第2話 生活と来客
「おーい、薪をくべるのはもういいぞ。……はぁ、せっかく広い風呂を作ったんだ、お前も一緒に入ればいいのに」
美しいエルフに拾われてから、三年が経った。
彼女は僕に人里離れた場所の家をくれた。
これだけでも大いに感謝すべきことだが、更に彼女はまだ幼かった僕の世話をしてくれた。
炊事、洗濯などの家事を中心に、時には僕に文字の読み書きや魔法についても教えてくれた。
「二人で入るには狭いですよ、フェニカさん」
「嘘をつくな、アスベル。この家の設計を誰がしたと思ってるんだ。大の大人が三人でも余裕なはずだぞ」
そして彼女──フェニカさんは、僕に『アスベル』という名前をくれた。
それまでは誰にも声をかけられることはなかったから、少し戸惑った。
「……僕の汚れをフェニカさんに付けると悪いので」
「まーたお前は馬鹿なことを言いおって。風呂は汚れを洗い流す場所だぞ。入るまでは汚れていても仕方がないだろう」
フェニカさんはなにかと僕に構ってくる。
風呂に誘うのはいつものこと。
一緒に寝ようと誘ってくることもある。
そうやって普通の子供のように接してくれるのが、とても嬉しくて、とても不安だ。
まだ六歳程度の年齢のはずなのに、僕の身長は百七十センチを超えている。
幼少期にあまり食べていなかったせいか、体格はオークにしては細身で、少し鍛えた人間と同じくらい。
しかし、オークをオークたらしめている醜い豚のような顔は健在である。
そして、オークの特徴である強い繁殖力──つまりは性欲が日に日に強まっているのだ。
このままではフェニカさんを襲ってしまう。
母のように接してくれる彼女を、穢したくない。
コントロールしきれない欲を必死に抑えながら、僕はどうすればいいのかを考えていた。
「僕、冒険者になります」
「駄目だ」
頭を捻りに捻って出した案を即座に却下された。
「……なぜ駄目なんですか」
「なぜも何も、お前はまだ六歳だ。庇護されるべき年齢だ。それなのになぜわざわざ働こうとする」
「フェニカさんに養われっぱなしでは申し訳ないからです。自分の食いぶちくらいは自分で稼ぎたいのです」
「金ならまだまだ余裕だぞ。私が今まで幾ら稼いできたと思っているんだ。それにな、お前にはまだ戦う術を教えてないんだぞ。そんな状態で冒険者になるなど無理だ」
頑として譲らないフェニカさん。
確かに言っていることは正論だ。
ただ、それは僕が普通の人間の子供ならの話である。
僕は化物で、しかも前世の記憶という『知識』がある。
一般常識を当てはめるべきではない。
「戦う方法ならあります」
「ほう。では裏山でこっそり練習しているヘタクソな剣術と夜中にこっそり練習しているふわふわした攻性魔法以外で何かあるなら言ってみろ」
「………」
こっそりやってたこと全部バレていた。
しかもあんまり上手くいってないのもバレてる。
し、しかしフェニカさんを襲わないためにもここは引くわけにはいかない……!
「そ、それでも裏山ではイノシシを倒せましたし、魔法は三つの属性まで扱えます」
「冒険者が相手にする魔物は、裏山のイノシシが百匹いても倒せないほど強い。それを一匹でギリギリ倒せる程度のお前が挑むのは自殺行為だ。三つの属性を扱えるようになったのは中々だが、あの練度では武器にはならんよ。他に言いたいことはあるかい?」
美しい笑みを浮かべるフェニカさん。
ああ、そういえば笑顔はもともと威嚇の表情らしいなー、などとどうでもいいことを考えていると、家のドアがノックされた。
「おっと、来客か。アスベルはここで待ってなさい。一応ヘルムは着用しておいて」
「はい」
ヘルムというのはフルフェイスの兜のことで、僕は顔を見られないように人前ではこれを着用するようにしている。
「はい、どなたでしょう?」
フェニカさんはドアを少しだけ開けて外の人物に話しかけた。
「わたくしですわ」
「あ、詐欺なら間に合ってますので他を当たってください」
「んなっ」
即座にドアを閉めようとするフェニカさんだが、来客者が靴を挟んでいるのか完全には閉まらなかった。
「ちっ。何の用だ、エルニカ」
「何の用とはご挨拶ですわね、お姉様。……今舌打ちしませんでした?」
「愛しい妹にそんなことするわけでないじゃないか。で、何の用だ」
「立ち話もなんですし、中に入れてくださいませんこと?」
「ちっ、入れ」
「お邪魔しますわ。……今舌打ちしませんでした?」
「気のせいだ」
改めて開けられたドアから入ってきたのは、美しい金髪を肩にかかるくらいで切り揃えている以外はフェニカさんに瓜二つな見た目のエルフ。
フェニカさんの実の妹、エルニカさんだ。
「あら、まだここに住みついていましたの。ゴミ」
エルニカさんは僕を見つけると不機嫌さを隠すことなく悪口を言ってくる。
「こんにちは、エルニカ様」
「その穢らわしい口でわたくしの名を呼ばないでいただけます? そもそもわたくしに話しかけていいと誰があいたっ⁉︎」
更に嫌味を言ってこようとしたエルニカさんに、フェニカさんは拳骨を落とした。
「うちの子を虐めるな」
「い、痛いですわお姉様!」
「怒られるようなことをしたお前が悪い」
「で、ですが……」
「ん?」
にっこりと、しかし獰猛な笑みを浮かべるフェニカさん。
その威圧感から、先ほど僕に向けていたのが遊びの類であったのが分かる。
「ふ、ふん。お久しぶりですわ、アスベル」
「はい、ご無沙汰しております、エルニカ様」
さすがに怒ったフェニカさんは怖いようで、普通に挨拶してくるエルニカさんだった。
「それで、エルニカ。本当に一体何の用で来たんだ?」
出されたお茶を飲んで一息つくと、エルニカさんはこう切り出した。
「お姉様、アスベルを冒険者にするつもりはありませんか?」