森のゴーレム
「エネルギーも何もないのに動き続けるロボットがいるんだってよ」
それは、その少年のクラスで近頃話題になっている噂話だった。何でも森の中をロボットが彷徨い続けているのだとか。都市伝説の類。誰も持ち主のいなくなったロボットが徘徊するのは珍しい事ではないから、その怪奇性は森の中を彷徨い続けているという点にあるのだろう。因みに、持ち主がいず、徘徊しているロボットは“ゴーレム”と呼ばれる場合もある。それでこの話は『森のゴーレムの噂話』とそう名付けられていた。
「街なんかだと、ロボットが徘徊し続けるのって実際によくある事らしいぜ。ほら、どっかで充電したり、ゴミの中からエネルギーを見つけたりしてさ。つまりは、ロボットの継続的なゴーレム化だな。
でも、森の中じゃ、流石にエネルギー源なんて何にもないだろう? この話は、完全に有り得ないよ」
と、友人の一人が少年にそう語った。その友人は、怪談の類を直ぐに否定したがる性質なのだ。少年は別にその話が本当だと思った訳ではなかったのだが、そう否定されると反対したくなってしまって、思わずこう返した。
「でも、森の中にだってロボットの不法投棄ならあるぞ。そういうのから、燃料を集めているのかもしれないじゃないか」
それを聞くとその友人は首を横に振った。
「いや、ないだろうさ。確かに、不法投棄はあるけど、残っている燃料なんて微量だよ。何しろ、燃料は高価だからな。高い燃料をどうして大量に捨てるんだよ?」
確かにそうかもしれない。と少年はそう思う。偶然、まとまった燃料が捨ててあったとしても、数か月ももたない。そのロボットは、もう何年も彷徨っているらしいから、どう考えても無理だ。
「まぁなぁ……」
そう曖昧に返事をしたが、それでも少年は、何となく完全には否定し切れない自分がそこにいるのを認めていた。それで思う。もしかしたら僕は、そのロボットが存在していて欲しいと思っているのかもしれない、と。
「その話が本当だとすれば、そのロボットはエネルギーなしでずっと動き回っている事になるじゃないか。人形に魂が入って動き出すってか? 仮に魂なんてものがあったとしたって、エネルギー源がなくちゃ動かないよ」
友人の主張は理に適っているように少年には思えた。ただし、そんなに簡単に決めつけられるものなのか、と思いもした。それで、
「そう馬鹿にするなよ。もしかしたら、僕らが知らない何かがあるかもしれないじゃないか」
と、そう言ってみる。するとその友人は妙な表情でこう返した。
「何かって何だよ? 超常現象か? 馬鹿馬鹿しい」
「違うよ。そういう事じゃない。僕らは、ほら、その話について何も知らない訳じゃないか。調べていない。例えば、どっかのメーカーのロボットに不具合があって、森で彷徨うなんて行動を執るのかもしれない。同じロボットじゃなくて、同じタイプのロボットが複数体、森を彷徨っていて、それを何人かが時間を置いて見かけて、同じロボットだと思い込んだ。それなら有り得そうだろう?」
「そんな不具合があったら、もっと話題になっているよ」
「だから、例えばって言っただろう? 何があるのか分からないって話だよ」
限定合理性。情報はどれだけ集めても、それで全てだと証明できないし、また実際に全てでもない。ところが、人間はその極一部の情報を全てだと思い込み、そこから物事を判断しようとしてしまう。
少年の主張は、そういった人間の性質に対する警告という意味では正しい。隠れた情報の存在を疑わなければならない。もっとも、そう返した時、少年自身はそれを分かっていた訳ではなかったのだが。実際、彼は内心ではそんな事があるはずない、と思ってもいたのだ。少年はよくその森に行くのだが、そんなロボットを見かけた事なんて一度もなかったから…… それが、限定された情報であるという認識は彼にはなかった。
「何を口喧嘩してるのよ?」
そこで、クラスメートのある少女から少年達は話しかけられた。
「喧嘩なんかしてないよ」
と、少年が返すと、友人がこう言う。
「ほら、例の森のゴーレムの噂。こいつが、本当かもしれないなんて言うからさ」
それに少年はこう応える。
「そんな事は言ってないだろう? ただ、決めつけられないって言っただけだよ」
「同じだよ」
「同じじゃないよ」
少女が言う。
「やっぱり喧嘩しているじゃない」
それから軽くため息を漏らした後で、少女はこう続けた。
「森のゴーレムの話はただの噂だけど、あの森に最近、ミツバチが大量に発生しているのは本当みたいよ。危ないから近づくなって先生が言ってた。まぁ、そろそろ冬に近付いているから、冬眠しているだろうけど。でも、気を付けた方がいいとは思う」
それを聞くと、友人は少年を見てこう言った。
「お前、気を付けろよ。よくあそこの森に入るじゃないか」
「そうなの?」と少女。友人はこう説明する。
「こいつ、森の中に捨てられているロボットから部品集めるのを趣味にしているんだよ。レアなのがどうのとか言ってさ。オタクだよ」
少年はそれにこう返した。
「うるさいな。森の中だと、かなり旧式のロボットとかも捨てられてあるんだよ。それで、今だと絶対に手に入らないような部品とかあったりしてさ」
そう返しながら少年は、確かにミツバチをよく見かけるかもしれない、とそう思っていた。
「気を付けなよ。刺されたら痛いわよ」
少女がそう言うと、少年はこう返す。
「大丈夫だよ。ミツバチくらい。こっちから手を出さなけれりゃ刺さないさ。奴らは大人しいんだ」
実は少年は今日も、森に入るつもりでいたのだった。
――かつて開発が行われ、それが失敗に終わり衰退した土地が、人口減も伴って、森林化している。その森は簡単に言えば、そんな場所だった。だから、少し奥に進むと、旧い廃墟なども見つかり、ロボットの部品集め以外にも少年はそんな事を楽しみに森の探索を行っていた。
少年は森の中の、近場のロボットの不法投棄スポットは既に調べ尽くしており、徐々に森の深くまで入るようになっていた。そして奥に入れば入るほど、普段街では見かけないような動植物を見かけるようになった。見た事もないような巨大なナメクジや雉など。少年はロボットなどの工学系の科学を好む性質なのだが、それでもわずかばかりの興奮をそういった動植物にも抱いた。そして、その中にはミツバチも含まれていたのだ。
これは一度、経験しただけなのだが、物凄い「ブーン」という轟音と共に、一軒家の屋根ぐらいの高さを、大量のミツバチが移動していったのを少年は見た事がある。後で調べてみると、ミツバチにはそのように大群で移動する事があるらしい。蜂が増え、巣を分ける為の行動。分蜂と言うのだそうだ。
その時はただ感動しただけで、こんな事もあるのか、くらいに少年は思っていたのだが、ミツバチが増えていると言われれば確かに納得もできる。増えたからこそ、あんな大群を見かけたのだろうし。
“――あれは、凄かったものな”
少年は今でもその光景を鮮明に思い出す事ができた。少年はその感動が忘れられず、思わずミツバチについて調べてしまったほどだったのだ。ミツバチ達は植物達の受粉を助ける代わりに、花の蜜を得ている。その集めた蜜は、ミツバチ達によって加工され、保存性に優れた高エネルギーの食物… つまり、ハチミツとなる。ハチミツには殺菌作用がある為、腐る事がない。また、これほどまでの糖分の塊は、自然界にはほとんど存在しない。その為、自然界でハチミツは常に狙われている。クマなどが好例だろうか。もちろん、人間にとってもそれは素晴らしい食物だった。その為、人間は養蜂を始めたのだ。初期はもちろんハチミツを得る為、やがては受粉作業をミツバチにやらせる為に。
“ミツバチが大量に発生しているって事は、それだけ自然が豊かになったって事なのかもしれない”
少年はそう思った。今は冬だから、少女の語った通り、ミツバチは活動していないだろう。だが、巣ならもしかしたら見つかるかもしれない。そう思ってしまうと、少年の好奇心は止まらなかった。ミツバチの巣を見てみたい衝動に駆られる。冬のミツバチはきっと大人しいだろうから、危険はないはずだとそう考える。寒さで縮こまっているに違いない。もし襲われても、遠くに逃げれば追いかけてはこないだろう。
“確か、秋にミツバチをよく見かけたのはこっちの方だったけかな?”
少年はいつもとは趣向を少し変えて、ロボットのスクラップ探しではなく、ミツバチ探しをする事に決めた。廃墟の類がまるでなく、スクラップなんてないだろうと思っていた辺りに足を踏み入れる。秋にミツバチがよく飛んで行った方角。
しばらく進むと少年は驚いてしまった。今まで見つかるはずもないだろうと思い込んで、探してこなかった場所に、ロボットのスクラップが多数あるのを見つけたからだ。何も調べないうちから、物事を決めつけるのはいけないと少年は思う。もちろん、そこで森のゴーレムの噂話を連想した。あれだってそうだ。まだ僕は何も知らない。もしかしたら、何かの要因でロボットが活動できているのかもしれないじゃないか。
それから更に奥に進むと、少年は何かが光ったのを見た気がした。小さな谷のようになっている場所。少し覗いてみると、ロボットのスクラップが谷底に大量に廃棄されてあった。きっとその中の何かの部品が光を反射していたのだろう。少年はそれを見た瞬間、ミツバチ探しの事を忘れてしまった。あれだけあれば、何か珍しい部品があるかもしれない。興奮してその場所に降りていく。
それから少年は、夢中になってスクラップをあさり始めた。大半は有り触れたものばかりだったが、中には貴重なものもある。少しの間、熱中していたが、やがて疲れて一息を入れる。そこで、また光に気が付いた。先は反射光だと思ったが、どうにもそんな感じがしない。それで、光った辺りに目をやると、ロボットの部品の胴体のようなものが光を発しているのに気付く。
あれは何だろう?
近付いて見てみると、それには電源が入っているのが分かった。しかもごく最近、手を入れられたような跡がある。誰かが修理でもしているかのような。少年はそれを不可解に思う。こんな森の奥のスクラップの不法投棄場所で、ロボットをいじっている人間がいるのだろうか?
少しの間の後、少年は何かの物音に気が付いた。微かな羽音のようはものが聞こえる。耳を澄ましてみて、それがその修理されているロボットの胴体の中から聞こえているのだと悟った。
それを理解すると、少年は静かな恐怖と共に強い好奇心を覚えた。
“この中には、何がいるのだろう?”
観ると、ロボットの胴体は簡単に開けそうだった。少年は恐る恐る手を伸ばすと、ロボットの胴体を開ける……
…すると、中には一塊になったミツバチが。そこから出てくる空気は温かかった。冷気と少年に反応してか、ミツバチ達は一斉に羽ばたこうとしていた。驚いて少年はその扉を慌てて閉める。そして、そのまま逃げ出してしまった。坂を駆け上がり、ミツバチが追って来ないのを確かめると、ほっと息を吐き出す。少し安堵すると、あれが何であったのかを考え始めた。
“もしかして、あれはミツバチの巣なのか?”
数はそれほど多くはなかったが、恐らくはミツバチの巣なのだろう。少年はそう結論付けた。温かい空気を感じたという事は、冷気からあのロボットの胴体は、ミツバチ達を護っているのだ。それから、軽く少年の頭は混乱した。
――でも、誰が、何の為に?
少年には人間がそんな事をやっているとは思えなかった。いや、例え人間であったとしても、まともな神経ではないだろう。それで、少年は恐怖を感じ始める。ここから、早く逃げた方がいいとそう思う。その瞬間に、何かの気配を感じた。
錆びついた関節を、無理に動かしているような物音。人ほどの大きさの何かが、こちらに向かって近づいて来ている。少年は悪い予感を覚える。森のゴーレム。エネルギー源なしで動き続ける謎のロボット。坂の上からそれはやって来るようだった。恐る恐る、少年はその何かを確認した。少年の予感通り、それはロボットだった。かなり汚れたロボット。森のゴーレムだ。正体不明のそれが、少年に迫っていたのだ。
少年は驚いて駆けだそうとする。ところが、慌ててしまったが為に、そこで少年は足を踏み外してしまった。坂道を転げ落ちる。足をくじき、どこかで切ってしまったらしく、ふくらはぎから血が流れ落ちる。倒れた少年に向かって森のゴーレムが近づいて来た。少年は足を痛めた所為で、上手く動けない。やがて森のゴーレムは、少年の目の前に辿り着く。もう駄目だ。少年はそこで「誰か助けてー」という恐怖と絶望の悲鳴を上げた。
ロボット…… 森のゴーレムが胴体だけの例のロボットの修理をしている。その光景を少年は眺めていた。あいつが、あれを修理していたんだ。それから少年は、自分のふくらはぎを見つめた。そこにはハチミツが塗られてある。森のゴーレムの仕業だ。だが、そのハチミツのお蔭で痛みは引き、少年はかなり楽になっていた。
あれから、森のゴーレムは少年に近づいて来ると、警告音を発した。
『暴れないでください。あなたは、怪我をしています』
その声を聞いて、少年は冷静になった。この森のゴーレムに敵意がない事を悟ったのだ。人を助けるというロボットの本能が生きている。それは、少年がよく知っているロボットの行動の一つだった。それから森のゴーレムはこう続けた。
『動かないでください。怪我を治療します』
治療?
少年はそれを聞いて不思議に思った。どうやって治療をするつもりだろう? ここには医療器具は一切ないはずだ。それから森のゴーレムは切ってしまったふくらはぎを目がけて、水を噴射した。一瞬、腐った水だったらどうしようかと思ったが、どうやらそれは清潔な水のようだった。ここまではいい。だが、この先どうするつもりなのだろう? 少年が再び不思議に思っていると、森のゴーレムは体内からハチミツを取り出したのだ。取り出す瞬間、ゴーレムの体内に、ミツバチがたくさんいるのが見えた。少年はそれに驚きつつもこう考えた。このロボットは、体内にミツバチを飼っているんだ。
それから森のゴーレムは、少年の足の傷口にハチミツを塗った。少年が初め、それに抵抗をすると森のゴーレムは『ハチミツには治療効果があります』と、そう声を発してから腕にあるモニタに、ハチミツの治療効果に対する説明を出した。そのモニタは汚れていたが、なんとか読む事ができた。
『普通、傷口を消毒すると、殺菌はできるが腕の細胞も殺してしまう。その為、水洗いだけで済ませ、湿度を保って人体の治癒能力を活用するのが、適切な治療方法になる。これがいわゆる湿潤療法である。この場合、殺菌効果は得られない。しかし、この湿潤療法の効果と殺菌効果を同時に得られる塗布剤が存在する。それがハチミツである。つまりハチミツは優秀な傷の塗布剤なのだ。
※注意 ハチミツは自然界の本物である事が条件になる。市販されているハチミツにはシロップなどが混ぜられている可能性があるので傷口に塗るべきではない』
それで少年は森のゴーレムのするままに任せた。ハチミツが塗られると、傷口の痛みが和らいだのを感じた。それからロボットは、例のミツバチが中に入ったロボットの胴体へと向かったのだ。何処かのスクラップから回収したのか、何かの部品を持っていた。そして修理をし始めたのだ。
ロボットの中には、自動修理機能を持ったものがある。この森のゴーレムもその一つで、恐らくその機能を利用して、仲間を修理しているのだろう。少年はそう考えた。それからふと疑問に思う。
“それにしても、この森のゴーレムの動力源は何なのだろう? ここには、燃料なんてないはずなのに”
しかし、そこで少年は自分の足に塗られたハチミツを思い出した。
“……もしかしたら、これか?”
ハチミツは、自然界でも珍しい高エネルギー食物。そして、森のゴーレムは体内にミツバチを飼っているのだ。つまり、ハチミツは豊富にある。もしこれをエネルギー源に使えるのなら、充分に動き続ける事が可能であるはずだ。
それから少年は、胴体だけのロボットの中が温かった事を思い出した。あれは、冷気からミツバチを護っていたんだ。きっと、スズメバチなどの天敵からも、ロボットはミツバチを護っているに違いない。ミツバチにとっても、森のゴーレムにハチミツを提供するのはメリットがある。代わりに護ってもらえるのだから。つまり、森のゴーレムとミツバチは共生関係にあるんだ。
少年はそう結論付けると、興味をそそられ、痛めた足を引きずりながら、スクラップの中を森のゴーレムに向かって近づいて行った。
“ミツバチが大量発生してくれているのも幸運だったのかもしれない。多分、ミツバチが偶然に、ロボットの中に巣を作ったんだ。それで共生関係が……”
しかし、近づきながら気が付いていった。
“いや、待てよ。森のゴーレムは、確か数年前から彷徨っていたって……。明らかに、ミツバチが大量発生する前だ”
そして更に気付く。先は気にならなかったが、胴体だけのロボットと同じ様なモノが、他にも多数そこらに存在していたのだ。そして少年は思い出した。ミツバチには分蜂という性質がある事を。ある程度増えたら、分ける事が可能。
“もしかしたら……”
少年はその一つに近付いて耳を澄ませた。微かな羽音が、中から聞こえた気がした。
“この全部に、ミツバチが入っている?
もしかしたら、ミツバチが大量発生したのは、そもそも森のゴーレムの所為なのか? 森のゴーレムがミツバチを増やして、それで更に他のロボットにも同じ事をしている。増えている、のか…… この、ミツバチ共生型ロボットは”
森のゴーレムが、修理をし続ければ、あの胴体だけのロボットもやがては動けるようになるのだろう。そうなれば、一体、森のゴーレムが増える。
“まるで、新種の生物みたいだ”
愕然となりながら、少年は自然の森に囲まれた中で思った。人間は限られた情報の中でしか生きていない。だから人間は本当の世界を知らない。それを、少年は実感していた。