第二部 27話 男の正体
「奥様は、流石に気がついたようですね。不快な思いをさせてしまい、申し訳ございませんでした。この男は魔法学園時代に、奥様にしつこく付きまとっていた男です。当時、イーストマン先輩がボコボコにしていたでしょう?」
「ああ、そんな奴、いた気もするが、ミレーヌは美しいからな。そんな奴は多かっただろう。記憶に残っていないな。それで、この男はどうして拘束されているんだ?」
イーストマン辺境伯の話を聞いて、男はぶるぶると震えている。あれほど憎悪していた相手に、まったく覚えてもらえていない現実に、打ちのめされた様子だ。少しだけ気の毒に思う。
「先輩は、呪術師に先代を生き返らせてもらうと言っていました。覚えていますか?」
「すまない。それも記憶が曖昧だ。確かに父が亡くなってから、領地経営が行き詰まり焦っていた。だが、生き返らせるなど、現実主義の私が考えること自体、不可解な話なのだ。それに、俺がミレーヌに厳しい態度など取った覚えもないし、常日頃の俺ならば有り得ない……」
イーストマン辺境伯は、情けないほど恐縮して奥様を見た。ここに奥様が来ているということは、実家が進めようとした離婚話は、解決したということだと思いたいが、当分の間は奥様に頭が上がらないだろう。
「おそらくですが、呪術で操られていたのではないかと推測します。そしてこの男が、その呪術師で間違いないと思います」
「そうか……」
イーストマン辺境伯は静かに男の前まで来ると、そのまま拳を振り上げて男の顔の横にある地面をドカッと殴りつけた。風圧と衝撃で男は大きく跳ね上がり、小さく悲鳴を漏らした。
「拘束されている人間をボコボコに殴る趣味は無い。拘束されていることに、感謝するんだな」
イーストマン辺境伯はそう言って、地面を殴った手を戻した。身体強化魔法で拳を強化したのか、手は無傷のようだ。殴った地面には、見事な穴が空いていた。真面に殴られていたら、ただでは済まなかっただろう。流石、辺境を任されている領主様だ。領地経営は苦手でも、軍事の面は万全のようだ。
その後私たちは、イーストマン辺境伯領に帰ってきて補佐しているエルマー様と合流して、今後の話し合いをした。半年ほどは兄である辺境伯を補佐し、奥様であるミレーヌ様に領地経営を引き継ぐそうだ。その後も、エルマー様が定期的に監査はするが、今後は、国境の警護は辺境伯、領地のことはミレーヌ様にと、役割分担するそうだ。
ちなみに半年間、エルマー様は単身赴任するそうだ。何でも、王都で子育てをしたいと、愛する妻に言われてしまったそうで、少し、いやかなり不機嫌になっていた。私はアウレリーア国で買い求めた焼き菓子を、そっとエルマー様に差し出した。
クリスの助手兼秘書のエルマー様を、半年も辺境伯領に留めるのは、クリスの負担も大きくなるようだが、元々はクリス一人で仕事をしていたので、何とかなると本人は言っていた。私は定期的に執務室を覗いて、掃除はしようと秘かに心に決めている。
魔法研究所のクリスの部屋を、二度と汚部屋にはしたくなかった。この際半年間、白の魔法使いの弟子に戻るのもいいかもしれない。
事後処理を終えたお兄様と、王都まで護送が決まった呪術師ことメイバール伯爵家のジェイコブ子息を連れて、私たちは祈り保存の期限ギリギリに王都へと戻って来た。
キースお兄様は、そのまま王宮へジェイコブを護送していった。この後ジェイコブは、タランターレ国での悪事を徹底的に取り調べられる予定だ。この国での罪を確定した後は、アウレリーア国に強制送還され、そちらでも取り調べを受ける。人魚セイレーナの件もあるので、恐らく課せられる罰は軽くない。極刑にはならなくとも、一生牢に入る可能性は高いだろうとお兄様が言っていた。
生家であるメイバール伯爵家は、離婚が決まった時点でジェイコブを廃嫡にしていたそうで、今後もジェイコブに関わるつもりはないと、国を通じて知らせが届いていた。
「あの男のせいで、イーストマン辺境伯領が被害を受け、アウレリーア国での新婚旅行がなくなったと思うと、僕もあいつを殴っておけばよかった」
「そうですね。冷静に考えると、全てあの男のせいですね。でも、その罪はしっかり裁かれるはずですから、わざわざクリスが殴って、手を痛める必要はないですよ」
「それもそうか。では、屋敷に帰って、長期休暇を……」
「あ、その件ですが、すぐに許可は下りないかと思います。ジェイコブの審判が終わる頃には、お兄様の結婚式の準備も大詰めで忙しくなります。何と言ってもこの国の第一王女の成婚です。お兄様はそちらに掛かりきりになりますよ」
「つまり、僕の休暇申請は認められないと……」
「私は、アウレリーア国の旅行も楽しかったですよ。当分は二人でお仕事、頑張りましょう」
「二人で?」
「はい。エルマー様がイーストマン辺境伯領にいる間だけ、私もクリスのお仕事を手伝おうと思っています。臨時の白の魔法使いの弟子、ですね」
「リアが、弟子に?」
「はい、いつも一緒ですよ」
「そうか、一緒に仕事か。それもいいな」
少し機嫌が上向きになったクリスが、屋敷に向かうため転移魔法を発動した。
それから5日後、私は白の魔法使いの弟子(臨時)に復帰した。仕事は主にクリスの部屋の掃除だが、それ以外にも書類整理や、依頼がある時は騎士団で怪我の治癒も手伝うことになった。
白いショート丈のローブに着替え、長い髪を三つ編みにして、ドラゴンハートのペンダントを着ければ、弟子の完成だ。中に着こむのは、動きやすいワンピースだ。ショート丈のブーツを履いて、私は天界樹に繋がる扉をくぐった。ここから王宮までは歩いていける距離だ。
「天界樹、今日もみんなが平和で暮らせますように」
天界樹に祈りを捧げ、私はクリスの執務室を目指した。今日から行くことは、朝に顔を合わせたクリスには伝えてある。手には昼食用のサンドイッチなどが二人分入った、バスケットを持ってきている。初日から、王宮にある食堂に行くのは、少し抵抗があったためだ。
衛兵に身分を告げ、気合を入れて王宮の廊下を歩いていくと、弟子時代と違う反応に気がついた。何故か、すれ違う人たちが、チラチラと私を見ているのだ。
「お嬢さん、重そうなバスケットを持っているね。良かったら、私が運んであげましょうか?」
知らない声に振り向くと、見知らぬ男性が手を差し出していた。身なりから察するに、若い貴族の令息のようだ。
「いえ、結構です。目的地もすぐ近くですから……」
私は断って、素早く通り抜けようとしたが、男の手がサッとバスケットを掴んでしまった。男性の力は思った以上に強いため、バスケットを諦めて行こうかと迷っていると、そこに3人目の手がかかった。
「リア、遅いから心配になって迎えに来たよ」
「あ、クリス……」
「し、白の魔法使い、殿……?」




