時間と場所があいまいなまま
日常と非現実のはざま
その公園は実にありきたりでそのごく小さな地方の都市の喧騒を和らげるには十分なスペースと静けさをもちあわせてもいた。その都市は一応有名な電気メーカーとその工場と、子会社の工場が町を支えていて、そこそこに人口もあり、地方都市にしては賑やかな駅前と適度な住宅街をあわせ持つアメニティに恵まれたところだ。ごく些細なありきたりな理由でこの町に住むはめになる。まあ、その理由はどうでもいいことで今回の話にはまったく関係がない。
少し気持ちを休めようと今回その公園に行ったのがそもそものの間違いかもしれないが、別に深刻な被害があったことではなかった。それでもなんだか曖昧な不安を抱かせることは微妙な現実としてたぶんときどき思い出すだろう。
さて、その日公園に着いたのは昼下がりの重い暑さがまとわりつく時だった。
その公園は四車線の国道沿いに目立たなく入り口がある。通りすがり自転車を止めた公園の入り口は普通に公園の入り口には思えなかった。
そこはその地方都市に張り巡らされたウォーキングコースの一部で、普通に川沿いにアスファルトがのびている。門があるでもなく小さな看板がそこが公園の入り口であることを示していた。
自転車を端に寄せて鍵をかける。
そして、小さな看板により、公園の地図を眺める。入り口に似つかわしくなく、結構な広さと特異な形状をした公園らしいことがわかった。というか、地図では掴めず、中を少し歩いてみてわかった。
時間帯が昼下がりのせいか、人は誰ともすれ違わない。
ちょっと公園に入ればすぐ喧騒がやわらいだ。 小さな山の斜面を土地に合わせて整備した公園だとわかる。おおまかにわけて上段、中段、下段にわけられ、自分が入った公園の入り口は複数あるうちの中段に位置していた。そして、公園の中央付近には小さな枯れた噴水と東屋があり、そこに僕は腰かけた。
天気は薄曇りで、あたりは微妙な静けさと蒸し暑さで缶コーヒーを口に含み、安堵の息を吐く。
噴水は枯れていて水気すらなく、それでいて逆に底のタイルがきれいに乾いていた。
多少ざわめきを感じ、ふと周りを見渡した。人の気配がある。
しかし、誰もいない。
気がついたのはここが半分公園で半分神社の敷地に入っていることだ。というのも、東屋から下方に大きな屋根と、その建物の前に赤い鳥居の上部が見える。そして、散歩道の脇には道祖神がたくさんいる。ツツジはつぼみがほとんどでわずかに咲く花びらがやたらきれいに咲いている。道祖神は何体あるのだろうか?わずか数十体と思えばそのくらい、数千体と思えばそれくらい、現実を眺めれば数百ぐらいだろうか、山中に陽気な暖かさを醸し出し、その声に誘われるように立ち上がる。そして僕は歩き出し、道沿いのそのたくさんの声が歩調を明るくする。歩くことで道沿いの道祖神が一緒に僕のまわりをステップを踏んで祝福するように、しばらくその不確かな現実を楽しんだ。踊り疲れたように僕は元の東屋に戻り座り込んだ。
本当はずっとそこに座り込んでいた。重い肩を支えきれず、だるさをこらえきれず、ぼやけた風景を眺めていた。どれくらいいたのだろうか?多少寝ていたかもしれない。
ふと雲が開けた。太陽の光が東屋の屋根からもれ、辺りが急に明るく世間の雰囲気をみせはじめた。遠くで電車の走る姿を連想した。車の通る道路を感じた。ふとウォーキングロードを自転車に乗ったおじさんが通りすぎる。
ぼやけた焦点をこすり僕は辺りを眺める。
ツツジは白、赤、ピンクと清々しい緑のなかで華やいでいる。目の前の噴水は豊かに踊り、水をふんだんにたたえている。首をかしげながら僕はふらつく足を支え歩きはじめた。次第に現実的な足取りをとり、公園の出口へ向かっていた。
駄文を読んでくださってありがとうございます。