最弱勇者と出雲の神
小さな扉から発される物とは到底思えない、とても大きな音と共に黄泉の扉は開かれた。
神木の根元に一輪の彼岸花が咲き、それを皮切りに途轍もない量の彼岸花が出雲を覆う。神木の光は一層まし、カグラたちは目をふさいだ。
そして聞こえる小さな足音。コト、コト、と、一段一段階段を降りて行く音は、ある種の神々しさまで感じられた。出雲の世界が光に包まれ、それが月の光だと知る。
そして、恐る恐る開く瞳。
出雲の頂上から、光の階段を歩いて行く存在に目を見張る。
そこに存在する者は、まるで人には見えなかった。
姿こそ、人の形だ。
しっかりと二足で歩き、階段を降りている。
しかしその姿は、人の形であっても、人のものではなかった。
肌は月の光の様に白く、瞳は兎の様に真っ赤だ。長い髪の毛は銀色に染まり、月光を反射して淡く輝く。
そしてその仕草の全てが美しく、まるでその者自身が光源ではないかと見まごう程の神々しさ。
透き通る様な白い着物。その肩には、体の周りを漂う様に美しい羽衣が浮かんでいた。
しかし、驚くべきはその容姿。
その容姿は、曼珠沙華桜にそっくりであった。
「桜…?」
その容姿に、誰よりも素早く気付く明子。
明子の顔には困惑の表情が浮かんでいたが、その心には確かなものがあった。
あれは、間違い無く桜だ。
しかし、桜であるのは素材だけ。やつの正体は桜ではない。
奴の正体は…
『ふふ、出雲はやはり美しいね』
出雲の神__
「__ 天月之神 」
『む?そう呼ばれていたかな?正院明子』
口を小さく歪ませて、見下すように明子に言った。
◇
疑問は、桜が神木の声を聞いたと言い始めた所から始まった。
咲耶が五歳にして声を聞いたと言うのに、桜が今頃になって声を聞き出す?それが明子にはどうしても疑問だった。
調べてみるとゴロゴロ出てきた。神木は、曼珠沙華の血を最も色濃く受け継いだ者を指名すると言う。桜にそんな力は無い。寧ろ歴代でも最も出来の悪い曼珠沙華であり、曼珠沙華の血などとても薄いものだった。
神木は指名した者としか言葉を交えない物だと言う。神木に選ばれたのは間違い無く咲耶だ。桜とは打って変わって、その血はとても濃く深く、優秀な先代曼珠沙華も、底を見出せない程のものである。そんな最高の存在を、神木が放って置く物であろうか?否、神木は何が起ころうと咲耶を選ぶ。それ程に咲耶は力を持っていたのだ。その証拠に、咲耶はおよそ二歳にて神木の声を聞いた。
歴史的に見ても、神木が選んだ者以外の者と会話をするなどと言う例は記録上には一切無い。
では何故桜が神木と話すことができたのか?それは単なる偶然の賜物か、それとも、桜が勘違いしたかのどちらかでしかない。
前者の可能性は途轍も無く低い。
過去数百年の歴史の中に、そんな事例は一度も無いのだ。桜だけが異端だと言う理由もないし、そもそも何百年も続けてきた伝統を、こうもあっさりとやめてしまうだろうか。神木が毎回人間を選んでいるのには、何か意味があるはずなのだ。
つまり、明子の予想したのは後者であった。神木が咲耶と繋がっているのを横目に、何か得体のしれない物が桜に話しかけたのだ。その存在は何だ?と、明子は模索する。確かに、出雲には頭に直接語りかける妖術を備えた者が何人か存在する。しかし、桜が何かの声を聞いた翌日から、桜は見事に神木を使いこなせているではないか。神木を操ることができるのは、神木に選ばれし者のみ、流石に出雲には、神木を操る力がある者は存在していないのだ。
ここで他者が語りかけたと言う予想は直ぐに消え去ってしまう。
では、一体誰が語りかけたのか?それが明子には分からないから、桜が無闇に神木の力を乱用するのは咎めてきたのだ。
そして、数々の考察を続け、八年の時を経て、明子は辿り着いた。
きっかけは、桜が両親を蘇らせるなどと言う世迷い言をぬかし始めた時から始まった。
月に黄泉の国と言う物があるのだと言う。そんな桜の言葉はとてもじゃないが信じきれなかった。
いくら黄泉を調べようと、曼珠沙華の血がどうのと書かれようと、それは噂の域を出る事は無い。
しかし、そう説明すると、桜はきまってこう答えるのだ。『神木が教えてくれた』、と。
明子は頭に血が登るのを感じた。何を血迷っているのだ!神木などと言う得体の知れないものをあまりにも信じ過ぎではないのか!
しかし、その声は桜には届かなかった。
それと同時に、明子は背中に薄ら寒い物を感じた。桜に黄泉の扉を開けさせようとしている、何を考えているのか分からない存在に。そいつは何をしようとしているのだ?どの様な意図があってやっているのだ?
恐ろしかった。冷や汗が止まらなかった。心臓が跳ね回り、瞳孔が開いた。
姿も形も見えない物に、正院明子は恐怖したのだ。
しかし、その存在に、明子は確かに手を伸ばした。それは月に関係する存在。黄泉の国を開こうとする存在。
目星はついた。後は桜を止めるだけだった。
しかし、桜は実行してしまった。桜の予想外の戦闘力に、明子の必勝の作戦は失敗し、ただの総力戦へとなってしまった。
本来は外国から引き連れたスルトと、それによって叩き起こされた出雲の住民達で桜を抑え付ける作戦だったのだが、現実はそうも上手くはいかなかった。確かに、出雲兵を上手く説得できなかった所もあるが、全ては明子の落ち度だ。
それでも、謎の少女の覚醒によって戦況は覆され、桜を追い詰めることができた。
やっと終わったと、そう思った。
しかし、桜の野望はまだ終わってはいなかった。これは、正院明子最悪の想定外の事であった。
まさか自分の血を引き換えに、扉を開くとは思わなかったのだ。
それによって、この世に出現したのは、桜の体を奪って出雲に降臨した、かつての出雲の最高神、天月之神。
その伝承は、あまり良いものではなかった。
その昔、月の神として夜の神の頂点に君臨していた天月之神は、最高神を欺いて、黄泉の国を支配した。そして黄泉の化け物を操り、最後にその手で最高神を手にかけた。こうして、天月之神は出雲の最高神の座を手に入れたのだ。
しかし、天月之神はそれだけでは飽き足らず、人間の世界をも手に入れようとした。が、曼珠沙華と神木の力によって、黄泉の国に封印されてしまったのだった。
ここまでが、天月之神の行った悪行と、その終わりである。
ここまで聞けば、この話は言わば、曼珠沙華を英雄として讃えようとした唯の御伽噺であったと言えよう。曼珠沙華は勇者で、天月之神は魔王。よくある話だった。
しかし、それ単なる御伽噺ではなかった。
その証拠はやはり、『黄泉の国は月にある』と言う神木の証言であろう。
説明した通り、神木の声を聞けるのは咲耶だけだ。だから必然的に桜の会話したのは神木ではない何かとなっている。
では誰が会話したのか、それは御伽噺で封印されたとされる天月之神だ。天月之神は存在している、と言うのは明子の自論。天月之神の伝説から考えて、神木を操る力を持ち、黄泉の国を開けさせようとするのは天月之神以外に考えられない。天月之神は何らかの方法で桜の体を乗っ取り、黄泉の国から復活したのだ。
止められなかった、と明子は戦慄する。桜を助けられなかった、と明子は悲しんだ。
苦しいだろう?
辛いだろう?
桜が曼珠沙華に執着する様に、君も桜に執着していたのだよ。
全てを見透かされる様な笑みを浮かべる神に、明子は跪いた。




