然とするだけしかできない。今、自分達の目の前で何が起こったのだろう。

 そんな彼らを、ミオイは次々に叩きのめす。放っておけば、ボスの仇と襲われるのは予測できた。

 まともに周囲を見られていないことさえ自覚できていないが、その辺りはどうにか判断できているらしい。

 とにかく、先手必勝を実行したおかげで、自分を取り囲もうとしていた魔物達はいなくなった。こんな所で長居はしていられない。

 早くみんなの所へ帰らなきゃ。

 ミオイは現在地も目的地もわからないまま、また走り出した。

 狼牙とシズマがこの場に来るのは、その直後である。

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