第291話 机上の戦場
ANVIL本部の一室で、槙野は三層ボス攻略の報告映像を三度目まで見終えた。
扉が閉じてから、戦闘が終わるまで二十七分。盾役が正面を受け、二人が左右から脚を削り、後方から射撃と牽制を重ねる。途中で隊列が崩れかけた場面はあったが、決めていた位置まで下がって立て直し、最後は全員で弱点を潰した。
壁際には、顔を隠した戸張がいる。
同行を依頼した時点では、二層ボス戦と同じく、最後の一線だけは任せるつもりだった。ボス部屋へ入れば、倒すまで外には出られない。安全装置がいるという事実だけでも、挑む側の負担は違う。
それでも今回は、戸張が動くことはなかった。
戦闘終了後、倒れたボスを確認する班員たちの向こうで、戸張が両手を軽く上げている。何もしていない、とでも言いたげな仕草だった。
実際、何もしていない。
槙野は映像を停止し、報告書の該当欄をもう一度見た。
同行協力者による戦闘介入なし。重傷者なし。全員自力帰還。
「……よし」
声に出すつもりはなかった。
仮登録者互助会準備会と名乗っていた頃は、二層の扉前まで辿り着き、入らず帰ってきた報告を皆で褒めていた。その判断が間違っていたとは今も思わない。あの時に帰れた者たちが記録を残し、装備を直し、人を増やした結果が画面の中にある。
机の隅に置いた端末へ、三層攻略済みの印を付ける。
そこで、部屋の扉が開いた。
「失礼します。新規加入申請、今日の追加分です」
事務担当が抱えていた箱を、槙野の机の脇へ置いた。
「今日の、ということは」
「午前分は後ろです」
振り向くと、壁際に二箱あった。映像を見る前には一箱だったはずだ。
「三層攻略の情報は、まだ外向けに発表していませんよね」
「正式発表はしていません。参加者の活動記録と、出入りしている人数から察した人がいるようです。四級の方からも二件来ています」
「早いですね」
「企業からもです」
さらに薄いファイルが机へ置かれる。こちらは箱に入れるほどの量ではなかったが、厚さで安心できるものでもない。
槙野は一番上の提案書を開いた。
装備提供、医療支援、素材買取、施設利用、映像使用、共同研究。似た見出しでも、条件は一社ずつ違う。装備は無償だが映像の独占利用が付くもの、施設は安いが回収品の優先交渉権を求めるもの、保険料を負担する代わりに活動記録の提出範囲が広すぎるもの。
今の倉庫を少しでも生かすためにも、査定、保管、研究先の選定、加工、売却までまとめて見られる会社が欲しかった。
素材だけ買いたい会社は多い。研究だけしたい会社も、装備へ使いたい会社もある。
だが、用途不明品まで受け取り、所有権を曖昧にせず、使える物と売る物を分け、必要なら別の会社まで繋いでくれる相手となると、途端に候補が減る。
「今日中に見ますか」
事務担当が尋ねた。
「加入申請は一次確認をお願いします。団体単位と四級の方だけ、こちらへ回してください。企業案件は……分類だけ先に」
「分かりました」
国への活動報告や管理窓口への定型申請は、ずいぶん楽になった。必要事項を入力し、記録を添付し、決裁欄を確認する。問題がなければ、槙野が最後に承認するだけで済む。
人間が持ち込む話は、そうはいかない。
事務担当が出ていった直後、倉庫管理班から通知が届いた。昨日は四区画あった空きが、残り二区画まで減っている。
槙野は通知を閉じ、誰が何を持ち込んだのか確認した。
二層の甲殻片、三層で回収した蔓状素材、柄の折れた槍が三本。どれも申告済みで、勝手に置かれた物ではない。処分理由も保管理由も書かれている。
備考欄には、余計な一文があった。
今週は倉庫側が優勢。
「競技にしないでくださいと、何度言えば……」
言いながら先週の処理記録を開くと、槙野が片づけたのは十八件で、持ち込まれたのは十六件だった。二件分だけ自分が勝っていることを確かめてから、画面を閉じる。
別に競っているわけではない。管理状況を確認しただけだ。
次に開いたのは、装備開発班からの素材提供申請だった。
題名は、三層ボス由来素材を用いた四層向け装備の基礎加工試験について。
冒頭はまともだった。
既存事業の稼働を妨げない範囲で加工時間を確保し、安全性が確認された素材のみを専用区画で扱う。工具損耗、集塵、固定方法、返却時の状態についても記載がある。
実家の金属加工会社は、従来の取引を続けている。産業機械の部品も、農機具の補修も、特注金具もやめてはいない。その横で、ANVIL上位陣からの出資を使い、ダンジョン素材用の設備を少しずつ増やしていた。
ここまでは問題ない。
槙野は続きを読んだ。
三層ボス外皮については、手のひら大の試料を第一希望とする。確保できない場合は半分、端材でも試験可能であり、加工後の返却を条件とした短時間の貸与でも構わないらしい。
そこから希望条件はさらに緩くなり、表面測定のみ、写真と寸法情報のみでも検討可能と続いていた。最後には、現物を見せてほしい、できれば触らせてほしいと書かれている。
最後の一文だけ、文字が少し大きかった。
「本当に、あの人は……」
槙野はため息をついた。
申請書の末尾には、装備班責任者だけでなく、実家の社長と加工担当者二名の署名まで並んでいた。家族ぐるみで止める気がないらしい。
その下には、上位探索者三名からの出資希望も添付されている。
売却益のうち、各自の取り分から装備開発費へ振り替えたいという申請だった。希望用途には、四層用盾、長柄武器の接続部、素材試験設備と書かれている。
一人だけ、備考欄に別の希望を書いていた。
格好いい物を希望。
槙野は、その申請を差し戻し箱へ移した。
報酬をどう使うかは本人の自由だが、取り分そのものを曖昧にはできない。素材を無償で渡したことにして、その代わり装備を作るような処理も認めたくなかった。
危険を負って持ち帰った者には、まず正当な評価額を提示する。その後で、現金として受け取るのか、遠征資金へ回すのか、工房へ出資するのかを選んでもらう。
上位陣は金より次の階層を見たがる。
だからといって、やりがいとロマンを理由に安く使っていいことにはならない。
そこまで考えたところで、扉の隙間から亀山が顔を出した。
「入って大丈夫ですか」
「大丈夫に見えますか」
「見えませんね」
亀山は部屋へ入り、机の上と壁際の箱を見比べた。
「三層攻略、おめでとうございます」
「ありがとうございます」
「嬉しくないんですか」
「昨日までは」
「何があったんです?」
槙野は加入申請の箱を指した。それから企業提案のファイル、装備開発班の申請書、倉庫の残り区画を表示した端末を順に見せる。
「三層を攻略した結果です」
「順調ですね」
「順調という言葉で人を殴れることを、初めて知りました」
亀山は装備開発班の申請書を手に取り、末尾まで読んだ。
「触らせてほしいそうですよ」
「読み上げなくて結構です」
「上位の人たちも出資するんですね」
「本人たちの取り分を確定した後で、正式に振り替えます」
「そのまま渡しちゃ駄目なんですか」
「駄目です。本人が気にしていないことと、こちらが正しく払わなくていいことは別です」
亀山は頷き、箱の一つを覗き込んだ。
「これ、手伝える仕事あります?」
「加入申請の配信活動歴だけ確認してもらえますか。問題を起こしている方や、過度に煽る活動をしている方がいないか」
「分かりました」
亀山が箱を引き寄せる。
槙野は企業提案の一覧を開き直した。倉庫を総合的に見られる会社を探し、その間にも増える素材を捌き、加入希望者を選び、三層攻略班の次の計画も作らなければならない。
その隅に、四層進出準備という未処理項目が残っている。
槙野は少し迷った末、先に倉庫管理画面を開いた。処理待ちのうち用途が決まっている二件を移動させると、空き区画は四つまで戻った。
「何してるんですか」
「業務です」
亀山は端末を覗き込み、倉庫の数字を見た。
「ああ。今週は槙野さんが勝ちそうですね」
「競技ではありません」
そう答えながら、槙野は次の一件を開いた。




