古代兵器争奪戦 その七
「なっ、何だよあれ!?」
「ちょっ!気持ち悪っ!?」
水中からミサイルのような速度でアグナスレリムが飛び出した。最初はそのせいで再び湖面が激しく揺れたことを罵倒する者が多かったが、すぐに罵声は悲鳴へと変わってしまう。
その原因は無論、彼の翼にあった。翼を覆う黒い何かはモゾモゾと蠢いており、よく見ればそれが無数の昆虫の集合体であることは明白だ。虫が苦手な者からすれば卒倒しそうな光景であり、逆に虫が大好きな者であったならばその虫の奇妙さに首を捻ったことだろう。
翼に取り付いた虫は体長五センチメートルほどとそれなりに大きく、どれも真っ黒な外骨格に包まれていた。一見すると甲虫のように見えるのだが、その節足は十本もある。十本ある節足の内、後ろ側の四本は水生昆虫のように水かきのような形状になっていた。
腹部の先端には蜂を思わせる鋭い針があり、源十郎と同じく開いた前翅の下には四枚もの後翅が羽ばたいている。甲虫の弱点でもある空中での機動力の低さを克服しているようだ。
そして最も驚くべきはその頭部であろう。昆虫の身体は頭部、胸部、そして腹部の三つに分かれている。普通は腹部が最も大きいが、その昆虫は頭部が腹部よりも一回り以上大きかったのだ。
だが頭部から生える触角は短く、複眼はとても小さい。その代わり、大きな頭部の大部分は巨大な顎に占められていたのである。
顎はとても強靭であり、アグナスレリムの翼を鱗ごと噛み砕いていた。プレイヤー達や騎士の攻撃を受けたとしてもかすり傷を付けることすら難しかった彼の身体であっても、古代兵器『寛容』にとっては少し固めのビスケットのようなものなのだ。
『この…調子にのるな!』
これまでプレイヤーや騎士団を前にしても淡々と拒絶していたアグナスレリムだったが、ここに来て初めて怒りの感情を見せている。それはまだ彼の心が折れていないことの証左ではあれど、同時に彼が危機感を覚えていることも意味していた。
アグナスレリムは怒鳴ると同時に自分の翼に向かって凍える息を吐く。これは龍にとって最大の切り札である龍息吹ではなく、ただの【水氷魔術】でしかない。
だが、その威力はプレイヤーの比ではなかった。湖面を一気に凍らせたのと同じ魔術で、彼は自分の翼ごと『寛容』の集合体を凍らせていく。さらに氷で巨大な剣を作り出してそれを咥えると、自分の翼の付け根に向かって振り下ろした。
「…ふむ、あれでも倒せぬのか。おっと」
「何よ、あれ!?」
「貴方達、何をしたの!?」
自分の翼を斬り落としたアグナスレリムを見ながら冷静に分析していた源十郎へ、隙を見せたと思ったルーク達が襲い掛かる。三本の刀を使って巧みにいなした彼は一度距離を取った。
そんな彼にルークのパーティーの軽戦士であるローズと魔術師の藍菜はあれは何だと問い質す。そのまるで源十郎達が原因だと決め付ける言い方は、おおらかな彼であっても正直に言って不愉快であった。
「さての。湖の中で何があったのか、見当も付かんわ」
水中で何があったのかはわからないし、実は水中で仲間の誰かが行ったことが原因なのかもしれない。それが自分の孫娘である可能性も十分にあった。
しかしながら、もしそうだとしても目の前の彼女らには非難する権利すらないと彼は考えている。ここにいるプレイヤーは、自分達が取り出そうとしている古代兵器がどれほど危険な代物なのかも知らない。真実を知りもせず、自分達の行動の意味も知らない。そんな者達に非難されて不快感を覚えるのも当然だった。
「そんなことよりも…ほれ、喜ばんか。お主らが取りに来た古代兵器が、自分から出てきたんじゃぞ」
「あれが古代兵器だって!?」
「…キモい」
不愉快だったからこそ、源十郎には珍しく意地悪な言い方をしてしまったのも無理はなかろう。ただ、彼の嫌味な言い方に含まれる毒よりも、あの昆虫が古代兵器であることへの衝撃が勝ったらしい。一行は氷付けにされて切断された翼と昆虫を凝視していた。
どうやら想定していた最悪の状況になったらしいの、と呟いた彼はルーク達の前から飛び立った。彼はあの程度で封じられるとは思っていない。それほど楽な相手ならば、フェルフェニールが怒ることなどないと知っているからだ。
「よォ!勝負はお預けだなァ!」
「ええ。決着はまたの機会としましょう」
現に古代兵器が現れたことで、ジゴロウとウスバは戦闘を中断して氷付けになった翼へと肩を並べて駆け寄っていく。これは彼らの協定で、万が一にも古代兵器が復活してしまった場合は共闘するように取り決めていたのだ。
湖面に浮かんでいた翼だったが、案の定そのままということはなかった。氷に内側から亀裂が入ったかと思えば、瞬く間に大きくなって砕けてしまう。そうして『寛容』は氷から解放されてしまった。
魔術が直撃した個体は凍死していたものの、その内側にいた個体が生き延びていたのである。それらは内側から氷を噛み砕き、自分達を封じる氷に打ち勝ったのだ。
自由になった『寛容』が真っ先に行ったのは、自分を封じていた氷の残りとアグナスレリムの翼を食べることだった。『寛容』の手にかかれば、氷も翼もあっという間に食い尽くされてしまう。雑食昆虫の面目躍如言ったところか。
「「「ギチギチギチ!!ギギギギギィ!!!」」」
「な、何だ!?」
『ああ、始まったか。ここからは泥沼だよ』
氷と翼を完食した『寛容』は、一斉に顎を激しく開閉して打ち鳴らし始めた。その異様な光景に誰もが動けない中で、アグナスレリムだけは何かを諦めたようにため息を吐いた。彼だけが今から起こることを知っているのだ。
次の瞬間、全ての『寛容』の腹部が膨張する。すると『寛容』の腹部からドロリとした黄色い液体が放出された。反射的に目を背けたくなるようなおぞましい光景に、プレイヤー達の一部は悲鳴を上げた。
ただ、目を背けずに観察していた者たちはそれが液体ではなく、小さな粒の集合体だと気付いたことだろう。そしてその粒がブルブルと震えると、一斉に弾け…その中から小さな『寛容』が現れた。そう、黄色い粒は『寛容』の卵だったのだ。
そうして産まれた小さな『寛容』は、生みの親に群がって瞬く間に完食すると成虫サイズにまで急成長している。親の個体一匹は跡形もなく消えたものの、その代わりに数百匹が増えたことになるのだ。
『手当り次第にモノを喰らい、自己増殖を繰り返す。それが古代兵器『寛容』の厄介なところさ…さあ、来るよ』
アグナスレリムの言葉が契機だったかのように、『寛容』の群れは人類と魔物を区別せず襲い掛かった。五センチメートルと昆虫の中ではそれなりの大きさではあるものの、これほど小さい相手と戦った経験は少ない。歴戦のプレイヤーであっても対処は難しかった。
そして何よりも、生理的嫌悪を抱かずにはいられない外見が最大の敵であろう。『寛容』の外見は男女問わず腰が引けてしまうほど不気味である。戦う前から多くの者が怯えてしまっていた。
「虫ケラがァ!ナメてんじゃねェぞォ!」
「一匹の戦闘力は決して高くありませんね。確実に一匹ずつ潰していけば死にはしないでしょうが…増殖の速度が尋常ではありませんか」
しかしながら、一切怯まずに『寛容』を駆除している者達もいる。その筆頭がジゴロウとウスバであった。二人はそれぞれ拳と剣で『寛容』を駆除していく。『寛容』そのものは大した耐久力がないようで、簡単に討伐することが可能であった。
だが、『寛容』の恐ろしさの一つは、他の追随を許さない圧倒的なまでの増殖力である。ジゴロウとウスバが戦っている間にも湖面に浮かぶ氷塊に飛び付くと、それを捕食してから卵を産んでいるのだ。二人だけで倒し切るのは不可能だろう。
「ふむ、槍の方が良さそうじゃの」
「ブオオオオオッ!盾で潰せば楽ですね!」
「みんな、範囲攻撃で叩き潰しちゃいなさい!近づいちゃだめよ!」
「自慢の鱗も役に立ちそうもない様子でござんすねぇ。遠隔攻撃は嫌いなんでござんすが…好き嫌いを言ってる場合じゃぁござんせんか」
二人で無理ならば、他の者達も加われば良い。魔物側のプレイヤー達は標的を人類から『寛容』に切り替え、それを駆除するために動き出した。『寛容』の一匹一匹は脆いので、範囲攻撃を多用することで倒す速度は格段に上がった。
しかしながら、それでも『寛容』の数は一向に減っていない。むしろ徐々に増えているようにも見受けられる。あれを根絶やしにするにはまだ手が足りない。誰もがそれを嫌でも理解させられた。
「ぐあっ!?何をするんだ!」
「はっ!背中を見せる方が悪いんだよ!」
援軍として来るであろうイザーム達が来るまで粘らなければなるまい。そんなことを考えていたエイジは背後から襲われてしまう。反射的に身体を捻ったので致命傷にはなっていない。まだまだ戦う余力はあった。
だが、この状況でまだ『寛容』ではなく魔物側を狙う者達が多数いた。襲われた場合は戦わざるを得ず、『寛容』の駆除の手が減ってしまったのである。
「お前ら、状況わからんのか!?プレイヤー同士で戦っとる場合やないやろ!」
「ハッ!あんな虫が古代兵器な訳ないだろ!」
「あんた達を倒してから依頼を果たすだけよ」
信じられないとばかりに怒鳴る七甲だったが、それに対する反応は冷淡なものだった。彼らはアグナスレリムの声が聞こえていたものの、敵の言葉として全く信じていなかったのだ。
ついさっきまで敵味方として戦っていた者達との間に信頼関係などあるわけもない。だが、それでも今は明らかな異常事態だ。それに臨機応変に対応しようとせず、最初の目的に固執し続ける者達が多くいたのである。
無論、そのような者達ばかりではない。ルーク達を始めとする人類側プレイヤーのほぼ半数は自分達にも襲い掛かってくる『寛容』への対処を優先し始めている。一部の魔物プレイヤーが『寛容』と戦えなくなり、逆に一部の人類プレイヤーが戦いに加わったことでプラスマイナスゼロの状態になっていた。
「オラァ…アァ?」
「卵の色が…?」
背中を預け合って『寛容』と戦っていたジゴロウとウスバだったが、二人は奇妙なことに気が付いた。それは『寛容』が産み出す卵の色が変化したことである。
最初は黄色かったはずの卵が、今では明らかに赤みがかってオレンジ色になりつつあったのだ。戦いながら視界の端で卵を観察していると、そこから産まれた『寛容』にはほんの少しだが変化があることに気付く。それは飛行する際に開く前翅に今までなかった太く短い棘が生えていたことだ。
『戦いながら捕食し、産卵を繰り返しながらゆっくりと強化していく。素早く封じるか全滅させなければ、無限に強くなっていくのさ。ある意味、最悪の兵器なんだよ』
アグナスレリムの説明を聞いていた者がどれだけいたのかはわからない。だが、状況が加速度的に悪くなっていくことだけは誰もが肌で感じているのだった。
次回は9月28日に投稿予定です。




