頑固者
返事したと同時に、ミオイが二人に飛びかかる。
今までに見たことのない速さだったが、二人は難なく避けた。
「ミオイ、よせっ。おれ達のことがわからねぇのか」
コウが怒鳴るが、ミオイの表情は変わらない。スレイブのあざ笑う声が響いた。
「無駄だ、無駄無駄。その小娘には、わしの言うことしか聞こえんのだ。そして、わしの命令にだけ従う。ぶっへへへ。さっき飛ばされた男達を見ただろう。けしかけて二秒で投げ飛ばしたぞ。さぁて、お前達は何秒もつかな」
「うるせぇっ。ミオイがおれ達にそんなことするかっ」
コウがそう言ったそばから、ミオイの拳がコウのいた床に突き刺さる。もちろん、コウは逃げたが、その後には牛二頭は軽く入れるだろうという穴ができた。
「駄目だ、コウ。あいつにこちらの声は本当に聞こえてない。お前は奴を捜して倒せ。ミオイは俺が何とかする」
「わかった。頼むぞ、狼牙」
コウは入って来た扉へ向かって走り出す。
「おやおやぁ、大事なお友達を置いて逃げるのかな? ミオイ、奴を止めろ」
命令を聞いて、ミオイがコウに向かって飛ぶ。
「させるか」
狼牙の呪文で、ミオイの身体が宙で止まった。その間にコウは広間を出て行く。それを見たスレイブの不満そうな声が聞こえた。
「っち、魔法使いか。まぁ、いい。仲間に殺されるなら、お前もそれまでの奴だったということだ。少しでも抵抗して、わしを楽しませろ」
狼牙はミオイにかけた魔法を解いた。少しでもこちらの動きにスレイブの目を引きつけ、コウが行くまでの時間稼ぎをするためだ。
身体を浮かせる力が消え、ミオイはまた床を蹴って狼牙に掛かって行く。それをよけられ、ミオイの拳は壁に突き刺さった。壁の一部が大きく壊れ、扉もないのに出入口が増える。
「おい、いい加減目を覚ませ」
狼牙の言葉にも、ミオイは表情を変えることなく向き直った。
いつもの彼女なら、今のセリフに「ミが聞こえない」と言うはず。だが、その反論もない。完全に意識を支配されているのだ。
「おい、いつもの文句はどうした」
無駄と知りながらも、狼牙は声をかけた。スレイブをどうにかしない限り、ミオイは同じことを繰り返すだけだ。
またミオイが床を蹴って走り、狼牙を狙う。
その攻撃を避けられ、方向を立て直そうとした時、ミオイが転倒した。さっき自分があけた床の穴の破片で足をすべらせたらしい。
「……狼牙?」
顔を上げたミオイが、狼牙の名前を呼ぶ。転倒した衝撃で、正気に戻ったのだ。
どこかに設置されている飛葉から「ちっ」と小さく舌打ちするのが聞こえた。
与える衝撃の強さによって精神の支配が解けるのか、完全に支配下に置くには術をかける時間が短かったのか……。どちらにしろ、その程度の魔力だってことだな。
「ミオイ、俺がわかるのか」
「うん。あたし……」
ミオイは立ち上がりながら、ここはどこなのかと周囲を見回し、床や壁にあいた穴から自分が起こした行動を悟った。
「俺はお前以上の強者をいくらでも知ってる。突っ込むだけのお前に、俺は倒せない」
「……」
ミオイの顔が一気に青ざめるのを見て、狼牙は「事実」を伝える。
「そうかな? では、お前がこの小娘を倒してみるがいい。ミオイ、やられる前にそいつを倒せ」
スレイブの命令に、ミオイの身体がびくっと震える。
しかし、さっきのように襲いかかることはしなかった。
「絶対やだっ」
☆☆☆
コウはしつこく邪魔する男達を退けながら、スレイブの居場所を捜していた。
「コウー!」
「あ、白」
階段の上の方から呼ぶ声がし、見ると白が手を振っていた。
「無事だったのか」
「無事じゃねぇよ」
白の右足には、ミオイの足についていた物と同じ、黒いかせがあった。
しかし、スレイブはこれと言って白に命令をしていない。スレイブに対して余計なことを言うな、というくらいのもので、足かせが一つだから意識も奪われていなかった。
一緒に来いと言われたが、そばから離れるな、といった命令はされていないため、スレイブがモニターに集中している隙を狙って抜け出してきたのだ。
ちなみに、今のスレイブはミオイが映るモニターしか見ていない。他の侵入者については、手下や奴隷が捕まえると信じて疑っていないのである。今までそうだったから。
ちゃんと見ていれば、今頃は慌てふためいているはずだ。
「スレイブはこっちだ」
抜け出したはいいが、どうしようかと思っていたところにコウの姿を見付け、白はスレイブのいる部屋へ案内する。
「見付けたぞ、奴隷人間!」
扉を蹴破りながら、コウが怒鳴る。
「いや、それだとあいつが奴隷みたいだけど……ま、いいか」
言い放ったコウの言葉に、白は突っ込もうとしてやめた。
「お前はさっきの……逃げたんじゃなかったのか」
狼牙の目論見通り、ミオイの方に集中していたスレイブは、部屋から走り去ったコウのことなどすっかり頭から抜けていた。
「誰が逃げるか、この野郎。さっさとミオイと白を元に戻せ!」
言いながらコウは殴りかかり、スレイブは悲鳴を上げながらもかろうじてかわした。
「は、白。わしを守れ」
「え」
その命令をされた途端、白がスレイブの前に立ちはだかり、コウの攻撃から守ろうとする。
「こ、こんな奴を……ちくしょう」
白は悔し涙を浮かべながら、スレイブを守るために両手を広げてコウの前に立っていた。
「コウ、おれはいいから、こい……つ……」
こいつを殴れと言いたいが、スレイブの命令が白の言葉を奪う。
「この……白を盾にするんじゃねぇっ」
スレイブにパンチを向けようとするが、白がそちらへ飛んで自分がその拳を受けようとする。
仲間を殴る訳にはいかないので、コウはぎりぎりのところで止めて腕を引くしかない。
「どうした。お友達は殴れないか? ずいぶん仲がいいことだ」
自分の無事を確保できたことがわかると、またふてぶてしい態度に戻るスレイブ。
腹を立てたコウがまた拳を突き出すが、白が前に出るのでまた引っ込める。その繰り返しばかりだ。
「まだかっ、コウ! 早くしろっ」
モニターから、狼牙の怒鳴り声が聞こえた。スイッチが入ったままなので、この部屋の声が広間にも届いている。
コウがスレイブの所までたどり着いたことは、その声から狼牙にもわかったのだが、その後の進展がない。
それで、広間のどこにあるかもわからない飛葉に怒鳴ったのだ。
「なっ……ミオイ……」
はっとしたコウがモニターを見て、息を飲む。ミオイの足が血だらけになっているのだ。
狼牙がそんなことをするとは思えない。だとしたら……。
コウはスレイブの方に向き直った。
「お前、ミオイに何をしたんだっ」
スレイブもその映像を見ると、鼻で笑った。
「バカな小娘だ。わしの命令に逆らえば、自分が傷付く。素直に従えばいいものを」
意識が戻ったミオイは、スレイブに狼牙を倒すように命令されても拒否した。身体が動こうとするのを、必死で止めた。
その結果、足かせから小さな刃が飛び、ミオイの足を傷付けたのだ。
「ミオイ、何をやってる。抵抗してないで、さっさと俺を襲えっ」
「やだっ」
ミオイの足が傷付けられるのを見て狼牙が怒鳴るが、ミオイは何度も首を横に振って拒否する。
あたしの精神って、他の人より強いみたいで……。
タガトヒの件の時、ミオイはそんなことを話していた。今もその精神の強さでスレイブの命令を拒否しているようなのだが、今はその強さがミオイを傷付ける。
こんなことになるなら、まだ意識を支配されて向かって来る方がよかった。
「言っただろう。お前に俺は倒せない。お前が襲って来たところで、全部かわしてやる」
「やだって言ってるでしょっ……きゃっ」
また足かせから刃が飛び、ミオイの出血が増える。
「お前、そのままだと足が使い物にならなくなるぞ。いいのかっ」
「だってあたし、狼牙にひどいことしたくないもんっ」
「ひどいことじゃない。いいから俺の言うことを聞けっ」
狼牙が何度言っても、ミオイは拒否する。その度に足かせから刃が飛んだ。
これ以上傷付けられたら、もう立っていられなくなるはず。
「あれでは、価値も半減だな。っち、反抗心の強い奴隷だ」
ごくまれだが、術に完全にかからない人間がいる。しかし、普通の人間であれば、たとえ抵抗しても今のように「おしおき」があると、その痛みに屈して再び命令を聞くようになるのだ。
屈しない人間は屈するまで「おしおき」が続くため、最悪だと奴隷の価値はゼロになる。だが、そこまで抵抗できる人間はいない。
赤く染まっていくミオイの足に、狼牙は歯がみした。
「この……頑固者」
狼牙は杖を強く握りしめた。呪文を唱えると、ミオイの足を凍らせる。
「何すんだ、狼牙!」
「わああっ、ミオイー!」
ミオイ本人ではなく、モニターで見ていたコウが怒鳴る。そばで白が大混乱して叫んでいた。知らず三角の黒い耳が現れる。
「命令を遂行したくても、できない身体にしただけだ。それより、お前は早くそっちを片付けろっ」
ミオイの力なら、氷を砕いて脱出も可能だろうが、本人にその気はない。それに、冷やすことで出血が多少なりとも減るはず。
コウははっとして、同じように唖然としてモニターを見ているスレイブの方を向いた。
「な、何てことをしやがる。……だが、お前に奴のようなことはできないだろう。このかわいい坊やを殴れるか?」
コウを見て、にたりと嗤う。まだスレイブには若干の余裕があるようだ。
それでも、これまでにない状況に平常心ではいられないようで、白の耳に気付いてない。
コウが現れてもすぐにかせをつけられなかった時点で、スレイブの余裕もかなり見せかけではある。いつもは自分が安全な場所にいて、奴隷にする人間にかせをはめていたから。
それでも、自分の前には絶対に守ってくれる盾がある。そう思えば、こうして偉そうな態度も取れるのだ。
「この……」
「わしを殴りたいか? だったら、このお友達を殴ってからにするんだな」
身を挺して、白はスレイブを守ろうとする。ミオイのように、命令を拒否する力は出ない。
だが、コウは狼牙がしたことを見てひらめいた。
白がスレイブの命令に従って邪魔しようとするなら、邪魔できないようにすればいいのだ。
「白、歯を食いしばれ」
「え……」
「ま、まさかお前、こんな小さな子どもを殴るつもりか」
友達か何か知らないが、顔見知り以上の関係と思われる。それに、白は子ども。絶対にこの男は白を殴らないと信じていたから、ずっと強気に出られたのに。
コウのセリフに、スレイブは焦りまくる。
「お前をぶっ飛ばすためなら、それも仕方ねぇっ」
コウは左手を白に伸ばした。白は目をつぶって歯を食いしばる。
さっき「おれはいいから」とは言ったが、まさか本当になるなんて。これまであの拳が自分に向けられるなんて、想像したこともなかった。
おれはいいから……いや、本当はよくない。でも、覚悟するしかなさそうだ。いくら魔獣でも、殴られれば痛い。人間より防御力はあっても、無痛ではないのだ。しかも、相手はコウ。殴られて顔が変形したら、狼牙はちゃんと治してくれるだろうか。
そんなことを、つらつらと考える白。
だが、いつまで経っても、衝撃は来ない。いや、口と鼻を強く押さえられた感覚はあるが、殴られたような気はしなかった。
「へ?」
白はコウの左手で、抱き寄せられる形になっていた。口と鼻を押さえられた感覚は、コウの胸に押し付けられているからだ。
コウに捕まり、これで白は「スレイブを守る」ことができなくなる。これは命令違反ではない。遂行が不可能なのだから。
「なっ……お前っ」
盾を奪われ、スレイブは目を見開く。
「食らえっ!」
コウの右拳が、スレイブの顔面にめり込んだ。スレイブはそのまま飛ばされて壁に激突し、それでも足りずにその壁をぶち抜く。
その後は……コウに見る気はなかった。どこかにめり込んだだろう、と思うくらいだ。
いつも狼牙から「殺さない程度に」と言われるし、これまでやりすぎたことはないが、今は心のどこかで「こいつは構わない」と思っていた。
「あ、かせが……」
コウの腕から解放された白は、自分の足から黒いかせがなくなったことに気付いた。スレイブの魔力が消えたのだ。
「やったー! 解放されたぞ」
「よっしゃあ! 狼牙、スレイブはぶっ倒したぞ。ミオイのかせは取れたか?」
さっきの衝撃でか、モニター画面はひび割れてしまい、広間の様子がよく見えない。
「ああ、取れた」
映像はないが、声は聞こえる。
狼牙の報告を受けて、コウと白はハイタッチして喜んだ。





