プロローグ2:荘厳なる謎の神殿にて
……………
………
…
「ぁぁぁぁああああべだっ!?」
う、ぐはぁ、背中から落ちちまったぁ……うぅ、い、息が苦しいぃぃ……。
な、なんで、木の床じゃねえんだよよぉぉ……石だったぞ、今の感じ……うあぁ……。
「……ふぅ」
一頻りのたうち回って、ようやく息苦しさが抜けてきた。けど、まだ背中が……いてて。
くそっ、一体何が起こったんだ。壺に触ったら名前を聞かれて、アキラ・サカイの後継者がどうとか、ラグラシアに転移がどうとかって言われて、いきなり壺の中に吸い込まれて……。
……ってかアキラ・サカイって、じいちゃんの名前じゃん。どういうことなんだ?
「………」
……うん、いくら考えても答えは出なさそうだ。とりあえず置いとこう。
まずは、自分の状況を確認してみる。着ていた服や靴やマスクはそのままで、ひっ付いた埃やらクモの巣もそのまま。ズボンのポケットに忍ばせていた、みかん味の飴もそのままだ。
次に、体の調子。頭、腕、足……さっきので背中が痛いけど、それ以外は特に問題なさそうだ。頭から落ちなくて良かったよ。
「……ううっ、寒っ」
それにしても、寒いなここ。半袖で過ごすのはちょっと、いやかなりツラい。
なにか、羽織るものはないか……ってうわぁ、なんだこれ。
超広大な円形のホール、その壁一面に壁画がびっしり。その上には、巨大なステンドグラスがホールを見下ろすように二つ。圧巻の光景だ。
ステンドグラスには、片や立派な髭を蓄えたお爺さん、片や杖を持った美しい女性が描かれている。雰囲気から察するに、男神様と女神様だろうか。
その下の壁画には、白い羽と黄色の輪っかを携えた女性(天使?)や虹色の後光を背負った剣士(勇者?)、黒角と黒翼を生やした男(魔王?)、ブレスを吐く巨大生物(ドラゴン?)……他にも色々な絵が描かれている。
ついでに、床と壁はやけに光沢のある(むしろ、薄く光ってる?)石でできてるし、天井はあまりに高すぎて薄霞みの向こうにある。
ただただ、荘厳。この凄まじい光景を表す言葉が、それ以外には見つからなかった。
「……ん?」
と、すぐ後ろの小テーブルに乗った壺に目が留まる。
……ものすごく見覚えのある壺だ。かなり大きく、複雑な意匠がびっしりと描かれている。
蔵にあったあの壺と、瓜二つのものがそこにあった。ちょうどホールのど真ん中に当たる場所だ。
「………」
それに手を伸ばしかけて―――やめた。
なんとなく、この壺に触ったら蔵に戻れそうな気はする。
……気はするが、ここがどこなのかを確かめない限りは戻りたくない。なぜか、そう感じた。
「さて……」
大ホールのとある一角を見る。この荘厳な空間には全く似つかわしくない、古びた木の扉がそこにあった。どうやら別の空間があるらしい。
ゆっくりと、その扉に近づいていく。そこへ移動する間も、目線を多くの壁画に向けていった。
……ん? この壁画、ストーリー仕立てになってるんだな。ちょうど扉の真上にある絵を起点に、ぐるっと左回りに時間が進んでいくみたいだ。
最初は、村人が鍬を片手に畑を耕す絵。次に、森の中で村人と女神様が出会う絵。そこからは村人が勇者に変わり、ドラゴンやらスケルトンやら悪魔っぽいのやらと戦う絵が続いていく。しかも時間が経つにつれて、勇者の後光が少しずつ増していってるようにも見える。
最後の方で、やけに威風堂々としたな男―――黒角と黒翼を生やした魔王と戦い、勇者は相討ちになっている。そして、男神様と複数の天使に連れられて勇者の魂が天に昇っていく絵を最後に、畑を耕す絵に戻っている。
あと、なぜか昇天していく絵と畑を耕す絵の間にだけ、若干の空白がある。意味はよく分からないけど、歴史学者なんかが見たら色々な解釈が出てきそうだな。
……などと考えてるうちに、扉の前に着いた。軽く押してみたら、木の扉は意外と簡単に開いた。立てつけはかなり良さそうだ。
「……!!」
扉の向こうは、小さな円形ホールに繋がっていた。ちょうど真ん中に浮島のような空中広場があり、そこから放射状に幾つもの空中通路が伸びている。その一つ一つの先に扉があり、今しがた俺が開けた扉もその中の一つであるようだ。
手すりに手を掛けて、空中通路の下を覗く。真っ暗で底が見えない……落ちたら命は無さそうだ。
「罠とかは無い……よな?」
一応は警戒しつつ、空中通路を進む。
「……あ」
結局、何事もなく空中広場へ辿り着いた。
……真ん中に何かあるな、宝箱か? かなり汚れてるみたいだが……。
「………」
そっと、宝箱の上に手を乗せる。実は、宝箱を開けるという行動に内心ドキドキしていたりする。
……いやだって、仕方ないだろう。ゲームで宝箱を開ける時って、なんかこう……ウキウキというか、ワクワクというか、そんな気分になるじゃんか。まあ、俺のゲーム経験上七割くらいは『それ、さっき買ったやつだよ!』とか『や○そうかよ、いらね~』とか、がっかり系のアイテムだったりするのだが。
さて、この宝箱はどうなんだろう? 寒さはここも相変わらずだし、できれは着るものが出てきてくれるとありがたいなぁ……なんて。
―――パカッ
「……?」
中に入っていたのは、口紐付きの袋と……三つ折りの紙?
箱の外観はあんなだったけど、袋も紙も今さっきまで使われていたかのように綺麗だ。少なくとも、経年劣化している様子はない。
「………」
紙を拾い上げ、開く。
何も書いていない―――かと思いきや、どこかで見たような筆跡の日本語が紙に浮かび上がってきた。
『私の後継者となった者へ
私の名前は坂井 晃。貴方より先に壺に認められ、ラグラシアへと渡った者である……』
「これは……」
間違いない、これはじいちゃんの手紙だ。右上に書いてある独特のサイン、これはじいちゃんがよく手紙に書いてたものだ。
……よし、続きを読んでみよう。
『私の後継者となった者へ
私の名前は坂井 晃。貴方より先に壺に触れ、ラグラシアへと渡った者である。
これからラグラシアへ踏み出す貴方に宛て、この手紙を残す。ここには、私が長きに渡って積み上げてきた知識や経験などを、思い付く限り書き連ねている。是非、有効に活用して欲しい。
さて、まずは貴方に申し上げておく事がある。
ここラグラシアは、浪漫と危険が隣合わせの、我々の世界とは異なる世界―――異世界である、という事だ。我々の世界に幾つかある『クロノスの壺』に認められた者のみが世界を飛び越え、こちら側へと来る事ができるのである。
そしてラグラシアでは、地球での知識や常識はその多くが通用しないと言って良いだろう。
確かに兎や猪のような普通の動物はいるし、地球でいう人間によく似た種族もいる。国も多数存在するし、その多くは王や皇帝により治められる絶対王政の国だが、中には民主的な国家も存在する。
しかしその一方で、魔法やエルフ、ドワーフ、獣人といった空想の産物、そしてゴブリン、オーク、ドラゴンといった空想の怪物―――『魔物』が実在し、逆に銃や飛行機や鉄道といった文明の利器は、影も形も存在しない。
端的に言うならば、剣と魔法の空想実在世界。それがここ、ラグラシアという世界なのである……』
「……マジかよ」
生前、じいちゃんは『嘘』や『建前』というものをひどく嫌っていた。思った事をはっきりと言う人で、そのせいで揉めた事も一度や二度じゃなかったとか。年をとって多少は丸くなったらしいが、それでも「言いたい事も言えない人生なぞまっぴらごめんだ」と事あるごとに言っていた。
そんなじいちゃんが、サインまで残して認めた手紙だ。書かれた内容に、嘘があるとは到底思えない。
……よし、もっと読んでみよう。
『……さて、クロノスの壺に認められた者よ。どうかこの手紙の内容を心に刻んで頂き、決してこの世界で死ぬ事の無いようにして欲しい。
ラグラシアで死を迎えた者は、地球においては存在そのものが跡形もなく抹消されてしまう。その者が、かつて地球に居たという事実さえも消え失せてしまうのだ。
そして、その者の事を覚えているのはラグラシアに渡った事がある者のみとなる。
その者の存在が、まるで最初から無かったかのように周囲が振る舞うという矛盾―――それに耐えきれず、心を壊してしまった者を私は見た事がある。できれば貴方にはそうなって欲しくないし、貴方の仲間となった者にそんな辛い思いはさせたくない。
だからこそ、もう一度だけ言う。ラグラシアでは、決して死ぬ事の無いよう行動して欲しい。
ラグラシアは、地球で生きるより遥かに自由な世界だ。なればこそ、貴方の行動には莫大な責任が付いて回るという事を、ゆめゆめ忘れないように。
なお、袋は私からの餞別だ。小さな見た目より遥かに多くの物が入る、魔法の収納袋となっている。中に入れた物も含め、是非とも活用して欲しい。
』
「………」
……なるほど、そういう事だったのか。
じいちゃんが、決して蔵に誰も入れさせなかった理由。
それは、ラグラシアが非常に危険な場所だという事を、きっと誰よりもよく分かっていたからだろう。
そしてもし、親類縁者が壺に認められて共にラグラシアへと渡り―――その人とじいちゃんのどちらかが死んでしまったら。
取り返しのつかない後悔を、じいちゃんは、あるいは一緒にラグラシアへ渡った人は死ぬまで抱える事になっていたはずだ。
それが、どれほど辛い事か。じいちゃんはきっと、誰よりもよく分かってたんだろう。
「………」
袋の中に手を入れる。何とも不思議な事に、入っている物の映像がスッと頭に浮かんできた。
草の束(たぶん薬草)が十束、小瓶入りの透明な液体(ポーション?)が五瓶、輝く液体が入った小瓶(ハイポーションか?)が二瓶、防具として皮製の鎧・兜・盾・ブーツの四点セット(新品)、武器は剣・槍・斧・杖・弓の基本セットに、ダガー・刀・両手剣のようなメジャー武器、三節棍・鉤手甲・トンファー・チャクラム・鎖鎌・薙刀・モーニングスターのようなマイナー武器まで選り取りみどり。
そして、最後は鍵の束。袋に入ってるのは、これで全てのようだ。
「鍵……」
もしかしてコレ、扉の鍵か? 鍵は七つ、虹の七色に塗り分けられていて、この小ホールにある扉の数は八つ―――さっき通ったものを除けば七つで、それらは鍵と同じように色分けされている。
「………」
きっと、あの扉の先にはラグラシアの広大な世界が広がっているのだろう。自由で、開放的で、過酷で、残酷な世界が。
もちろん、俺に行かないという選択肢は既に無い。あれだけ動くのも億劫だったのが、どうしてか今は体が軽いのだ。扉の先の世界というものに、あり得ないほど魅了されてしまっているのだ。
……だからこそ、まだ早い。この手紙には、ラグラシアで生き残るための心得が詰まってるらしい。まずはそれを読まなければ。
再び手紙を覗き込む。さっきまで浮かんでいた文字が消えて、新たな文字が浮かび上がってきた……。