前世を思い出したせいです
事務所のアイドル部門の一室の掲示板を見上げ、紬はため息とともに肩を落とす。
また、今回も選ばれなかった。
紬の所属する事務所にはアイドルの名称をもつ女の子たちが数十人といる。紬自身もその中に含まれるのだが、優劣をつけるなら中の下と言ったところか。華やかなステージの真ん中に立つこともないまま2年経つ。
今回期間限定ユニットとして発表された7人の名前をもう一度見直す。知ってる名前が並ぶのだが、同じ事務所にいるのだから……と言うわけでもなく、どこか別の違うところでこの名前を見た気がした。
その瞬間、紬は『interlude』と言うアイドル育成系ソシャゲのタイトルを思い出した。違和感の主はこれかと紬は納得する。
interludeはこの世界に存在するゲームではなく、ここがその舞台。言わば紬はゲームのキャラクターに転生したと言うことだ。
まぁ、転生が事実か否かは紬にとってどちらでも良かった。違和感がすっきりした、程度の認識だ。
紬はこの世界で生きている。
これだけは動かしようのない事実だったからだ。
……だからと言って、困惑しなかったわけではなく、事務所の帰りに考えすぎて2駅も乗り過ごした。
「interlude……、ねぇ……」
育成ゲームだけあって、出てくるアイドルの卵たちはたくさんいた。ゲームに出てくる自分『小早川 紬』は総選挙で爪あとを残すほどでもなく、だからと言って、まったく出番なしかと言うと他のキャラのストーリーにたまに出てきたりした。自分の記憶を辿る限り、ソシャゲのためエンディングはなく紬にスポットが当たるのは極僅か。ないよりマシ程度だったはず。ある意味、このままいても波乱万丈な人生など訪れない。
どうせ転生するならメインかそれに近いキャラ、そう今回掲示されたユニットの一人にでも、と思わないでもない。神様は意地悪だ、と紬はいるかいないかわからない神様に悪態をつく。
「紬、何むくれてんの?」
同じ事務所の一番仲の良い葵が声をかけてくる。葵は前世知識ではそこそこの人気者でコアなファンが多いイメージだ。今も紬より仕事量は多い。
「……誰かさんが気が付いたら限定ユニットにいるから。教えてくれたって良かったのにさ」
「マネージャーさんから口止めされてたからね。紬のこと大好きでも教えられないよ」
「いちばん、好き?」
「一番よ、マネージャーさんの次に女の子の中では、ね」
やっぱり、マネージャーの次かと思いつつも大好きと言われ少し嬉しかった紬は葵に抱きついた。
「今度のユニット上手くいくといいね」
「ありがと、紬。やれることは惜しまずやるわ」
記憶では、今回のユニットは上手くいっていた。歴代の楽曲の中でも上位にランキングしていたイベント曲だ。ただ、今と前世知識が同じとは限らない。如何せん終わりなきソシャゲ、シナリオらしいシナリオもない。葵にはぜひとも頑張って成功させてほしい、そう心から思った。
葵たちも気になるが、前世知識で言えば紬はたいした活躍はできない。ゲームシステム上、紬が頑張ることはできないがここは現実世界。紬はここで生きている。イベント周回じゃなくて、できることをやるのみだ。
「たのもー!!」
チーフマネージャーのいる部屋に勝手に押し入る。いつものことだ、と言わんばかりの紬と、アイドルとしてどうなんだ、というチーフマネージャーと一瞬の邂逅はチーフマネージャーが視線をそらすことで紬が勝利した。
「用件は?」
チーフマネージャーはアイドル部門の総括責任者だ。彼を説得しなければ先には進めない。無口、黒縁フレームの眼鏡でも抑えられない眼光の鋭さ、たまに付いてる寝癖が彼の特徴だ。葵にはこいつのどこがいいのか時々問い詰めたくなる。葵曰く、たまに見せる優しさが良いそうだ。
「私もそんなに時間はない。用がないならレッスンでもして来い」
「じゃぁ、単刀直入に。私の、アイドルとしての価値は如何ほど?」
「……メインやソロを張れるほどの華はない。ただ、脇で支えることに関してはそれなりに評価してる」
ため息ひとつ付いてから出た言葉は容赦がなかった。
「それ、貶してます?褒めてます?……地味にへこむー」
「一応、褒めてるといっておこうか。お前は華はないが、ステージにおける度胸と機転の良さはいい」
「えっ?」
アイドルとしてはいただけない言葉だが、何十人といるアイドルたちの中で紬自身をきちんと見て評価してることに驚いた。
「実際、ステージで振り付けも歌詞も音程もほぼ間違えることがない。場数踏んでもなかなか上手くいくものじゃないぞ。メンバーのフォローもできるしな」
「褒められた!明日は雨が降る!!」
「お前から聞いてきたことだろう。マネージャーとしての仕事だ」
「葵のいいたいことがちょっとだけ、ほんの1ミクロンだけ判った気がする!!」
「……で、お前は何が言いたい。私の時間も勿体無いが、お前の『アイドル』としての時間も勿体無いぞ」
無駄に鋭い視線をさらに鋭くして紬を制する。その視線に負けた紬は姿勢を正した。
紬が何故ここに来たか薄々このチーフマネージャーは気づいてる。周囲への気配り、人を見る目がなければ大所帯を纏め上げるチーフマネージャーなどになれないだろう。それを直に肌で紬は感じた。侮れない。
「私がこの事務所に来た理由、覚えてます?」
「歌が歌いたい、ステージで踊りたい。だったか?」
「……そうです。私が楽しいと思ったことがそれで、それが叶えられるのが『アイドル』だと思ってました」
「過去形……か」
「いつの間にか、『アイドル』という手段が目標になってて、ステージに上がれない自分がいやでした。でも、最終目的は歌ってステージで踊れればOKなんですよね、私的には」
「『アイドル』じゃなくても?」
厳しい視線を寄越す彼に、褒められた度胸と取って置きの笑顔で受け止める。
「一応女なんで『アイドル』の可愛い世界には憧れますよ。でも最終目的はトップ『アイドル』じゃない」
言い負かされてなるものかと、鋭い視線に睨み返す。すると、彼の口角が微妙に持ち上がった。ちょっとどころじゃない、悪人面だ。
「いいだろう、その意気忘れるなよ」
「女に二言はありません」
思わず敬礼してみせる紬に、彼は一枚の紙を差し出した。
手にして内容を読むにつれ、紬の目が丸くなる。
「誰か適任を探してたが、お前からこっちに来た。その行動力に対する対価だ」
「チャンスの神様は、後ろが禿げてるんでしたっけ」
「さぁな。でもお前は行動してその手で掴み取った。これを生かすもどうするもお前次第だ」
やっぱり、悪役顔だと彼の笑った顔を見て思いつつ、葵の気持ちが1ミリだけ判った。
数日後、あの掲示板に紬の名前が張り出される。
ミュージカルのヒロインではないが、重要なレギュラー役として。
ソシャゲの『小早川 紬』がどうなったかは知らない。でも、紬は自分の道を歩むため一歩踏み出した。
その2年後、紬は『アイドル』部門から俳優部門へと転属することとなる。