解決
氷の上からでも、ミオイの足にあった黒いかせがなくなったのは見てとれた。
狼牙はミオイの足にかけた氷の魔法を解く。立つ姿勢に多少の支えとなっていた氷がなくなり、ミオイはその場に座り込んだ。
一時的に冷やされたと言っても、傷は確かにそこにある。出血も完全に止まるところまではいかなかった。
「今は応急処置だけする。ちゃんとした治療は、船に戻ってからだ」
狼牙は傷だらけになったミオイの足に魔法で水をかけ、血やほこりなどを洗い流した。
「いったーい!」
水が傷に染みて、ミオイは叫んだ。汚れは流されたが、またじんわりと血がにじむ。
「我慢しろ」
「だって、痛いもんっ」
「自業自得だ。俺の言うことを聞かないから、こうなった」
助かって喜ぶところのはずだが、狼牙の口調は不機嫌そうだ。
「だって、狼牙を攻撃したくなかったんだもん」
「言っただろう。お前に俺は倒せない。スレイブの命令を聞いていれば、こんな傷を付けられることもなかったんだ」
「だからぁ、狼牙を攻撃したくなかったって言ってるでしょ。意識がない時ならともかく、意識がちゃんとあって、狼牙があたしの攻撃をかわせるってわかってたって、攻撃したくないものはしたくないのよっ」
「それでこのザマだろう。お前の頑固さには、ほとほとあきれる」
ミオイは腕を伸ばすと、ため息をついた狼牙の腕を掴む。
「何よっ。狼牙はあたしより年上でしょ。少しはあたしの感情を理解してくれたらどうなの!」
「こんなことに年齢が関係あるかっ。感情で事態が好転するなら、誰でもやってる。逆に事態が悪くなることの方が多いんだ。感情に流されたら、余計に収拾がつかなくなる」
「あたしだって、状況を見て考えるわよ。さっきは狼牙だけしかいなくて、あたしのターゲットが狼牙だけだったから、どうしてもいやだったの。ちょっとは女心もわかってよ」
「女心が読めたら、世界中の男は何の苦労もしないっ」
涙を浮かべてミオイが怒鳴り、狼牙もつられるように怒鳴り返す。
「とにかくっ、好きな相手に攻撃なんて、したくないのっ」
「そうやって命令を拒絶して、もし本当に足が使い物にならなくなってたらどうするんだ。感情だけの話じゃなくなるんだぞ」
「あたしにとっては、感情だけの話よっ」
ミオイは言い切る。さすがに狼牙も次の言葉がなかった。
「好きな人に攻撃をしかけるくらいなら、足が使い物にならなくなったって、死んだっていい。その方がよっぽど救われるもん」
「……」
狼牙は小さくため息をつき、ミオイからわずかに視線を外す。
「なぁ、もう終わったのに……あいつら、何をケンカしてるんだ?」
広間に戻って来ると、狼牙とミオイがなぜか大声で言い合いをしている。それを見て、コウが不思議そうな顔をした。
「おれ、狼牙があんな感情的になってるの、初めて見たぞ……」
心配して広間に来た白も、声をかけられないでいた。近付けない空気が、狼牙とミオイの周辺に漂いまくっている。
「自分のせいで足が使い物にならなくなった。それを知った相手の気持ちはどうする」
「え……」
ミオイの足が動かなくなり、歩けなくなってしまったら、狼牙はどう感じるのか。
そんなところまで考えなかった。
冷静に言われ、ミオイも急に頭が冷める。
「おい、コウ。その辺りに包帯の代わりになる物はないか」
いきなり言われ、コウと白はびっくりした。自分達の存在が認識されているとは思ってなかったのだ。
「包帯か? えーと……カーテンとか使えるかな」
「ほこりが付いているだろうから、ダメだ。メイドの予備の服でもいい。裂けば多少は使えるだろう」
「おう、わかった」
コウは部屋を飛び出して行った。中へ入れない雰囲気はなくなったので、白は二人の方へ近付く。
「ひどいこと、しやがるな。ミオイ、他の所はどうだ?」
「足だけ。手かせをされてたら、きっと手が傷だらけだね。まさか足かせから何か飛んで来るなんて、思わなかった」
傷は主にふくらはぎやすねの辺りで、太ももにもいくつか血の筋があった。足かせはくるぶし付近につけられ、刃は上に飛んでいたので、足首より下に傷がないのはせめてもの救いといったところか。
「これじゃ、歩かない方がいいな。動いたら傷が開いちまう。狼牙はミオイを連れて、先に船へ帰った方がいいんじゃないか?」
「俺が?」
「おれがねこになってミオイを背負ってもいいけど、それじゃ町の中は歩けないだろ。人間の姿で背負うって……できなくはないけど、歩いてる間耳を隠し続けられる自信がないし。それに、おれより狼牙が治療した方がいいだろ。あとのことはレット達に任してさ。どうせすぐには片付かないだろうし、ミオイの治療が終わってからこっちへ戻って来れば何も問題ないだろ」
他の誰かが連れて帰っても、ミオイの治療はできない。こればかりは、狼牙か白の担当になるのだ。
「……わかった。一旦戻る」
☆☆☆
コウがスレイブをぶっ飛ばし、奴隷にされていた人間は一様に正気を取り戻した。
メイドに関しては、全て町の娘だ。彼女達は頭に付けていたメイド用のカチューシャを投げ捨てると、全員が町へ戻るべく屋敷の外へと向かって行った。
もっとも、被害者にしろ加害者にしろ、誰も勝手に町へ戻ることはできない。名前を把握する前に、事件の関係者が現場からいなくなっては困るのだ。
そのため、スレイブの力がなくなったとわかった途端、チェロルが敷地内に結界を張っていた。
「ネイアさん、いない?」
翠嵐が呼び掛ける。
外へ逃げられず、出口を求めて敷地内を走り回っているメイド達。右往左往するメイド達の中で、翠嵐の声に足を止める女性がいた。
「あの……わたしがネイアですけど」
どうやら、スレイブの呪縛が解けたらしい。それはわかったが、自分だけが名指しで呼ばれたことで、また何かあるのでは、という不安が顔にはっきり現れている。
逃げたい、スルーしたいが、そうするともっと厄介なことになるかも知れない……とでも思っているのだろう。
「妹さんが屋敷の外で待っているわ」
そんな彼女の不安を払拭するように、翠嵐は笑顔でそう告げた。
「ルトリが?」
ネイアが翠嵐と一緒について行くと、門の外に妹とその友人の少年の姿が見えた。
「おねえちゃん!」
「ルトリ!」
こちらも完全に正気に戻ったルトリは、姉の姿を見てこちらへ駆け寄る。
まだ結界を解くことはできないので、門の格子からお互いの手を出して握るだけ。だが、確かに相手の体温を感じられた。
「スレイブ様……ううん、スレイブはあたし達を解放してくれたの?」
ひとしきり感動の再会をした後、ルトリは姉の横にいる翠嵐に恐る恐る尋ねた。
「解放してくれたと言うより、させられたと言う方が正しいかしらね」
ふふふ、と翠嵐は穏やかに笑う。
何があったかはともかく、もうスレイブの命令に怯えなくていい。
姉妹ははっきり確信した。
「あたし、今までひどいことを……」
自分の意思ではない。だが、自分がしたことは、許されることではない。
姉に再会できて喜んでいたルトリだが、また暗い表情になる。
「それはスレイブにさせられていたことでしょう? 奴隷として売られてしまった人達も、今頃はそれぞれの場所で正気に戻っているはずよ。今は私の仲間達がスレイブの悪事に関する資料を集めているから、今度こそ軍が動くわ」
その仲間達、シズマとチェロルはスレイブが隠していた帳簿を引っ張り出していた。何人を誰にいくらで売ったか、などが細かく書かれているものだ。
これがあれば、売られた人達も救出されるだろう。恐らく、行方不明者リストからかなりの人数が削除されるはずだ。
売られる寸前だった奴隷の男達は、レットやコウと共に残っているスレイブの部下達を叩きのめしていた。
「商品」に傷が付かない程度でひどい扱いをされていたので、仕返しの気持ちもたっぷり含まれている。彼らの証言があれば、また動きがあるだろう。
一方、狼牙はミオイを背負い、無言で港へ向かって歩いていた。
「狼牙、怒ってる?」
どれくらい経った頃か。ミオイがそっと尋ねた。
「……いや」
「ほんと? 声が怖いし、顔が怒ってるように見える」
「これがいつもの俺だ」
これまで「怒ってるの?」「ご機嫌斜めか?」と何度言われただろう。これが素顔なのだ、放っておいてもらいたい。
「いつもはもっと優しい顔してるよ」
狼牙にとって意外すぎる言葉に、内心驚く。
「……お前にはそう見えてるのか?」
「見た目は怒ってるっぽいけど、優しいのはわかるもん」
「……」
やはり、怒っているようには見えているらしい。だが、優しい顔、というのは初めて言われた。
「……さっきはごめんね。いっぱい怒鳴っちゃった」
あれだけ人に怒鳴ったのは、たぶん……初めてだ。ずっと笑顔を貼り付けて生きて来たから。
同時に、あれだけ人から怒鳴られたのも初めてだった。
村では、誰かに怒鳴れば怖がらせてしまう。怖がられているから、誰も怒鳴ったりしなかった。表面だけのコミュニケーションしか、ミオイはしたことがない。
「あれがお前の本心なら、仕方ない。怒鳴ろうが、穏やかだろうが、同じだ」
「うん……あたし、こうなったことを後悔してないよ。足が痛いのより、心が痛い方がやだもん」
正直なところ、ほこりを洗われただけの足はとても痛い。狼牙と白が話をして、一旦キャット号へ戻ることが決まり、その後でもう一度洗い流された。巻かれた布には、また血がにじんでいる。
でも、狼牙がしっかり治してくれるだろう。そう思うと、それだけで気が楽だ。
「あたしね、スレイブみたいな奴はともかく、自分の力で周りの人を絶対傷付けたくない。それが、命を助けてくれた人だったら、なおさらだもん。あたしのせいで何かあったらって思うと……恐い」
狼牙は、スレイブの命令を頑なに拒否したミオイを「頑固」と言った。
だが、こうして話を聞いていると、人を傷付けてしまうかも知れない「恐怖」があったのだとわかる。
ミオイの力は強い。いや、強すぎる。その力を向けられたら、最悪のことも起きる、とは容易に想像できること。極端な話、村人は自分達がいつも死と隣り合わせな状態にあると思っていただろう。
しかし、村人が恐れていたことを、ミオイ自身が一番恐れていたのだ。
「ねぇ、狼牙」
「何だ」
「あたし、狼牙達のいる所へ行っちゃダメかな」
「……本当に村へは戻らなくていいのか」
答えがわかっている質問だが、狼牙はあえてした。いわば、最終確認だ。
狼牙の背中で、ミオイが小さくうなずく気配がした。
「その方がお互いのためだと思う。村の人達は安心して暮らせるし、あたしは小さくなってすごさなくて済むもん。おじいちゃんとおばあちゃんのお墓はあそこにあるけど、村へ戻るのは……もうやだ」
少し鼻声になりながら、ミオイははっきり拒否した。これなら、ぐずぐずと後悔することはないだろう。
「わかった。お前の身の振り方は、帰ってから考える」
「うん! ありがとう、狼牙!」
狼牙の言葉に、ミオイが嬉しそうに笑った。狼牙の首に回した手に力がこもる。
「首を絞めるな」
「絞めてないよぉ」
気持ちとしては、思いっ切り抱き付きたい。足の痛みも吹き飛んだ。
「ねぇ、あのスレイブって奴、タガトヒの兄貴らしいよ」
このことは、ミオイと白しか聞いていない。それを知らされ、狼牙は妙に納得した。
「道理でいけ好かない奴だった。ろくな兄弟じゃないな。お前、そんな奴らに目を付けられたのか」
「あら、目が高いじゃない」
「お前な……。チェロルみたいなことを言いやがって。タガトヒの時はともかく、今回はだまされて捕まったんだろう。知らない奴の口車に、簡単に載せられてるんじゃない。たまたまお前をだました奴を見付けられたから乗り込めたが、そうじゃなかったら今頃どうなってたかわからないんだぞ」
「でも、救ってもらえた」
笑うミオイに、狼牙は脱力する。
そんな二人の様子を、ちょうど手すり付近のチェックをしていたバルコーンが見付けた。
「あの二人、何をやらかしてきたんだ?」
この時点では何も知らないはずのバルコーンだが、やらかした、という部分だけはしっかり当てていた。





