最弱勇者と曼珠沙華
「咲耶を殺す理由……それは咲耶を黄泉との切符にするためだ」
「黄泉だと…?」
「そう。黄泉だ。
古代から曼珠沙華の一族の血には特別な力があり、神木を触媒に黄泉の扉を開くことができると言われてきた。
しかし黄泉の扉を開くためには曼珠沙華の命を生贄に捧げなければねばならず、そのために咲耶の命が必要だったのだ」
長々と目的の全貌を話し続ける桜さん。
しかしまだ言っていないことがある。
「……誰を、生き返らせたいんですか?」
「…」
桜さんは頭を俯け、顔に影を作る。
刀はダラリと傾かせ、ぶらんと手を垂らした。
桜さんは顔を上げ、鋭い目つきで俺を睨む。
「……両親だ」
「両…親…」
その言葉に反応する咲耶ちゃん。
悲しそうな表情をし、桜さんから視線を外した。
「貴様は自分の親を知らないだろう」
「…」
「貴様が生まれてすぐに死んだからな」
恨むような視線が、咲耶ちゃんを震わせる。すぐに咲耶ちゃんは座り込んでしまった。
すぐにでも切りかかってきそうな桜さんの圧力に、咲耶ちゃんは耐えられない。
「何で死んだんだい?」
「リッカさん!?」
リッカが一気に切り出す。
まさかこんなに直球で来るとは思わなかったのだろう、咲耶ちゃんは驚きの声を隠せなかった。
「…10年前の大火災だ。
原因不明の火事によって、小さな土地に所狭しと立てられていた、我が国の建物は、その姿を赤く染めた。
もともと火に近かった我の家はすぐに飛び火し、火災に巻き込まれた」
「そこで、両親を失ったと」
「そうだ」
両親を火事で失った、その悲しみはどれほどの物なのだろう。
何年間かニートやっていた俺もその間両親にはあっていないが、それとこれとはわけが違う。
「あの大火災の日。失った両親と我は会いたい。聞きたいことがあるのだ」
「それで何で咲耶ちゃんを殺す理由になるんだい?咲耶ちゃんだって君の妹だろう?家族だろう?愛してあげないのか?」
「だから言ったであろう。曼珠沙華の血が必要だと」
「いや、それでも疑問だね。何で君は両親と咲耶ちゃんを天秤にかけて、同じ家族である咲耶ちゃんを切ることができるんだい?
両親も、妹も、どっちも大切じゃないか。少なくとも僕にはどっちか決められないよ」
「はぁ…」
リッカの反論に、桜さんは軽くため息を吐き、
し、心底呆れたように頭を掻いた。
「我は、妹が嫌いだ。10年前のあの日。貴様が産まれたその時から憎んでいる」
「だから殺しても良いと?」
「そうだ。嫌いな人間を生かす必要が感じられない」
リッカが明らかに苛立ち始める。
手を握りしめ、持っている拳銃がカタカタと震え始めた。
大人しく話を聞いていた咲耶ちゃんは少し小さく見える。
顔を下げ、目から小さな水滴を落とした。水滴は咲耶ちゃんの膝に揃えられた幼い手の甲に水滴が跳ねる。
「……私は…姉……大…きです…」
「…何?」
「私は…私は姉さんが大好きです!!」
突然顔を上げた咲耶ちゃんに、桜さんは驚いた。
今までに見たことも無い表情をし、流す涙から必死さを感じる。
桜さんは顔をしかめ、脱力していたように見えた身を乗り出した。
「私は産まれた時から親がいませんでした!!家も焼け、お金も無い幼い私を今まで育ててくれたのは!!姉さん、貴女です!!」
「…」
「姉さんは優しかった!!今の私と同じくらいの歳だったのに!私と同様に両親を失っているのに!姉さんはその苦しみを耐え!私を育ててくれた!!」
「…黙れ」
「やがて軍の権力者になり、仕事も忙しくなったくせに私に毎日会いにきて!!学校に馴染めず、引きこもっていた私に学問を教えてくれました!!」
「黙れ」
「出雲大将軍になってからも!私に家を作り!本を買い!服を買い!私を何から何まで助けてくれました!!」
「黙れ!!」
桜さんの大きな声が響く。
桜さんは鬼のような形相をして、咲耶ちゃんを睨んだ。
しかし咲耶ちゃんは怯えることなくその視線を迎え撃つ。
「…それが、全部嘘だった、と?」
「…そうだ」
「…それこそ…嘘です」
「嘘では無い!」
「じゃあなんで私を育ててくれたんですか!!私がまともに動けない頃に殺しておけば良かったじゃないですか!!!」
「貴様は!!生まれなければ良かった!!!」
「ッ!?」
今までで一番大きな声が発される。
鼓膜を震わし、空気が止まったような感覚に襲われた。
「曼珠沙華は!!私だ!!!」
「私…?」
突然一人称の変わった桜さんに、呆然と座り込む咲耶ちゃん。
「貴様ではない!!私だ!!咲耶じゃないんだ!!私なんだよぉ!!」
まるで子供のように、駄々をこねる様に叫ぶ桜さん。
そこに今までの威厳は無くて、目から涙をボロボロと流し、刀を手から落としてしまった。
「母上ぇ…呼んで下さいよ……曼珠沙華桜の名前で呼んでくださいよぅ…」
膝をがくりと落とし、地面に手を当てながら泣き喚く桜さん。
「父上……私は頑張りました…剣術を学び、師範を倒し、学問を学び、出雲大将軍になりました…」
額を地面に当て、ガンガンと打ち付ける。
涙を啜る音が聞こえる。
「咲耶を呼ばないでください……桜の名を呼んでください…」
この静かな戦場の世界で、桜さんの声だけが静かに聞こえた。
◇
私は曼珠沙華桜。曼珠沙華と言う位の高い家系に産まれた幸せ者だ。
母上は綺麗で優しく、父上は厳格で厳しい方だが、その厳しさのなかにも不器用な愛があるのを私は知っている。
まだ幼かった私は頭が悪く、病弱で体も悪かったが、曼珠沙華と言う家系に産まれた私は周囲の期待に答えるため、剣術を習い、学問を治め、人一倍努力をして、その溝を埋めて行った。
私が産まれて、8年たった頃。
喋ることも上手くなり、いろんな事を知る事ができるようになった。
ある日。大切な話をする、と母上に呼ばれ、私は母上の部屋に招かれた。
静かな雰囲気を持っている母上の部屋は、その雰囲気に合う、とても静寂な空気を醸し出していた。
心地よい木の香りが私を包んでいく。
「貴女はね…曼珠沙華の家を継ぐのよ」
「曼珠沙華…にございますか?」
母上は静かに、かつ圧倒的な存在感を発しながら囁く様に話しかける。
「そう。曼珠沙華は太古の昔から神木咲耶を祀ってきた伝統的な家系。神木と会話する事ができ、神木の力を借りる事のできる伝統的な一族なのよ」
「…しかし…私にその様な家系を継ぐことができるでしょうか」
「できるわ。貴女は最高の娘。曼珠沙華のために頑張るのよ」
「……はっ!有難きお言葉。恐悦至極にございます!」
私は嬉しかった。
母上は優しいお方だったが、まるでどんな物にも興味を持っていないかの様な冷たい本質を持った方だった。そんな方から最高の娘と言われた。それだけで私は舞い上がった。
そして私はすぐ高みを目指した。
母上の期待に答えるためさらに努力を重ねた。
ある日、友人にこう言われた。
「のぅ桜。最近疲れが溜まっとるようじゃぞ」
「疲れなどない。私がやりたくてやっていることだ。明子は口を出すな」
「馬鹿者。私は医者を目指す者としてお前に言っている。黙って休養を取れ」
「ならん。母上の期待に答えなければならないのだ」
「お前はいつも母上母上って……はぁ。勝手にしろ」
「そうさせてもらう」
友人は呆れ、冷たい言葉をかけたが、それでも、私が訓練で怪我をした時はいつも治療してくれた。
私の疲れはそれだけで吹き飛んだ。
私は、8年ちょっとの人生の中で最も幸せな時間を過ごしていたのだ。
しかしその幸せもすぐに終わった。
私が母上に呼び出された日からすぐ、私に妹ができたのだ。
私は妹ができたのをとても嬉しがった。産まれたばかりの幼い妹が可愛くて可愛くて仕方がなかったのだ。出来るだけ優しくし、尊敬されるようなお姉ちゃんになれるよう、気丈に振舞った。
そして私はまた、母上に呼び出された。
「桜。やっぱり曼珠沙華は咲耶に継がせることにしたわ」
「……は、母上?それは一体どういうことでしょうか?」
「咲耶はね、曼珠沙華の血を色濃く受け継いだ奇跡の子なのよ。
幼い頃から才能に疎くて出来の悪かった貴女より大物になるわ。
きっとすぐに神木さまの声も聞こえるようになるでしょう」
私は世界から色が消えたような幻覚に襲われた。
眩暈がして、頭がズキズキと痛んだ。
貴女より、貴女よりと言う言葉が何度も何度も反響した。
やがて、目の前が真っ暗になる。
「悪いわね、桜。貴女はせめて、咲耶を良い子に育てて上げてね。あぁ、咲耶。良い名前だわ。あの子に相応しい」
やがて、体も動かなくなった。
母上はすくっと立って、私を見下しながらこう言った。
「話は以上よ。行きなさい」
これ以来、私は母上に呼びだされることが無くなった。
憎んだ。
憎んだ。
私よりも努力をしていない咲耶が、母上に認められていることに、曼珠沙華を継ぐことに。
幸い、明子は私に対して差別するような感情は向けてこなかった。
明子はいつも私を慰めてくれた。
しかし二年後、咲耶は神木の声を聞いた。
私の歳は10になっていたが、ついぞ聞いたことはなかったのに。
そして、その才能の違いをまじまじと見せつけられた。
何冊もの書物を一度目を通しただけで覚えられる頭脳、2歳にして妖術を使う技術。
体術以外では、私は咲耶にすべてにおいて敗北していた。
私の心は、どんどん黒く染まった。
気が狂いそうになった。
軍での視線もそんな私に対して冷たく変化していった。
咲耶の可愛らしい寝顔を見るたび、腰にさした刀を何度も何度も抜きそうになった。
そして、あの事件が起こった。
大火災が起こったのだ。
良い機会だと思った。
これを期に、咲耶を殺してしまおう。幼いながらにそう思った。
しかし、母上が心配だった私は、まずは母上を探し出そうと、部屋中を駆け回った。
そして、いつもお茶を飲んでいる、静かな小部屋で母上を見つけた。
母上は、天井から落ちてきた瓦礫に埋れて、美しい顔が苦しみに染まっていた。
母上は言う。
「あの子を…助けて上げて…」
私の心は一気に燃え上がった。
ふつふつと溜まっていた感情が、一瞬で爆発した。
「なぜ!!私を心配してくれないのです!!見てください母上!!これは貴女を探すため、部屋中を駆け回った時に受けた傷です!!これは瓦礫をよけた時にできた火傷!これは__」
__しかし、母上は私の声を聞く前に、息の根を止めていた。
例えようの無い無力感が私を襲う。
火事の熱など感じなかった。
やがて、私は父上を見つけた。
すでに灰になっていた。
そして、咲耶を見つけた。
火事のことなど全く気づかないように、すやすやと眠っていた。
すぐに刀を抜いた。
勢いよく振り下ろし、その首を裂かんとする。
しかし、喉元のすぐ前で、刀の動きは止まった。
僅かな剣圧が、咲耶の首を僅かに切り裂く。
だが、死ななかった。首の皮を少し切っただけだった。
頭の中に、母上の声が響き渡る。
あの子を…助けて上げて……
手が動かなかった。
汗がダラダラと流れ始めた。
私は、咲耶を殺せなかった。
私は、咲耶は背負い、家から飛び出す。
神木が輝いていた。
大きな火災が起きているのに、その木は全く燃えていなかった。
紫の光が一層に強くなった。
私は始めて、神木の声を聞いた。
__妹が憎いか
「憎い。こいつは私からすべてを奪った」
__両親を助けたいだろう
「ああ。もう一度、私を愛してもらうのだ」
__ならば、与えよう。私の力を
そして私は、我は、神木に選ばれたのだ。




