第301話 奪還支援
日本から派遣された先遣隊がグアヤキルへ到着した時、占拠区域では四度目の救助作戦が止まっていた。
目標は、ダンジョン入口のある倉庫から東へ四百メートルほど離れた集合住宅だった。三階に七名が取り残されており、そのうち一人は銃創、二人は脱水症状を起こしている。エクアドル軍は二度接近し、どちらも同じ交差点で押し返されていた。
道路を塞ぐ黒い甲殻型は三体。周囲の屋根には細長い個体が移動し、路地や民家には白い四足型が残っている。甲殻型へ射撃を集中すると左右から小型個体が入り、側面へ人員を分ければ、車両ごと押されて隊列を切られた。
救助対象との通信は二時間前から途絶えている。
現地で共有された作戦図では、集合住宅に「ケヤキ」という識別名が付けられていた。日本側が使う呼出符号は派遣期間中だけのもので、現地指揮所をアオバ・ゼロ、先頭を進む六名をアオバ・イチ、後方支援と救助線を担当する六名をアオバ・ニとする。エクアドル側との共通回線では、それぞれJAPAN ONE、JAPAN TWOへ置き換えられた。
作戦開始前、エクアドル側の兵士が見ていたのは、その呼出符号より日本側の装備だった。
大型盾、長槍、鉤のついた長柄武器、短い片刃戦斧、短槍と小型盾、太い編み索と固定具。小銃も携行しているが、隊員たちが手にしている主装備は、現代の軍隊より博物館の展示を思わせた。
「日本は、歴史の再現をしに来たのか」
若いエクアドル兵が、隣の兵士へスペイン語で言った。
「銃が効かないから、次は槍らしい」
二人が笑う。通訳は聞こえないふりをしたが、日本側の指揮官は声の調子だけで内容を察していた。
黒い運搬ケースから出された装備は、全て日本政府が指定した一時貸与品であり、高階層素材を使用した特殊装備とだけ説明されている。
種類は揃えられていた。
盾を使い慣れた者には大型盾、長槍を訓練してきた者には同じ間合いの槍、斧と槌を使ってきた者には、片側が刃、反対側が打撃面になった短柄武器が渡された。鉤付きの長柄も、拘束索も、隊員が国内で積み上げた動きを崩さない形へ選び直されている。
初めて握った装備なのに、柄の太さも重心も妙に手に馴染んだ。
出発前、装備を引き渡した政府担当者は、隊員を一人ずつ見ながら念を押していた。
「一時貸与品です。破損した場合は、状態と原因を報告してください」
そこで一度言葉を切り、担当者は大型盾へ視線を移した。
「紛失は認めません。絶対に無くさないでください」
隊員の一人が、横に並ぶ長槍を見た。
「人命と装備のどちらかを選ぶ場合は」
「人命です。ただし、位置を記録し、状況が許せば回収してください。何も言わず置いて帰ることだけはやめてください。こちらも説明できなくなります」
その話を思い出しながら、片刃戦斧の隊員は腰の固定索を引いた。エクアドル兵に笑われることより、現地でこの装備を一本なくす方が気にかかっていた。
作戦には日本側十二名、エクアドル軍二個分隊、国家警察の救助要員が参加した。指揮権はエクアドル側にあり、日本側は救助経路の先頭と側面防御を受け持つ。入口内部への進入と、倉庫方向への追撃は禁止されていた。
封鎖線を越えた直後、アオバ・イチの六名は装備の重さが変わったことに気づいた。
「アオバ・ゼロ、こちらアオバ・イチ。活動境界を通過。強化発現、装備負荷低下。送れ」
『アオバ・イチ、こちらアオバ・ゼロ。了解。内部時との差を送れ』
「個人差あり。大半は同程度、一名は若干低いと申告。任務継続可能。送れ」
『了解。数値化は帰投後に行う。救助優先、突出するな。終わり』
大型盾を持つ隊員が肩の固定具を引き直し、歩幅を広げた。後方の隊員も速度を合わせ、重装備を持った十二名が、軽装の偵察隊と変わらない速さで住宅街へ入っていく。
最初の接触は、民家の屋根から落ちてきた細長い個体だった。
「アオバ・イチ、上方。長体一」
人間の胴ほどある身体が、大型盾へ巻きつく。
盾を持つ隊員は片足を半歩引いただけで踏みとどまり、身体ごと持ち上げようとする力を受けた。盾の表面はわずかにしなったが、固定具も縁も外れない。
「右へ出す」
「鉤、入れます」
後ろから鉤付き長柄が伸び、個体と盾の隙間へ入った。横へ張り出した金具が身体を捉え、巻きついた部分を剥がすように道路へ落とす。
小型盾の隊員が頭部を押さえ、片刃戦斧が身体の継ぎ目へ入った。刃が一度深く食い込み、反対側の打撃面が同じ場所へ落ちる。
個体は二撃で動きを止めた。
エクアドル兵が銃口を向けた時には、拘束索が脚へ掛けられ、道路脇まで引きずられていた。
「処理済みとは判断しません。帰路でも接近禁止です」
通訳が伝えると、エクアドル側の分隊長が短く頷いた。先ほど笑っていた兵士は、道路脇へ運ばれる個体と、傷のほとんどない盾を交互に見ていた。
前方の交差点から、黒い甲殻型が現れた。
六本脚で放置車両を押し退け、道路中央へ出てくる。腰ほどの高さしかないが、車体を横へずらすだけの重量と力があった。
「アオバ・イチより各員。甲殻一、正面。盾で受ける。火力班は側面待機」
大型盾を持つ隊員が前へ出た。
エクアドル軍の射撃位置が整う前に、甲殻型が突進する。盾の正面へぶつかった音が、住宅街の壁へ跳ね返った。
隊員の靴底が路面を削る。
それでも、下がったのは一歩だった。
「止められます」
盾の後ろから、妙に落ち着いた声が聞こえた。
「アオバ・イチ、了解。右へ倒せ」
長槍が甲殻型の前脚へ入り、鉤付き長柄が反対側の脚を引く。甲殻型が盾を押したまま体勢を崩したところへ、短柄の片刃戦斧が関節へ落ちた。
特殊素材の刃は甲殻の表面を狙わず、脚と胴体の接続部へ食い込んだ。
一本の脚が止まる。
「JAPAN ONE、射線開放!」
通訳を介さず、訓練した英語が飛んだ。
日本側が左右へ開くと、露出した側面へエクアドル軍の射撃が集中した。甲殻型は数発を受けても動いたが、大型盾に正面を塞がれ、長槍に脚を押さえられて進路を変えられない。
片刃戦斧が先ほどと同じ継ぎ目へ入り、甲殻型が完全に停止するまで二十秒もかからなかった。現地部隊が二度止められた交差点で先頭の一体が道路脇へ転がると、左側の塀の向こうで白い四足型が走った。
「左、塀内二。救助線へ回る!」
短槍を持つ隊員が走る。
高さ二メートルを超えるコンクリート塀の手前で、速度を落とさなかった。左足だけで踏み切り、短槍と小型盾を抱えたまま塀を越える。
エクアドル兵の一人が、思わず射撃姿勢を崩した。
隊員は塀の向こうへ両足で着地すると、振り返った四足型の進路へ短槍を入れた。刺し貫くのではなく、胸部を押して民家の壁へ向ける。
二体目が横から飛びかかる。
小型盾で頭部を外へ弾き、そのまま身体を回して槍の石突きを脚へ当てた。四足型が倒れたところで、門から入った別の隊員が片刃戦斧を振り下ろす。
「アオバ・イチ、左側二、動作停止。貸与品異常なし」
『アオバ・ゼロ、了解。塀を越えた経路は帰路に使えない。隊列へ戻れ』
「了解。門から戻ります」
日本側指揮官は、交差点の奥に残る甲殻型二体を見た。
事前映像から予測していたより、対応に余裕がある。装備は甲殻型の力に耐え、隊員の身体能力はダンジョン内部と同じ水準まで上がっている。エクアドル側の火力も、姿勢と射線さえ作れば十分に通用した。
「アオバ・ゼロ、こちらアオバ・イチ。作戦変更を具申。送れ」
『内容を送れ』
「救助経路のみの確保では余力が残る。救助を優先したまま、指定区画内の活動個体を順次処理し、総数を減らしたい。倉庫方向への前進と、逃走個体への追撃は行わない。エクアドル側へ伝達願う。送れ」
現地指揮所で、通訳が日本側の提案をエクアドル軍の指揮官へ伝えた。
「彼らは、集合住宅まで進むだけではなく、指定された住宅区画にいるモンスターを可能な範囲で減らしたいと言っています」
「救助時間が遅れる」
「日本側は、予定より早く交差点を確保しています」
指揮官は無人機映像を見た。
交差点では黒い甲殻型一体が倒れ、残る二体は大型盾と長槍に進路を制限されていた。屋根から降りる細長い個体も、後方班が張った拘束索で地面へ引き落とされている。
「損害は」
「現在までゼロです」
指揮官は数秒考えた。
「救助を遅らせないこと。倉庫側へは一歩も進まないこと。赤区画内に限り許可する」
通訳が日本側回線へ切り替える。
『アオバ・イチ、こちらアオバ・ゼロ。提案は条件付きで承認された。救助優先を維持し、赤区画内の活動個体を減勢する。倉庫方向への前進、区画外への追撃は禁止。復唱せよ』
「アオバ・イチ、了解。救助優先、赤区画内を減勢。倉庫方向への前進及び区画外追撃を行わない」
『アオバ・ニ、復唱せよ』
「アオバ・ニ、了解。後方遮断と救助線維持を継続し、赤区画内の活動個体を減勢する。終わり」
交差点から集合住宅までの進み方が変わった。
モンスターを避けて一本の道だけを通すのではなく、左右の路地と屋根を確認し、見つけた個体を残さない。アオバ・イチが正面を崩し、アオバ・ニが退路へ入り込もうとする個体を止める。エクアドル軍は、盾と長柄が作った射線へ銃撃を集中させた。
屋根の細長い個体へ、鉤付き長柄が届いた。
鉤を食い込ませて道路へ引き落とそうとしたところで、個体が逆に長柄を巻き込み、隊員の手から奪おうとする。
「武器を放せ! 予備を使え!」
エクアドル兵が叫んだ。
隊員は手を離さなかった。
片足を駐車車両のボンネットへ掛け、そのまま屋根へ向かって跳ぶ。長柄を両手で引き寄せ、巻きついた個体ごと庇の縁から引き剥がした。
個体と一緒に道路へ落ちながら、隊員は身体を半回転させる。先に個体を地面へ叩きつけ、自分は長柄を支えに着地した。
「アオバ・イチ、長柄回収。貸与品、手元にあり」
『負傷は』
「なし。装備にも異常なし」
『了解。次は無理に追うな』
「了解」
通訳が最後のやり取りを訳すと、先ほど博物館と言ったエクアドル兵が口を開きかけ、そのまま閉じた。
残る甲殻型は、二体同時に動いた。
大型盾の隊員が正面の一体を受け、長槍の隊員が横へ回る。もう一体が救助要員へ向きを変えると、アオバ・ニの二人が編み索を投げた。
索は前脚二本へ絡み、道路脇の車両へ固定される。
甲殻型が進むたび、車両が横へ引かれた。それでも貸与された編み索は切れず、前脚の幅だけが狭まっていく。
「JAPAN TWO、引き続けろ!」
エクアドル軍の分隊長が叫び、自分の部下へ射撃位置を指示した。
甲殻型が頭部を下げた瞬間、小型盾を持つ隊員が踏み込む。正面から止めず、盾の縁を頭部へ当て、編み索が張る方向へ押した。
甲殻型の身体が横を向く。
片刃戦斧の打撃面が脚の付け根を砕き、続けて刃が同じ箇所へ入った。エクアドル兵の銃撃が腹部へ集まり、動きが止まる。
もう一体は、大型盾を押したまま道路中央へ進めずにいた。
「アオバ・イチ、正面個体、押し返せます」
「前へ出すな。右の車列へ入れろ」
「了解」
盾を持つ隊員が片足を踏み込み、甲殻型を斜めに押した。
人間と盾だけで、六本脚の甲殻型が横へずれる。長槍と鉤付き長柄が脚へ入り、そのまま放置車両の間へ押し込んだ。
甲殻型が車体に挟まり、脚を自由に動かせなくなる。
「射線開放!」
日本側が一斉に離れ、エクアドル軍が撃った。
集合住宅へ着くまでに、黒い甲殻型三体、白い四足型九体、細長い個体四体が動きを止めた。日本側の負傷者は打撲一名で、救助作戦は予定より早く進んでいた。
集合住宅の入口にいた四足型も、隊列を止められなかった。
左右から小型盾が進路を狭め、長槍が胸部へ入り、鉤付き長柄が後脚を取る。片刃戦斧を持つ隊員は甲殻の薄い位置だけを選び、エクアドル兵が撃てる姿勢へ崩していく。
短槍の隊員は、階段へ逃げ込んだ一体を追わなかった。踊り場から降りてくるまで待ち、国家警察の救助要員と住民の間へ入る位置を取った。
建物内の確認はエクアドル軍と国家警察が行い、日本側は入口、階段、周辺道路を確保する。
三階から最初の住民が下りてきた時、取り残されていた七名は全員生きていた。
銃創を負った男性は意識がなく、簡易担架へ固定される。脱水症状の二人は自力で歩けず、隊員が一人ずつ背負った。
残る四人を中央へ入れ、帰路の隊列が組み直される。
「アオバ・ゼロ、こちらアオバ・イチ。ケヤキの救助対象七名を確保。帰路へ移る。送れ」
『アオバ・イチ、こちらゼロ。了解。赤区画南側に活動反応三。帰路上ではないが、減勢可能か』
「救助者をアオバ・ニへ移し、イチの四名で対応可能。所要五分を見込む」
『エクアドル側、承認。救助者の移送を遅らせるな。終わり』
アオバ・ニとエクアドル側の救助要員が、七名を連れて封鎖線へ向かった。
アオバ・イチの四名は南側の路地へ入る。白い四足型二体を民家の庭で処理し、車の下に潜んでいた細長い個体を鉤付き長柄で引き出した。
最後の一体が塀を越えて逃げようとする。
短槍の隊員が助走をつけ、再び片足で踏み切った。塀の上へ手をつくこともなく身体を越し、反対側で個体の前へ着地する。
四足型が方向を変える前に、短槍が胸部へ入った。
エクアドル軍の援護班が門から追いついた時には、個体は壁へ押さえ込まれていた。
「撃てます」
短槍の隊員が身体を外す。
銃声が続き、最後の個体が止まった。
作戦開始から三十八分後、七名の住民と日本側十二名、エクアドル側の全参加者が封鎖線を越えた。赤区画内で動きを止めたモンスターは二十体を超え、集合住宅へ続く道路と左右二本の路地が、新たな救助経路として使用可能になった。
「アオバ・ゼロ、こちらアオバ・イチ。人員十二、救助対象七、帰投。負傷一、歩行可能。貸与品は全数確認、紛失なし。送れ」
『アオバ・イチ、こちらゼロ。了解。装備点検後、待機せよ。終わり』
大型盾を持つ隊員が、へこんだ表面と固定具を確認する。貸与された盾は複数の衝突を受けても割れず、交換が必要なのは外側の固定帯だけだった。
出発前に装備を笑ったエクアドル兵が近づき、盾の端へ手を掛けた。
「運ぶ」
通訳が訳すより前に、日本側の隊員は意味を理解し、片側を任せた。
「さっきの装備は、まだ日本にあるのか」
「あります」
「こちらへ貸せるか」
隊員は首を横へ振った。
「私たちも借りています。絶対に無くすなと言われています」
エクアドル兵は盾の重さを確かめるように持ち直した。
「これを持って、あの速さで走っていたのか」
「中に入れば軽くなります」
「俺には変わらなかった」
「探索経験が必要らしいです」
次の救助要請が無線へ入った。
占拠区域の北側で、生存者九名を確認。接近経路には甲殻型二体と複数の小型反応があり、現地部隊だけでは進入できていない。
『アオバ・ゼロよりアオバ各局。次目標を送る。受信準備。送れ』
「アオバ・イチ、受信準備よし」
「アオバ・ニ、受信準備よし」
日本側が装備を持ち直すと、エクアドル兵も弾倉を確認して後ろへ並んだ。
もう槍や斧を見て笑う者はいなかった。




