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目醒めと出会い

 エレナが久しぶりに幼馴染のもとを訪れてから十日ほど経った日のこと。

 相変わらず治療院で忙しく治療を続けるエレナであったが、その表情は曇りいつものような笑顔はなかった。

 先日のガイルとの約束を思い出すと思わずため息が漏れる。彼と交わした約束を違えることはできない。しかし今の生活を壊したくもない。そんな矛盾を抱えながらこれからのことを思うと、不安を感じずにはいられなかった。

 しかもこの治療院を辞めることを未だに周りの者達に打ち明けられずにいたのだ。

 しかしそんな事を知る由も無い患者達は毎日変わることもなく訪れてくる。


(やっぱり私はみんなを救う仕事を続けたい。だって…)


 考え事をしながらもエレナは手際良く治療を済ませる。


「はい。終わりましたよ。寝る前にもう一度この薬を塗り直して下さいね」

「嘘のように痛みが消えました。ありがとうございました」


 そう言って嬉しそうに頭を下げる患者に会釈を返すエレナ。患者を見送りながら一息入れようと飲み物に手を伸ばす。


(だって私はみんなのこの笑顔を見るために頑張っているの。みんなの幸せそうな顔を見る事に生き甲斐を感じているのだから。そして何より両親が生きた証であるこの治療院を守るために…)


 守るために…

 そう考えたところで自分に何ができるのだろうかと思い悩む。

 この数日、この答えの無い自問自答を繰り返し何度ためいきを漏らしてきたことか…

 答えも出ないまま、それでも考えずにはいられなかったエレナはますます不安が増していく。


「どうしたんだいエレナ? 最近浮かない顔ばかりして。そう言えば彼の所に行ってから元気が無くなったね。喧嘩でもしたのかい?」

「…何でもないのお爺さん」


 患者の治療をしながら言葉をかけてくれるお爺さんに、エレナは何とか笑顔を返す。しかし心配をかけまいと作り笑いを浮かべたつもりだが、どうにもぎこちない。

 お爺さんは儂にも相談してくれんのか、と言いたげな表情になるがそれ以上詮索してこようとはしなかった。


「なぁ〜頼むよ〜。エレナの他に頼れるのはいないんだ」


 患者に視線を戻しながらもエレナは再び先日のガイルの言葉を思い出す。


(やはり彼には自分しか頼れるものがないのよ。例えどの様な願いであろうとも自分が叶えてあげられることならそうしてあげたい。自分が犠牲になることで彼の支えになれるのならそれで十分じゃない)


 そう思うとそれまで難しい顔をしていたエレナも、次第に表情が優しげなものへと変化する。


(もしかしたらこれをきっかけに、また昔のような関係に戻れるかも。そうしたらいずれはもっと二人の距離が縮まって…)


「このままずっと俺のそばにいてくれ。お前がいなきゃダメなんだエレナ」


 やがてエレナは愛を語るガイルを妄想してしまう。頭を撫でられ幸せそうに小さく頷く空想の世界の自分。

 子猫のように身を委ね、ようやく落ち着ける場所にたどり着けた旅人のような表情だ。


「別に治療院の仕事を辞めろって話じゃないんだ。ただそれが終わってから夜の仕事をして欲しいってだけなんだ」

「でも…」


 しかし夜の仕事の話を思い出してしまうと現実に引き戻され、その表情は一気に暗いものへと変化してしまった。


(今はくよくよするのはダメよ。目の前の患者さんを助けることだけに集中しなきゃ)

「ちょっと診察しますね〜」


 何とか気を取り直すと次の患者に取り掛かる。

 しかしその脳裏に浮かぶのは逃れられない現実。


(だってこの仕事を続けていられるのはもう残り僅かなのだから)


 約束の十六の誕生日まで残された日は少ない。

 思い悩み憂鬱な表情を浮かべるエレナにお爺さんは不安そうな眼差しを向けていた。


 それからしばらく時は過ぎ、ようやく治療院が落ち着き始める昼頃。


「エレナ先生また腕を上げられましたね。それとも新しい薬になったのかしら。とにかく最近先生に薬を塗ってもらうと効きが全然違うんですよ」

「そうなんですか? 私は特に変わったことはしてないのですが」


 いつものように診察を続けるエレナに患者が感心したように語りかけてくる。

 治療のお礼を言われる事には慣れていたエレナであったが、改めて褒められると思わず笑みが溢れてしまう。

 別段治療方法や薬の調合比率を変えてはいない。

 薬の効果が良くなるようなことはしていないのだが、患者達が楽になっているのならそれに勝る喜びはないのだ。


「他の患者さんたちの間でも噂になってますよ。最近のエレナ先生はまるで魔法使いみたいに怪我や病気を治してしまうって」

「あはは。それが本当だったらどんなに嬉しいでしょうね」


 嬉しそうに語る患者にエレナは愛想笑いを浮かべながら思わずため息交じりで返してしまう。


 回復魔法。


 それは(かつ)て自分が求め渇望し、それでも叶わぬものとして突きつけられ泣く泣く諦めてしまった存在。

 もしそんなものが使えるのであれば、どれだけ嬉しいことだろう…

 しかしそんな事は不可能だと自分自身で理解している。

 そしてこの患者はその事を知らないからこんな話をしてくるのだ…と。

 そう思えば諦めにも似た気持ちになったが、そんな事情を知らない患者が今度は苦笑いを浮かべながら話を続ける。


「ついでにうちの娘の恋の病も治していただけると助かるんですけどね」


 ほほほ、と笑う様子はまるで他人事。

 言った本人も冗談のつもりなのだろうが、やはり回復魔法など縁のない庶民にとっては夢のような存在なのだ。

 しかし夢のような存在である魔法使いと言えども現実に恋の病までは治療できまい。


(そんなことができるならとっくに自分に回復魔法を施して…ガイルと…)


 そう考えると再び妄想の世界へと旅立つエレナ。

 太い腕に優しく抱擁され嬉しそうに瞼を閉じる姿を思い浮かべると、思わず笑みがこぼれてしまう。


「どうしたんですか先生? まるで上の空になっちゃって。…まさか好きな人でも?」

「え? やだなぁ、そんな人いませんってば」


 エレナの緩んだ笑みに身を乗り出して反応する患者。

 照れ笑いとも取れる笑顔を浮かべながら必死に否定するエレナを見て、したり顔を浮かべる。


 その時、治療院の玄関先から何やら騒々しい物音が聞こえてきた。普段から物静かな場所ではなかったが、明らかに道ゆく人や治療院を訪れる人のものではなくお爺さんも怪訝そうな表情をエレナに向ける。


「何やら外が騒がしいな? エレナ、少し外を見てきてくれるか」

「はい。お爺さん」


 そう言われてエレナは、軽く身なりを整えながら玄関先へと向かう。外からは馬の(いななき)と共に聞き慣れない(いか)めしい男達の声が聞こえていた。


「エレナという娘がいるのはこの治療院か?」

「はい。私ですが何か…」


 突然押しかけてきた男達の問いかけに答えるエレナであったが、恐怖にも似た感情から思わず口ごもってしまった。

 見れば警備隊のような制服を着ている事から、その役目は警備隊と似たようなものなのだろう事は察しが付く。

 つまりこの男達は誰かを捕まえに来たのだ。

 しかしエレナにはこのような人々のお世話になるような覚えは無い…

 こともなかった。

 だから恐怖にも似た感情を感じてしまったのだ。

 思い当たる節はある。

 脳裏に浮かぶのは幼馴染の笑顔。

 しかしこんな人達のお世話になるようなことだけはやってないはずだ、と思い直して浮かんだ笑顔をかき消す。

 そんな疑問と動揺が収まらぬエレナの腕を無理矢理掴み連れ去ろうとする男達。


「ちょっと魔道院まで来てもらおうか」

「え? ちょっと急に押しかけて来てなんですか。やめて下さい!」

「大人しく従ってもらおう」


 嫌がる娘を逃さぬようにと数人の男達が取り囲む。

 どれも屈強な男達であり女ひとりでとても逃げ出せるような状況ではない。しかも男達は腰の物に手をかけてはいないとはいえ、抵抗すれば今にも得物を抜いてしまいそうな気配だ。

それを感じていたエレナは掴まれた腕を振りほどこうにも動かすことさえできない。


「どうしてわたしがこんな目に!」


 わからぬまま自由を奪われ動揺を隠せないエレナ。


「連行する!」

「うちのエレナがいったい何を…これは何かとお間違えではございませんか?」


 お爺さんが慌てて男達に駆け寄るが、男達は相手にする素振りも見せない。

 周囲では治療院を訪れていた患者達が心配そうに見守っていた。


「お爺さん!」


 エレナは取り囲む男達の隙間からやっとの思いで小さな手を伸ばし悲壮な面持ちで助けを求める。

 しかしそんな願いは老人一人がどうこうできるようなものでもない。

 お爺さんは言葉を失い項垂れながらも力無く震える手を伸ばす。

 なんとかエレナも手を伸ばしその手を掴もうとするが、男達に阻まれてしまう。


「やめないか!」


 不意に玄関先から聞こえて来た張りのある声に、男達の囲いが緩む。

 途端に手を伸ばし続けていたエレナは前のめりになり、(すが)るようにお爺さんの元へと駆け寄る。

 涙目で縋り付く孫娘の肩を優しく撫でたお爺さんは、先ほど響いて来た張りのある声の主人を見据えていた。

 そこには男達と同じ制服に身を包んだ青年の姿があった。


 落ち着きを取り戻したエレナもまた、その姿を確認しようと恐る恐る振り返り視線を向ける。

 歳は二十歳そこそこだろうか?

 精悍な顔立ちでエレナと視線を合わせた瞬間に笑顔を向けるが、こんな目にあってすぐに笑顔を返せるほどの度量、彼女にはない。むしろその神経を疑ってしまう。しかしこの男達の束縛を解いてくれた、と思えば助けられたというべきか?

 エレナが少し複雑な想いを抱えながらその姿を再び見ると、身につけた服装は同じものだが胸につけた階級章が異なっており、この男達の統率者であることを窺わせる。

 なにより自信に満ちた表情と命令口調で男達を制止させたことからも間違いないだろうと思わせた。


「部下達が失礼をした。我々は王室騎士団。御協力頂きたいことがあるので王宮の魔道院まで御足労願えないだろうか?」



 そう言って男が指差す先には一台の立派な馬車が用意され、風でなびく紫の旗には王家の紋章が(えが)かれていた。それは下町にはおよそ不似合いなものであり、その周囲には早くも騒ぎを聞きつけた野次馬達が遠巻きに集まり始めていた。


「おうしつきしだん?」


 そう言ったままエレナは小首を傾げるとキョトンとしてしまう。まるで先程まで感じていたものをすべて忘れてしまったかのような顔で。


「王室直属の騎士団で国家の機密に関わるような重大な事案に関わる機関じゃよ」


 エレナの問いかけにお爺さんは視線を変えずに答える。

 もちろんその視線の先には王室騎士団の男が。

 突然訪れた訪問者達に対する警戒を未だに解いてはいないのだ。

 しかしそんなお爺さんに対して、すっかり緊張の糸が切れてしまった様子のエレナ。


「そんな方々がなぜ私に?」


 湧き上がって来た疑問をお爺さんに投げかける。

 もちろん答えを持ち合わせているはずもないお爺さん。

 首を横に振り答えがわからぬ事を伝えると、エレナは次に視線を精悍な顔立ちの男に向けた。


「詳しくはここでは」


 しかし男から無碍もない答えが返ってくると納得がいかずにしょんぼりとしてしまう。

 ただその瞬間再び脳裏に浮かんだのは幼馴染の笑顔。

 もし彼が関係しているのならば、自分が赴く事で彼の濡れ衣を晴らさねばならない。その身の潔白を証明し、彼らの追求が幼馴染の元に及ぶのを防がなければならない。

 彼のために自分ができる事をしなければ。

 そう思えばエレナの表情にいつもの笑顔が戻り、少しばかりの勇気も湧いて来た。


「わかりました。ただ急ぎの患者さんもおられますので少しお待ち頂けないでしょうか?」


 出来るだけ丁寧に。感情を出さないように淡々と答える。

 彼らの思い通りになるのは嫌だが幼馴染と治療を待つ患者達を思えば、それ以外エレナに答えはなかった。


「是非もない。準備ができましたら私にお声がけ下さい」


 そう言って男は表情を変えることもなくエレナに首肯(しゅこう)し了解の意を表した。



 数刻後の王宮魔道院。

 建物の中を書類や巻物を手に慌ただしく行き交うローブ姿の魔道士達。

 その中の一室に先程の王室騎士団団長の姿があった。

 その部屋に配置された本棚はすべて分厚い蔵書で飾られており、部屋の主人の知識の豊富さを物語っている。

 報告を聞くため部屋を訪れていた彼の前の机にもいくつかの厚手の本や呪文が書かれた巻物が無造作に広げられていたが、内容を問わず集められたからかパピルス紙や羊皮紙の物など様々だった。

 それらを一つ一つ手に取り顰め面で眺めながらこの部屋の主であるローブ姿の老人の報告に耳を傾ける。

 ローブ姿の老人はもちろんこの王宮魔道院の最高位にして大賢者と呼ばれる男だ。


「どうやらあの娘は魔力を全く使わずに治療する(すべ)に目覚めたようです」


 報告書を握りしめ、声を震わせながら語る大賢者。


「なんと! そんなことが可能なのか?」


 団長は大きく目を見開くと思わず立ち上がり声を荒げてその報告を問いただす。

 回復魔法は扱えるというだけでも、特別待遇で国家に雇い入れられるほど貴重な存在。

 しかもその回復能力はこれまでに知られて来た、魔力に由来したものではないという報告。

 それは上手く研究すれば魔力のない者でも、いつか回復能力を持つことができるかも知れないという夢のような話。

 一方で下手をすれば国家間の軍事バランスを崩しかねない者になることを示していた。


「にわかには信じがたいのですが、現にあの娘は多くの患者を治療し回復させております。それは薬草などの投薬治療ではありえない驚異的な速さで。これは回復魔法でしかありえないことです」


 年甲斐もなく瞳を輝かせ報告する老人の姿は、まるで宝石か何かを見つけた子供のような興奮のしようだ。


「しかし回復魔法ではない…と」


 そんな大賢者の興奮とは裏腹に団長の表情はいたって冷静なものだ。手にした巻物に目を通しながら淡々と答える。


「はい。以前行った彼女の適性検査では魔力は検出されませんでした。念のため、再度精密に魔力検査を行いましたが…」

「魔力は検出されず…か」


(それでは何もわからぬままではないか…)


 団長は手にした巻物を机の上に戻すと怪訝そうな表情を浮かべて老人を見やる。

 その視線に焦ったのか大賢者は表情を変える。

 王室魔道院の最高位と言えども騎士団団長の機嫌を伺わねばならないくらい立場が違うのだろう。


「これは恐らくですが、あのエレナという娘が持つ患者を思いやり慈しむ心が魔力なしでも回復魔法を発動させる何らかの特殊技能を目覚めさせたのではないかと推測いたします」

「君はそんなことが可能だと思っているのかい?」


 焦りながら答える大賢者に団長は再び怪訝そうな眼差しを向ける。否定するわけではないのだが、もし下町の少女にそのような力があるのなら本格的にこの一件を調べねばならなくなるのだ。


「わかりません。このような事例は…他には報告されては…おりませんので。申し訳ありません。ただ言えることは…」


 老人がしどろもどろになりながら答えると、仕方ないなと言わんばかりにため息を漏らす団長。しかし言葉を続けようとする大賢者に再び視線を戻すと真剣な眼差しで耳を傾ける。


「彼女の力は人の傷を癒し、病を退け、その回復能力は大聖堂の聖人にも匹敵するだろう…ということです。そしてあのガイルと言う男の屋敷に頻繁に出入りしていると言うことも…」


 そこまで言って大賢者は言葉を濁す。その先は魔道院の管轄外であり今回の回復能力の調査とは無関係なのだから。


「神速のガイル…たしか最近急速に会社を成長させているらしいな。若くして警備会社社長、という事らしいが…」

「様々な噂の絶えない男です。奴に関わった人物が何人も盗族に襲われたり人攫いで行方知れずになったりしています。中にはガイルに邸宅を貸した富豪も…」


 お互い顔を見合わせながら、何かを思案するように黙り込んでしまう。


(下町の一少女とはいえ、迂闊に手を出せば後々厄介ごとの種になってしまう…)


 少なくとも大賢者の方はそんな予感がしていた。


「さて、エレナという娘…我が国にとって代え難い宝となるか、それとも災いの種となるものか」


 団長は顔をしかめながら問題の火種の行く先を案じ思案する。結局少女の回復魔法について詳しいことは何もわからず、しかもその背後には怪しげな男の存在。

 とりあえず言える事は、このまま手をこまねいて国家の宝となるかも知れない存在を失ったり奪われたりする事だけは何としてもさけねばならなかった。


「とりあえずこのまま研究を続けさせていただきます」


(これは大変な発見になるかも知れんぞ…)


 ロープ姿の老人はそう言いいながら、湧き上がる好奇心を表に出さぬよう神妙な面持ちのままで頭を深々と下げていた。


「そうしてくれ。それとともに彼女にもこれから、悟られぬように監視のものを付けねばならんな…」


(それとともに引き続きガイルにも…)


 会話を終えて魔道院の窓から外を見下ろす団長の表情は、思い巡らす(はかりごと)によりとても二十歳そこそこの若者とは思えぬものとなっていた。


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