3話 最初の会話と最初の想起
店を飛び出した俺の目に飛び込んできたのは、まさしく中世ヨーロッパ風の街並みだった。石造りの建物に石畳で舗装された道路、行きかう馬車に、歴史の授業で見たガス灯のような形の街灯。
店の中にいたときに気が付かなかったことが不思議なくらいには人通りもあり、賑わいのある街並みだった。道行く人々は俺ほどではないが、現代のそれと比べれば簡素なつくりの服を着ているようだったが。
というか、いくら観光業に力を入れるにしても、一般市民の服装を制限したり馬車を使用したりというのはやりすぎじゃなかろうか。まるでタイムスリップでもしたかのようだ。
俺の疑問をよそに、周囲の人々は俺が姿を現してから、奇妙なものでも見るかのようにこちらを見ていた。俺が周囲の街並みを興味深そうに眺めていると、一番近くにいた中年の男性がこちらに近づき、声をかけてきた。
「______、________?__________________?」
案の定というか、何を言っているのかさっぱりわからない。さすがに日本語で返しても無駄だろうし、英語で警察に連絡をとってもらうよう伝えてみることにした。
「Please call the police.」
うなれ俺の中学英語。勉強はそれなりにしてきた方なので英語が苦手というわけではないが、学校の成績と実際にしゃべれるかは別の話だ。
最悪、警察という単語だけでも伝わればと思ったが、男性の怪訝そうな顔にさらに困惑が浮かぶ。
「____。_______。___________?______。_____、_______。_____________。」
男性は手でこちらの動きを制するような動きを見せると、駆け足でそこを去っていった。
はっきりとはわからないが、ここで待っていろということだろうか。警察を呼んでくれるのならこれ以上にありがたいことはないので、おとなしくそこで待つことにした。
しかしこの街並みと言い人々の服装といい、本当にタイムスリップしたと言われても納得してしまいそうだ。この調子だと、中世の兵士みたいに鎖帷子とか甲冑とか着た警察が来てもおかしくないな!
◇
鎖帷子を着た、二人の兵士のような恰好をした男たちがやってきた。当たらなくていいのに、そんな予想。鎖帷子と鉄兜だけならともかく、槍まで持っている。まさか本物じゃないよな?本物じゃなくても危ないが。
それにしても、本当に何なんだろうこの町は。そういう祭りでもやっているのか?
ジャラジャラと音を立てながら近づいてきた兵士が声をかけてくる。
「______、__________?」
相変わらず聞いたこともないような言葉だ。ひょっとしたら、もしかしたら英語が通じるかもという望みをかけてこちらも口を開く。
「Can you speak English?」
俺のわずかな望みは、目の前の兵士の困り顔を見れば一目で無理なものだとわかった。知っている英単語の一つでも返ってくればと思っていたが、それすらも望めそうにない。いよいよ困った事態になった。
今のところ、例の第六感も何の反応も示さない。少なくともこの兵士たちに敵意はないということか。それとも、肉体の変化に合わせてあの感覚も失われてしまったのか?
兵士たちは早くも言葉による対話を諦めたのか、一人が俺の後ろに立ち、俺の前の兵士は踵を返して前方を指さした。おそらくついてこい、という意味だろう。首を縦に振って従う意思を見せる。頼むから、こういう仕草くらいは通じてくれよ。
◇
兵士たちに連れられて歩くこと数分。本日何度目かわからない衝撃の光景を目にした。
八百屋らしき店の店員が何事かをつぶやくと、何もない空間からわずかな光と共に水が湧き出てきたのだ。現れた水は甕のような入れ物の中に注がれていき、何枚かの硬貨と引き換えにお客に渡されていた。
「はっ…?今の……なんだ?何をしたんだ?」
思わず声を出して驚いてしまった俺に、前を歩く兵士がこれまた驚いた顔で振り返る。
俺は抵抗の意思がないことを示すために再び黙り、首を横に振った。意図が通じたらしい兵士は少し何かをつぶやくと再び前を向き歩き出した。
今のは何だったのだろう。まさか、まさかとは思うが、あれは魔法だったりするのだろうか。店の店員が使っていたのが魔法で、ここは日本どころかそもそも地球ですらなくて、俺は神田翔でないとしたら。
頭痛が走る。何か、何か忘れているような気がする。思い出さなくてはいけない何かを。
見間違いかもしれない。無理やり自分を納得させた俺は、少しでも状況が改善されることを願い歩みを進めた。
◇
兵士たちに連れられた俺は、広場のような場所に到着した。広場の中央に大きめの像がある円状の広場だ。いくつかの道がこの広場で結びつく構造になっているらしく、これまで歩いてきた道よりさらに人通りが多い。
広場を挟んで向かい側に向かっているらしい兵士たちと歩くうち、その像の近くにたどり着いた。石造りの像だが、なかなか立派なものだ。軽装の鎧に身を包み、剣を構えた青年と、青年と背中合わせに立ち、祈るように手を組む少女の像。
そのとき、先ほどから続いていた頭痛が、頭に雷でも落ちたのかと疑いたくなるほどの痛みに変わった。頭の内側から、何かが湧き上がってくるかのような痛み。湧き上がってきた何かで頭が割れそうだ。第六感は何も告げない。この痛みが脅威でないって?そんな馬鹿な。病気の時にしょっちゅう感じた、じわじわと体力を奪っていくような痛みとは違う、純粋な痛みとしての激痛。
自分が何やら悲鳴か何かをあげているらしく、兵士だけでなく周囲の人間がこちらを見て慌てている。
ただこの時の俺はただ痛みが過ぎ去るのを無防備に待つばかりで……。
痛みからの解放は、俺が意識を失うという形で訪れた。
◇
……ぼんやりと、しかしそれがただの夢でないことを確信できるほどにしっかりと、ある光景が浮かび上がってくる。
暗い夜の闇。その中でゆらゆらと揺らめくたき火の炎。その傍らには、あの像で手を組んでいた少女が佇んでいた。像として見たときと雰囲気や服装はほとんど変わらなかったが、顔の作りはこうしてみるとこれ以上ないほど整っていて、ともすれば気味が悪くなりそうなほど左右対称であった。真っ白く長い髪と青く透き通った瞳も合わさってまるで人形のような外見だ。
少女が口を開く。
『君にばかりつらい役割を任せてごめんね。君が選ばれたのはほとんど偶然だったけれど……』
『問題ない。どうせ消える命だった。あんたが力を与えてくれたおかげで、俺はこうして生きている』
少女の声に応えたのは若い男の声だった。どちらの声も聞いたことのない声のはずなのに、ひどく懐かしさを覚える。
『そう言ってもらえると助かるよ。脅威や危機を感じ取る、なんて曖昧な力だけど、役立ててくれると嬉しいな』
『ああ。十分だ。与えられた使命を果たすのに、これ以上の力はない』
脅威を感じ取る力……。与えてくれた力……?それってもしかして俺の……?
『使命、ね。勿論君たちにとっては重要だと思うけどさ。それより君、仲間は作らないの?その使命を果たすのに一人じゃ心もとなくない?』
『無理だ。敵の正体を知っている以上、この戦いに誰かを巻き込むわけにはいかない』
『ふうん…世界を救おうっていうのに、自分は救ってあげられないんだね…』
『何か言ったか?』
『ううん。なにも。……それじゃあね、僕の勇者。君の旅がどんな結果に終わっても、僕はそれを受け入れるよ』
最後に少し悲しい表情を浮かべ、少女は光となって消えてしまった。
残された男は、足元の小石を拾い、それを握りつぶした。粉々になって崩れる小石だったものを眺めながら、男がつぶやく。
『テミスは……世界は、俺が救ってみせる。たとえたった一人でもな』
寂しさを決意で塗りつぶす男の声を最後に、俺の意識はもとの場所に帰っていくのだった。