怪しい屋敷
大きな屋敷だ。フォンシー村からほとんど出たことのないミオイには、村人全員が住めるのではないか、と思える程である。実際、人口の少ないフォンシー村の住人なら入れそうな気がした。
金色に塗られた鉄格子の門扉は高く、普通の人間では上って乗り越えることも困難だろう。ミオイなら軽いが、今は飛び越える必要はない。面会に来ているだけなのだから。
「ごめんくださーい」
ミオイは門の格子の間から、中へ向かって声を張り上げる。ここへ来た客は、どうやって来訪を中の人間に知らせるのだろう。
ミオイの声が聞こえたのか、メイドらしき服を着た女性がこちらへ来た。
「あの、ネイアさんって人に会いたいんですが」
「ネイア、ですか」
疲れているようでもないのに、メイドの声は頼りない。心ここにあらず、といった印象を受ける。タガトヒの所にいたメイドを思い出させる雰囲気だ。
「……ご主人様がお待ちです」
「ご主人様って……スレイブって人? いえ、あたしが会いたいのはネイアさんで」
「ミオイ、何か様子が変だぞ」
白がミオイの服を引っ張る。
「変って何が?」
「わかんねぇけど、何か変だ」
白とミオイが話しているのも構わず、メイドは続けた。
「下へお入りください」
「下?」
聞き返した途端、足下の地面がなくなった。
身体を支える地面が消えて、当然ながらミオイは白と一緒にその下へ落ちてゆく。すべりやすいスロープになっていて、身体はどんどん下へと向かって行った。
ふっと身体が浮いたかと思うと、次の瞬間には床にしりもちをつく。こういう状況が初めてなので、ミオイは受け身も取れなかった。
「いった……。何、ここぉ?」
薄暗い空間の中、ミオイは周囲を見回した。その目に格子が見え、ぎくっとする。
さっきも格子を見たが、それは門扉だ。今は状況から考えて、ここは地面の下。地下の空間に格子があるとすれば……牢ではないか、と想像がつく。
予想違わず、ミオイは地下牢に入れられていた。
「ふむ、これが怪力女か」
その声に、ミオイはそちらを向く。格子の向こうには小太りの中年男がいた。
やや白髪まじりの黒髪はぴっちりとオールバックにされているが、黒ヒゲで顔が半分隠れている。細い目でミオイの全身をなめ回すように見るのが不快だ。その姿を見ているだけで腹が立つと言うか、気分が悪くなる。
これがスレイブだろうか。だとしたら、ずいぶん怪しげな実業家だ。もっとも、ミオイは普通の実業家がどんな格好をしているものなのかなんて、よく知らない。
「あんたがスレイブ? ネイアさんはどこ?」
「ネイアなら、上でメイドの仕事をしておるよ。それが何か?」
にたにた笑いながら、スレイブは答える。
「ルトリにお姉さんを返しなさいよ。この屋敷にさらわれたって聞いたわよ」
「ぶっへへへ。それでわざわざここまで来たのか」
相手の笑い声に、ミオイは虫酸が走った。よく似た笑いを、つい最近も聞いた気がしたのだ。その記憶が、ますます気分を悪くする。
「だが、そのルトリが、お前の来ることをわしに教えて来たぞ」
「……え? どういうこと?」
相手の言うことが理解できない。だが、何となくよくない方向へ向かっている気はした。
「お前は力が相当強いそうだな。わしの部下のヤーブンをあっさり放り投げたとか。あの巨体を簡単に投げるとは、頼もしい」
部下の名前なんて知らないが、思い当たることはある。いやと言う程に。
「あんた、あの場にいた?」
「いいや、ルトリからの報告さ。お前が助けてやろうと思ったルトリは、わしの奴隷だ。いい獲物を見付けたら調達しろ、と命令してある。あのガキはその命令を遂行したのさ」
状況がまだ把握しきれない。とにかく、ルトリに騙されてミオイはこの地下牢へ入る羽目になったのだ、ということだけはわかった。
「出してよ。ここから出せっ」
ミオイは鉄格子を握ると、それを開こうと力を込める。だが、触れた途端、火花が出て手がしびれた。思わず手を離す。
「雷の力を流してある。黒コゲになりたいなら、ずっと触れているといい」
スレイブは勝ち誇ったように言う。
「あたしをどうする気っ?」
言ってから、そばに白がいないことに気付いた。
「あたしと一緒に落ちて来た子は? どこへやったのっ」
「あいつのことかな?」
スレイブがあごをしゃくった方を見ると、大男にナイフを突きつけられながら首を掴まれている白がいた。
その気になれば、人間など簡単に振り払えるはずの白だが、抵抗しようとしない。自分が捕まっているせいかとも思ったミオイだが、そうじゃないと否定した。
魔獣でも動物と同じなんだ……。
手を使えない獣は、子どもを運ぶ時に首根っこをくわえる。子どもは落とされないよう、おとなしくする。それは動物の本能。
白にそんな気はなくても、首根っこを掴まれることで動けなくされたのだ。ミオイが捕まっている、というのも理由の一つではあるのだろうが、今は本能を抑えられている。
「かわいいお友達だな。それとも弟か? どちらにしろ、お前がおとなしくしないと、あのお友達の髪を剃っていくぞ。坊主でもかわいいんじゃないか? 毛がなくなれば次は……わかるな」
皮をはぐ、とでも言いたいのか。真綿でじわじわと首を絞めるような手口で、スレイブはミオイの動きを止めようというのだ。
「そのままじっとしていろ」
スレイブが何か投げたように見えた。急に両足首が重くなり、見ると黒い輪っかがはまっている。鎖はないが、これがアンクレットとは言いがたい。趣味が悪すぎる。
「何、これ」
「見ての通り、足かせだよ。奴隷の術だ。この力で人間を奴隷にし、命令を聞かせることができる。今からお前は、わしの奴隷だ」
「人形にしたり、奴隷にしたり……ろくな奴がいないな」
「人形? わしの弟も人形が好きだったな。部屋中、人形だらけにしていた」
「げっ……」
ミオイはもちろん、白もその言葉に驚愕する。
間違いない。つい先日捕まったタガトヒだ。こんな所で「ど腐れ変態人形マニア」の兄に遭遇するとは。兄は兄で「ど腐れ極悪奴隷マニア」というところか。
兄弟揃って、人間を操るのが好きなようである。同じように目が細いのも、笑い方が似ているのも納得だ。気分が悪くなるはずである。
「弟は人形が大好きで、珍しい人形があると聞いては各地へ飛んで行った。そのうち気に入った人間を人形にすると言っておったようだが……くだらん。人形など眺めても、何の金にもならんというのに。同じ人間を操るなら、金になるようにせんとな」
タガトヒはひたすら人形集めに没頭し、やがては人間を人形にして実物大ドールハウスを造ろうとしていた。兄のスレイブは、集めた人間を金に換える方にご執心らしい。
「……あたしを奴隷として売るつもり?」
「ああ、そうだ。その前に、お前の怪力とやらを後でしっかり見せてもらおうか。それから一番高値の所に売りつけてやる。久々にいい競りが見られそうだ」
「勝手なことばっかり言いやがって」
ミオイは格子を蹴った。少し大きな火花が出る。
しかし、さっきのことで身体が恐怖を覚えているのか、いつものような力は入らない。さほど太くはない格子は、ミオイの蹴りを受けても少し曲がる程度だ。
いつもの力の半分も出ていないが、曲がった鉄格子を見たスレイブは、ミオイが確かに常人以上の力を持っている、ということを知る。
「ほう、怒りで少しは強くなったか。だが、わしをどうこうできると思うな。わしはお前のご主人様だぞ」
「その言葉、もう聞き飽きたっ!」
何がご主人様だ。こちらは奉公した覚えもないのに。
タガトヒにもさんざん言われた。はっきり言って、二度と聞きたくなかったのに。
「これからいくらでも聞く機会はある。牢の中央へ行け」
「ミオイ!」
スレイブに言われた途端、白はミオイの顔から表情が消えてゆくのを見た。ミオイは言われるがまま、牢の中央へと移動する。
白はそちらへ駆け寄りたいが、目の前にナイフをちらつかせられ、そうでなくても男の手から抜け出せない。
「そうだ。おとなしくそこで座って待っていろ。ミオイと言うのか。お前の力を見られるよう、後でテストをしてやるからな」
そう言うと牢の中央で座り込んだミオイを残し、スレイブは白を掴まえている部下を引き連れて階上へと消えて行った。
☆☆☆
スレイブの屋敷へ向かう途中、ルトリの持つ飛葉に通信が入った。
狼牙からいつものように対応しろと言われ、ルトリは飛葉に応える。
「怪力女は手に入った。他にめぼしい連れはいそうか?」
「はい」
ルトリはあっさり返事をしたが、同行している狼牙達は黙っていた。
「だったら、ついでにこちらへ向かわせろ。これから需要が増えそうだからな」
そう言って、通信は切れた。
今の話から、ミオイが捕まったのは確実となる。自分達がついで扱いされたのはともかく、狼牙は別の言葉が気になった。
「需要というのは何のことだ」
「もうすぐ隣のカラ島で闘技大会があるんだ。それに出場するために向かってる男達が、途中でこの島へ寄ることが多いから、その中で無名の選手を捕まえてる。そいつらを何人かにまとめて売ろうとしてるんだ。力仕事をさせるために」
「えげつないこと、考えよるな。奴隷のセット販売か」
シズマがいまいましそうにつぶやいた。
「きっと後悔するよ」
スレイブの屋敷の前まで来ると、ルトリはそう言った。
「奴隷達を運ぶ人は、みんな大きくて強いんだ。ここ数日で何人か奴隷にして、そいつらを売り渡す準備をするために大勢の人が屋敷へ集まってる。あんた達があの子を捜そうとしたって、逆に捕まって奴隷にされちゃうよ」
ルトリが狼牙の質問に素直に答え、案内しているのも実はそれを目論んでのこと。今までにも似たようなことがあったのだ。
「そいつに俺達を奴隷にできるだけの力があるならな」
突き放したような狼牙の口調に、ルトリは青ざめる。
これまでにいなかった、何やら危険な人間を連れて来てしまった、という予感がしたのだろう。
「なぁ、要するに中にいる奴は、みんなぶっ飛ばしていいんだろ?」
「奴隷になってる奴は関係ねぇだろ。……見分けがつくのか?」
狼牙に負けず劣らず目付きの悪いレットに尋ねられ、ルトリは小さく震える。
奴隷を運ぶ男達もたいがい人相がよくないが、こちらも相当怖い。そもそも彼らが何者かもわからないから、なおさらだ。
あの小柄な少女と小さな少年の連れがこんな怖そうな男達だなんて、一体どういう組み合わせなのだろう。もしかして、スレイブより厄介な連中かも知れない、という不安がルトリの中で広がる。
「……奴隷なら、黒い足かせか手かせをはめられてる」
「それじゃ、黒いのがない奴をぶっ飛ばせばいいんだな」
コウは単純にそう判断する。
「ミオイ、無事やろな」
「あいつが無事じゃねぇって方が考えにくいだろ」
「レット、ミオイも女の子なんやから、もうちょっと心配したれや」
クールな口調のレットに、シズマが文句を言う。
「あの竜巻娘がやられるって、想像する方が難しいぞ」
「竜巻娘て……まぁ、わからんでもないけど」
門扉に鍵はかかっておらず、狼牙がそれを押し開けて一行は中へ入る。
「ちょ、ちょっと、あたしは」
放っておかれたルトリが叫ぶ。てっきり中まで連れて行かれるものだと思っていた。
だが、気が付けば、なぜか門のそばからほとんど動けなくなっている。
ルトリはその存在を知らないが、狼牙の魔法で結界の中に閉じ込められていたのだ。透明の檻である。
「もうお前に用はない。そこでしばらくおとなしくしていろ」
案内役が終わったルトリに、もう利用価値はない。スレイブの共犯として処分が下るだろうが、今はちょろちょろされると邪魔だし危ない。逃げられても困る。なので、動きを封じたのだ。
その場から離れられないものの、男達の姿が屋敷の中へと消えて、ルトリはほっとする。
あいつら、本当にスレイブ様をぶっ飛ばすつもりかな。
もしそうなったら、自分はどうなるのだろう。そして、ネイアは。
ルトリは右手で服の上からそっと自分の左手首をなで、屋敷の壁を見ていた。





