最弱勇者と桜と天月
「こ、ここは…私はどうなったのだ…?」
目を覚ますと、そこにあるのは桜が命をかけて開いた扉ではなく、見覚えのある白い空間。
何の匂いもしない世界。体を包み込む暖かい気流の柔らかさが、彼女に安心感を与えた。
「あぁ…そうだ、私は、黄泉を……!?」
だがそんな小さな安心感は、桜の大きな思いによって塗りつぶされる。
その脳裏に映るのは二人の男女。
厳しくも優しい父と、いつも冷静で完璧な母。
バタッと体を跳ね上げて、全力で体を持ち上げる。
黄泉の扉はどうなったのだ!?私の術は成功したのか!?
そんな桜の問いかけは、桜が考える前に第三者によって答えられた。
『黄泉の扉は私が閉ざしてしまったよ。もう必要ないからね』
「っ!?誰だっ!」
突然声を感じ取る体。腰にある脇差に手を当てようとしたが、そこには刀なんて物があるどころか、自分が何も着ていない状態であることに、今やっと気がついた。
『どれだけ叫んでも誰も教えてくれないよ。私は人には見えないからね』
「貴様…何者だ?」
『神さ。今は全知全能から、君の命というところまで格落ちしてしまったがね』
わけのわからないことを聞く桜。声は頭の中から響いているとも取れるし、体の中から響いているとも言える。
「…なぜ私は生きている。それとも、ここはあの世だとでも言うのか」
『さぁ?どうだろうね。私も君と一緒に眠っていたのだから、私も割と混乱しているんだぜ』
「そうか…」
不思議と、気持ちの悪い感じはしない。どこにいるかもわからないような相手と喋っているのに、まるでそれが当たり前のような気がした。
桜は胸に手を当て、それに向かって問いかける。
「全知全能とは、この国では天月之神のことを指すのだが…」
『まぁ、その認識で間違っちゃいないよ。つまり私はその天月之神と言うことになるね』
御伽噺の登場人物の名前を出す桜に、神は言い返しもせず肯定した。
徐々に桜は落ち着きを取り戻し、その声も静かなものとなる。
「そうか、ではそんな最高神様が、なぜ私に話しかけているのだ?」
『そりゃ、単純に話し相手がいないからさ。何千年も一人だったものだから、寂しいのかもしれないが』
「一人…か」
しかしこいつはまったく、その事を気に病んではいないだろう。掘り返しても、笑って語ってくれそうな優しい声色をしている。
『君を利用してね、外に出ようとしたんだ。そしたら、また閉じ込められちゃったよ』
「利用?」
『そうさ。黄泉の国に閉じ込められた私を、君は自分の身を以て助けてくれたね』
「……何か語弊がある気がするのだが」
『それこそ誤解さ』
雲のように掴めない性質に、桜は呆れたように溜息を吐く。
「それで?どのように私を利用したのだ?」
『君は両親を生き返らせたいと思っていたようだね。黄泉なんて胡散臭い物を信じてくれて、本当にありがとう』
その言葉を聞いて、半ば諦めたように桜は先の見えない空を仰いで、綺麗な黒髪をはためかせた。察したのだ。神が何をしたのかを。
「…母上と父上は生き返らないのか?」
無表情に、桜は言う。
その端正な顔立ちから、絵画のように美しい。
『そうだ。あの門は所詮私が通るために作ったもの。肉体であれ霊体であれ、あの門は人間には通れないよ』
目を瞑り、適当に周りを歩いて行く。地面はまるで、静寂な池の水面のようで、その足取りに比例して、水面が波打っている。
見れば世界は真っ白な世界。当然地面も白かった。
「そうか…では私は、貴様の手で弄ばれていただけだったのだな」
『ふむ、まぁ、結局失敗したけどね』
「そうなのか?」
少し意外そうに呟く桜。それでも、その穏やかな足取りは止まらない。
『君の妹は、本当に凄いね。私を黄泉に封印した、あの男を思い出すよ』
「その男は強いのか?」
『むぅ、彼は強いと言うより、頭が良かったかな。今の結界と言う術式を開発したのは、彼が初めてだったと思うな』
「ほう、ではあの人か…」
口に微笑を携えながら、顎に手を当てる桜。とても有意義な会話をしている、桜はとても楽しかった。
『今の時代にも残って居るのかい?』
「あぁ。偉大な妖術師として知られる、初代曼珠沙華様だ」
『へぇ、彼、私を封印してからそんなことしていたんだね』
自分の祖先の隠された伝説に、思わず嬉しくなってしまう桜。御伽噺の伝説が、まさか本当に起こっていることだとは。いつか妹も、御伽噺の登場人物になってしまうのではないか、そうなったら自分は悪役だな、と、そこまで考えると、もう妹への恨みも、両親への依存も、全てどうでも良くなって行くような気がした。
「六年間の妹への恨み。私の両親への思いは、所詮はこの程度だったと言うことか」
『また何か計画をしてくれよ。君が死んだら、私は復活できるんだから』
「でも貴様の力で延命しているのだろう?そう簡単には死ねんわ」
『ふふ、そうかい。私はすぐにでも死んで欲しいんだがなぁ…』
真っ白な世界に終わりが見えて、数メートル先に扉が見える。神木にも及ぶのではないかと考えてしまうほどの、とても巨大な灰色の扉。
扉は桜を向い入れるようにその身を開け、その先は白い世界とは対照的に漆黒であった。
「この扉に入ってしまうと、もう二度とこの静かな世界には帰れないよ?」
ふと声のした方に振り向いてみると、そこには人型の物体がいた。
性別は分からないし、容姿さえも見えない。背丈は桜と同じくらいで、その声には色がなかった。
桜はこれを見てすぐに察した。これが天月之神なのだろう。こんなわけの分からない世界で、自分に話しかけられる存在など奴しかいない。
「なぁ、質問がある。天月之神」
「天月と呼んでくれてもいいぜ」
「そうか、では天月よ。私は、咲耶と比べてどうだろうか?優秀だろうか?」
その質問に、天月は少し考える。答えは既に決まっていたが、この質問の真意を考えていたのだ。しかし直ぐに考えることをやめ、その問いの答えを答えて見せる。
「彼女は伸び代はあるかもしれないが、今は君の方が優秀だよ。確かに、彼女には君にはない才能がある。それでもまだ、努力を積み重ねてきた君に届くことはないよ」
「…本当だな?」
訝しげな表情で返答を求める桜。
その表情を見て、天月はやれやれと首を振った。
「本当さ。私は神だよ?答えられない問題はない」
「…ふっ、そうか。ならそれで良いか」
天月は何も言わず、桜の背中を見送った。
もう、咲耶との才能の差に負い目を感じることはないだろう。
__だって、神様に認められたのだから。
◇
「明子さん!大将が目を覚ましました!!」
「なに!?それは本当か!!」
「いま連絡が…」
「今すぐ向かう!!咲耶を連れてこい!!」
「は、はい!!」
明子の大きな声が響く。いつもとは違う綺麗な羽織を身に纏い、小走りで明子は動き出した。
「め、明子さん!どうしたんですか?」
「咲耶!桜が目覚めたそうだ!!」
「えっ、ええっ…だっ!?」
バタバタと急ぎすぎる余り、足を引っ掛けて転がり込んでしまう咲耶。
驚愕と歓喜によって混乱してしまっているのだ。
「桜の所へ行くぞ咲耶!!」
「いっつつ…は、はいっ!!」
いつもの年寄り臭い口調をかなぐり捨て、競歩では無いかと見間違えてしまうほどの速さで歩き去って行く明子。咲耶は慌てて立ち上がり、トテトテと走って明子に追いついた。
「そ、それでっ!?姉さんは今どこにいるんですか!?」
「…う、ん?どどどど、どこじゃろなぁ」
「ぐえっ」
明子の間抜けな回答を聞いて、咲耶はまたしてもこけてしまった。
◇
「……っはぁ!…は、ぁ、はぁ、はぁ」
今の今まで死人であった女性は、突然息を吹き返したかのように呼吸を開始した。心臓も活動を再開し、体に血液が流れ出す。
気持ちの悪い汗がドッと流れ出し、身体中を一瞬で覆った。
「た、大将殿!?目を覚ましたんですね!!」
「か、はぁ…ひぁ、ひゅう、ひゅう…がはっ!ごほっ、ごほっ!」
「だだだ、大丈夫ですか!?」
どうにも舌の回転が悪い従者の女性を一瞥して、呼吸をゆっくりと整えていく桜。喉の奥から何かがこみ上げてきて、何度も何度も咳をした。
「はぁ、はぁ…こ、ここはどこだ」
「た、大将殿の、御家の中にございます!」
「そうか…私はどうしていた?」
「こ、呼吸が止まりましたので失礼ながら埋葬の準備を…」
「……危ないところだった」
「はいぃぃぃい!」
あわあわと忙しなく手を振り回し、懇願するように平謝りする従者を見て、桜はクスリと苦笑した。
一つ大きな深呼吸をして、頭を冷静に整えていく。
「はぁ…あの場に参加していた他のものはどうなった?」
「あの場とは…あの場にございますか!?」
「少し落ち着きたまえ」
従者は膝をがくりと折って、風情のある畳に跪く。桜はその光景に額を抑え、呆れたように溜息を吐いた。
「えー…あの場に存在していた連中は、今グッスリと寝ております」
「…あぁ、そうか、日付を変更したのだったな」
「はい。ですので、私も大将殿がしっかりと埋葬された後にグッスリと…ふぁぁぁあ…あ、いえ、滅相もございません!!」
「だから落ち着きたまえ。グッサリしてしまうぞ」
人差し指で従者を指差す桜。そんな桜に、従者の女性は震え上がった。
「す、すいません!すいません!」
「もう良い。それより、他にやるべきことがあるのではないのか?」
「やるべき事…ですか?」
「そうだ」
「……はっ!そうだ!!このことを明子様に報せなければ!!」
そのことにやっと気がついた従者は急いで何処かへと駆け出す。
その光景を見て、桜は自分を操ろうとした悪役に、今も自分の中で生き続ける悪役に、なぜか少し感謝した。
それは、同じ悪役としてこの世に生まれた、桜だったからできたことなのかもしれない。
◇
「そ、それ、どこからだしたんだい?」
「ん?アイテムボックス?」
「そ、それはどこにあるんだい?」
「…メニュー?」
「そ、それは…」
いやーしっかし、意外と簡単に設置できたな、対神戦兵器《神縛》。
でっかい大砲のような見た目に、それを神々しく装飾する黄金のパーツ。これがドン、ガコッ、スーでできるからこの世界はやっぱりすげぇな。しかしこんな巨大なもの、どうやって持ち上げていたんだろう俺は。
「あれ?動かないな」
あまりに出雲の景観をぶち壊すので、すぐにしまってしまおうと思ったんだけど、どれだけ持ち上げても動かない。
「あの時は簡単に持ち上がったんだけどなぁ…」
俺の筋力は数値的には5しかない。そんな俺がなんであんな物を持ち上げられたのだろうか。
…力が一時的に回復した?レベルが戻ったのだろうか?……もしかしたら、最弱返上?
「活路がみえてきたぞおぉぉぉぉおおおおお俺!!!」
「…発作?」
「いつの間にそんな言葉を覚えたマナー!!」
ジト目で俺を見上げるマナー。日に日に頭が良くなっている気がして、嬉しくもあるが悲しくもあった。
「…さてと、出雲を探検しちゃうか。行くよな!マナー!」
「う、うん!」
資金源である宝石を片手に歩き出す俺。
さぁ!出雲を探検だ!
「ちょっ!ちょっと!これ!どうするんだよ!!」
なんか変な声が聞こえるが、まぁ放っておくことにした。




