深淵探索 その十一
深淵菟葵獣を倒し、戦闘が終了したとのアナウンスは確かに聞こえた。だが、今はそれどころではない。私達は急いでエイジの下へと駆け寄った。
「大丈夫か、エイジ!?」
「状態異常を治しますよ」
「ありがとう。いやぁ、死にかけましたよ。防具もボロッボロですし…収支は赤字ですかね」
エイジは笑っているが、彼は私の数倍の体力と防御力を誇る我らがクラン最強の壁である。プレイヤー全体でも最上位のタフネスであるはずの彼の体力は二割くらいしか残っていない。彼が短時間でここまで追い詰められるだけでも、敵の強さがわかるというものだ。
やはり深淵の魔物はレベルの数字以上の実力を持つ。つまりレベル90という時点で我々よりも格上なのだ。それを肝に銘じて行動すべきだろう。エイジとネナーシだけに押し付けた私の失策である。
「無理をさせて悪かった。装備の修復代は私が立て替えよう」
「そんな!悪いですよ!」
「俺も出すぜェ、兄弟ィ。エイジは遠慮すんじゃねェぞォ。盾も鎧もボロボロになっちまったなァ、俺達の実力不足のせいだからなァ」
エイジは遠慮したが、私に続いてジゴロウも修理代を出すと言う。彼に続いて源十郎達も修復代を出すことに同意した。エイジに負担を掛け過ぎたという意識は全員に共通していたようだ。
だが、エイジはそれを固辞していつも通りの山分けで構わないと言う。その代わりに、と言って彼は一つの提案をした。
「ならこのメンバーで壊れた装備の素材を集めに行きましょうよ。それでチャラってことで」
「意思は硬そうじゃし、そうする他にあるまいよ。ほれ、はよ剥ぎ取らんか」
「ナチュラルに他人を顎で使うんじゃねェよ、ジジイ…」
しれっと私に剥ぎ取りを任せる源十郎にジゴロウは呆れているが、源十郎やジゴロウに周囲の警戒を任せた方が良いのは事実だ。私は別段コメントすることもなく、唯々諾々と深淵菟葵獣から素材を剥ぎ取った。
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深淵菟葵獣の無尽牙触手 品質:劣 レア度:T
深淵にのみ生息する深淵菟葵獣の無限に再生する触手。
これは先端に口があるもの。
今なお性質は残っており、魔力を通せば長さを自在に調節可能。
同じく魔力を通すことで強力な毒のある刺胞を形成し、鋭い牙からは酸を分泌させられる。
生前に傷付けられたこともあり、各種機能には制限がついている。
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奴の触手は無尽牙触手という名称らしい。何度でも再生する牙付き触手なのだから、その性質通りの分かりやすい名前である。
そして当然の如く倒し方で品質が上下してしまうらしい。最高品質にするには触手を傷付けずに倒せということか?いやいやいや、無理だろ。触手を封じたからこそあまり苦戦しなかったが、触手を全て回避しながら倒すなど少なくとも今の我々には不可能だ。無茶をさせたエイジの惨状からも当然と言える。
なら即死させる、と言っても成功させられる自信はない。無理をして敗北するよりも、数を倒して【錬金術】で品質を向上させる方が時間は必要だが現実的だと思われる。性質を考えれば鞭や縄などに向いていそうだし、アンに情報提供しても良いかもしれない。海巨人関連の珍しいアイテムと物々交換しても良さそうだ。
「取れたんは…触手やな。あの鬱陶しい触手が使えるようになったら、そら強いで」
「全く同じ性能にするには品質を上げる必要はあるがな。さて、もう一匹も…グエッ!?」
私がもう一匹の深淵菟葵獣を剥ぎ取るべく浮遊した時、ローブの襟をジゴロウがガッシリと掴んで私を引っ張る。何事かと問い質す前に、私が剥ぎ取ろうとしていた深淵菟葵獣の周囲がボコリと盛り上がった。
だが、私の驚愕はさらなる驚愕によって塗り潰されることになる。盛り上がった深淵の海の下から何か巨大なモノが飛び出した。そのせいで起きたドロドロの大波に私は巻き込まれ…水中へと投げ出された。
「………ブハッ!?」
「ペッ!あぁッ、クソがァ!口に入ったぞォ、クソッタレ!」
ただし、そのまま深淵の藻屑と消えることはなかった。足から異変を察知してくれていたジゴロウは、咄嗟に私を抱えて守ってくれたのである。軽液が口に入ったことに悪態をついているが、私は心底感謝をしていた。
そして今度は私が兄弟を助ける番である。私は尻尾をジゴロウの胴体に巻き付けると、浮遊することでジゴロウを海面へと引き上げた。
「助かったぞ、兄弟」
「お互い様だァ。他の連中は…ヘッ、しぶてぇじゃねェかァ」
私とジゴロウが無事だったように、他の五人も健在であった。ネナーシは反射的にミケロに抱き着いていたし、七甲と源十郎は自分の翼と翅で距離を取れている。
そしてエイジは何とその屈強な下半身で踏ん張って耐えていた。どうやら負傷していても水よりも遥かに粘性が高い液体の波に負けない足腰の持ち主であるようだ…頭から軽液を浴びてベタベタだが。
「無事で何よりだが…」
「おう。ヤベェな、ありゃァ。俺達だけじゃァ逆立ちしたって勝てやしねェぜ」
倒した深淵菟葵獣の真下から現れたモノ。それは最初、巨大な塔か何かだと思った。だが、こうして離れてみるとそれが勘違いだったとわかる。何故なら、それはユラユラと揺れていたからだ。
いや、揺れているのではない。あれは自発的に動いているらしい。そして表面をコーティングしていた軽液がゆっくりと垂れたことで明るみに出たその表面は、中々に刺激的であった。
「何や、あれ…」
「魚の集合体、のように見えますが…」
「魚だけではござらん。海洋哺乳類も混ざっておりますぞ」
その巨大な物体は、様々な海の生物の頭部の集合体であった。まるで魚の鱗のように、同じ大きさの魚や海洋哺乳類などの頭部が同じ大きさで規則正しく並んでいるのである。それらの口はパクパクと不規則に開閉しており、集合体恐怖症の人物が見れば卒倒してしまうことだろう。
この悪趣味極まる何かの天辺には我々が仕留めた深淵菟葵獣の死体があるのだが…回収は断念するべきだろう。そう思っていると何かはゆっくりと海中へと沈んでいく。その前に私は【鑑定】によってその力量を盗み見た。
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名前:ユラユラちゃん
種族:深淵冥帝海月 Lv100
職業:大領主 Lv7
称号:イーファの番海月
能力:【体力超強化】
【筋力超強化】
【防御力超強化】
【器用超強化】
【知力超強化】
【精神超強化】
【海鞭術】
【水氷魔術】
【暗黒魔術】
【虚無魔術】
【???】
【???】
【???】
【超高速再生】
【???】
【???】
【???】
【???】
【自律刺胞】
【???】
【???】
【???】
【???】
【???】
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【???】
【???】
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…【鑑定】したせいで困惑がより大きくなったのは初めての経験かもしれない。名前付きの魔物という時点で非常に珍しいのだが、その名前があまりにもあんまりなのだ。何だよ、ユラユラちゃんって。そんな可愛らしい見た目ではないだろうが!
そして次に突っ込むべきは称号だ。どうやらこのユラユラちゃんはイーファ様の番犬ならぬ番海月であるらしい。この奥にあると聞くイーファ様の宮殿を守っているようだ。
ならばイーファ様から加護を賜っている私達に好意的でもおかしくないと思うのだが、その様子はなかった。いや、ひょっとしたら私達が小さすぎて認識外にいるのかもしれない。象が蟻に注意を払うのか、という話である。
巨大な塔らしきモノは恐らくは海月の触手なのだろう。触手は出て来た時と違ってゆっくりと、しかし海面を大きく揺らして海中へと戻っていく。私達は刺激しないように触手が戻っていくのを待つのだった。
次回は3月19日に投稿予定です。




