ミオイ、倒れる
狼牙がマトクの上官から渡された行方不明者リストは、スレイブの奴隷売買による被害者で八割近くが占められていた。
ここ数ヶ月で急増した行方不明者は、ほとんどがスレイブによって生み出されていたのである。
完全にリストが網羅された訳ではないが、最初から全てが解決するとは思っていない。中には山や海での遭難など人知れず事故に遭った人や、別の事件に関わっている人も含まれているだろう。
これまでアバ島で不審なことがあっても何一つ調査が行われなかったことについては、やはり陸軍の一部の人間がスレイブから賄賂を受け取ってうやむやにしていた、ということが判明した。スレイブが捕まったことで、その辺りのことも順次明るみに出るだろう。
そのスレイブだが……コウがぶっ飛ばして壁まで突き破ったが、悪人らしく悪運強く、一命を取り留めた。
全身の骨がぼろぼろで内臓にもいくらか支障をきたしているが、すぐ命に関わるということはない、という診断だ。
調査に立ち入った軍やマトク本部の人間からは「やりすぎだ」とチームリーダーである狼牙が「注意」され、その場ではおとなしく頭を下げておく。
だが、後でコウには「俺がお前なら、息の根を止めてた」と不敵な笑いを浮かべたのだった。コウが「狼牙が笑うと、逆にこぇーよな」と思ったのは内緒である。
リストに残った行方不明者については別のチームが引き継ぐことになり、狼牙達は一旦自分達の本拠地がある街へ戻ることになった。
今回は行方不明者の調査、という割りに暴れたよな、などとみんなで言いながら、キャット号は帰路につく。
数日の調査を終えた船がアバ島を離れ、本拠地へ戻って次の任務が言い渡されるまではちょっとした自由時間だ。
「今更だけど、みんながこれから帰る所ってどこ?」
手すりに並んで座り、釣り糸を垂らすコウとレット。横で眺めている白とミオイ。
なかなかヒットがない海面を眺めながら、ミオイが誰にともなくそんなことを尋ねた。
「は? 何だよ、お前。どこへ行くのかも知らねぇで、一緒に行くって言ってたのか」
本当に今更なミオイの質問に、レットがあきれる。
「狼牙がいる所なら、どこでもよかったんだもん。それに、聞いてもたぶん……どこかわかんない」
これまでほとんどリンカ島を出たことがないミオイ。地図も海図も、まともに見たことがないのだ。何となく「世界は広い」ということを知っているだけ。
「へへ、ミオイならそういうのもありって感じだよな」
けたけたとコウが笑う。
「コウ、それってどういう意味よ」
「細かいことは気にしねぇって意味」
確かに、ざっくりな性格、かも知れない。無理によく言えば、大らか……か。
「お前が人のことを言える性格かよ」
横でレットが軽く突っ込んだ。
ミオイはわからないと言うが、白が一応説明する。
「おれ達が向かってるのは、ウェル大陸って所だ。そこの東にあるノフィスって街におれ達は住んでる。後で翠嵐に聞くといいよ。一番わかりやすく教えてくれるぞ」
「うん、わかった」
白に地名を聞いただけで、半分行った気になっているミオイである。
「お、引いてるぞ」
コウの竿に当たりがきた。ミオイ達が見守る中、しばらく魚との攻防が続き、ようやくコウが釣り上げる。
「よっしゃーっ、ゲットぉーっ」
「わ……何、これ」
コウが釣り上げたのは、見た目がひどく醜い魚だった。
工作の下手な子どもが、ごつごつした岩で無理矢理魚のオブジェっぽいものを作りました、といった外見である。しかも、大型犬くらいはありそうなサイズだ。余計に不気味だった。
「大きさはともかく、ぶっさいくな魚だな。コウ、何を釣り上げたんだよ」
「おれだって知らねぇよ。こんなの、初めて釣った」
見た目の悪さに、誰もが眉間にしわを寄せる。
「オコデ、じゃないのかな、これ。確か、背びれに毒があるぞ」
「毒だぁっ? そういうことは早く言えよ、白」
触ろうとしたレットが、毒と聞いて慌てて手を引っ込めた。
「おこげ? うまそうな名前だな」
「何で魚にメシみたいな名前が付くんだよ。オコデ、だってば」
コウの聞き間違いに、白がしっかり突っ込んで訂正する。
「あんまり食える部位がないんじゃなかったかな。実は高級魚だって聞いたことがあるぞ」
「えー、こんな図体してるくせに、ちょっとしか食えないのか。高級魚でも、食えなきゃ意味ねぇだろ」
白の嬉しくない情報に、コウが口を尖らせる。
船の食材がピンチ、という訳でないが、どうせならたくさん食べたい。高級と聞けば、なおさらだ。
「普通はもっと小さいはずなんだけど……海域によってこんなにでっかくなるのかな。とにかく、これなら普通よりは食える身があると思うぞ」
そんな話をしていると、その賑やかさにつられてチェロルやシズマ、バルコーンが集まって来た。
「うっわぁ、またすごい顔の魚を釣ったわねぇ、あんた達」
あまり見慣れない姿の魚に、チェロルが顔をしかめて一歩引く。
「独創的な顔立ちにも程があるわよ」
「オコデを釣り上げたんか。美味いけど、この大きさでも全員に行き渡るかどうかやな」
獲物を見たシズマの頭の中では、早速どういう調理法で進めるかの段取りが組み立てられつつある。
「シズマ、この魚、うまいのか?」
コウはシズマの「美味い」という単語にしっかり反応する。
「おう、見た目の悪い方が味はええいうのは、ようある話や」
「そっかぁ。じゃ、もっとおこげを釣り上げねぇとな」
料理長のお墨付きに、コウは俄然やる気を出した。高級で美味いとなれば、ますます食べたいというもの。
横で白が「オコデだってば」と小さく突っ込む。
「でも、こんな怖い顔の魚ばっかり甲板にあったら、ちょっと不気味だよね」
チェロルと同じく、ミオイもその見た目にちょっと腰が引き気味だ。
「顔はともかく、普通に食える魚を大量に釣った方が、腹にたまるんじゃねぇのか」
「そっか。でも、うまいってわかってる魚、腹いっぱい食ってみてぇし」
レットに言われ、どっちを取るかで悩むコウ。そううまく釣れるかどうか、という点は完全に思考範囲外である。
高級魚狙いにするか、無難な方を選ぶかと騒ぐ中、ミオイが小さなくしゃみをした。
その直後。
「いたっ」
小さな悲鳴がもれ、仲間の目がそちらに向いた。
見れば、ミオイの左腕から血が出ている。ひじの少し上辺りから細い血の筋ができていた。
「ミオイ! 大丈夫か。何で急に傷が」
白が慌ててミオイの方へ駆け寄った。
「わかんない。何かかすめてった感じ」
ミオイ自身も一瞬のことで、何が起きたのかよくわからない。
「なぁ。今、この魚の口から何か飛び出さなかったか?」
コウが魚の上あごに当たる部分を引っ張る。
「やめとけ、コウ。気安う触んな」
「あ、ああ……」
シズマに言われ、コウは魚から手を離した。高級だ美味だという話ばかりですっかり忘れていたが、この魚には毒があるとついさっき聞いたばかりだ。
「おい、これじゃないのか? 何か刺さってるぞ」
バルコーンが、甲板の手すりに刺さっている針を見付けた。
やや太めの縫い針、といったところか。少し黄ばんだ白い針だ。
「ミオイと魚の位置から見て、そいつのせいだろうな。こいつ、針を飛ばすのか……って、もう死んでんじゃねぇのか?」
さっきまでひれがかすかに動いていたように思うが、レットに言われて全員が見ても魚はもうぴくりとも動かなかった。やはり、死んでいるようだ。
「どうかしたの?」
少し賑やかさの趣が変わったことに気付き、翠嵐がこちらへ来た。
「魚から針が飛び出たみたいで、ミオイがケガしちゃったのよ」
「これ……大コデじゃないの?」
「ん? おが一コ増えたか?」
翠嵐の指摘に、コウが首を傾げる。
「オコデに近い仲間ね。味はいいけれど、オコデと違って気を付けないと『最期の一針』と呼ばれる毒針を吐き出すそうよ」
「ええっ」
翠嵐の言葉に、全員が驚きの声を上げる。
「この魚を丸呑みした巨大魚が腹の中でそれをされると、三日間漂流して死ぬという噂よ。そうなる前に他の魚に食われたりするから、それが本当かは謎だけれど。クジリャ程の大きさでも、そうなるらしいわ」
その「最期の一針」をミオイは受けたのだ。魚ではないから漂流はしないものの、本当に三日で死ぬなら一大事である。
「さっきから何の騒ぎだ。……ミオイ、何をしでかした」
今までマトク本部との通信をしていた狼牙。甲板での騒ぎが大きくなり、いい加減気になって現れた。
ミオイの腕から流れる血を見て、その顔が険しくなる。
「あたしがしでかしたんじゃないよぉ。あの魚に攻撃されたの」
「魚?」
海賊船を素手で真っ二つにしてしまうような力を持つミオイだが、その力を使うことを意識しなければ、実は防御力は平均的な女の子なのだ。
そのことが、スレイブの件で負傷した時に判明した。キャット号に拾われた時、小さいながらすり傷や切り傷があったのもそのためだ。
くしゃみをした時は完全に素の状態、つまり無防備。まさか魚から針が飛んで来るとは思ってもみなかったので、その攻撃を受けて負傷してしまったのだ。
「ミオイ、とにかく消毒だっ。毒が回ったら、大変だ!」
「白、かすっただけだよ? 刺さったんじゃないんだし」
「触るだけでもヤバいかも知れねぇだろっ。明らかに傷ができてんだぞ。血も出てるし」
ミオイより白の方が慌てている。
「そんなに危険な魚なのか」
狼牙に問われ、翠嵐が小さくうなずく。
「危険なのは、その針だけよ。でも、早く消毒した方がいいでしょうね」
人間と魚では、毒の効き方が違うかも知れない。だが、まったく影響なしとは思えなかった。危険と思われるものは、速やかに遠ざけるべきだろう。
「だそうです、船医」
ミオイが船長で船医の狼牙に報告する。治療してもらうなら、彼か白に頼まなければならない。
「何をのんきに……。お前、わざと面倒を増やそうとしてないか」
「好きでケガなんかしないもん」
狼牙の言いように、ミオイは頬をふくらませる。
「ミオイ、とにかく医療室に行こっ」
「うん、わかった」
毒のことはともかく、傷は確かにあるのだ。出血は大したものではないが、放っておいても自然に止まるまで時間がかかるだろう。
白にも促され、ミオイは一歩踏み出した。
え……何で?
目の前の景色が傾く。前にいた狼牙が、驚いた表情でこちらに手を伸ばして来た。そばで白の、遠くでみんなの呼ぶ声が聞こえる。
だが、その全てがスローモーションだった。声に至っては、微妙にエコーがかかって。
完全に倒れる直前に狼牙が支えてくれた気もするが、そう認識できる前にミオイは意識を手放した。





