第二部 26話 不審な男
「不審者ならば、確認に行くしかないか。救護班は、辺境伯の敷地内にあるから、一緒に来てもらっていいか」
私たちは、キースお兄様の案内で、急いで救護班があるという建物に向かった。
「「あっ……」」
ベッドでもだえ苦しんでいる男を見て、お兄様とクリスが同時に男を指さした。
「え、っと、名前なんだっけ?」
キースお兄様が、男の顔を覗き込んでからクリスを見た。クリスも顔は覚えているが、名前は出てこないらしく、目をそっと逸らした。
「ぐう、…お前たちは相変わらず失礼な奴らだ。私は、先輩だぞ!メイバール伯爵家のジェイコブだ!イタタタ……、くそっ、早く優秀な治癒魔法師をよこせ」
ジェイコブと名乗った男は、偉そうにクリスとお兄様を睨んだ。手と足は綺麗に手首、足首から先が無くなっており、傷口からは禍々しい気配と共に、少しづつだが血が流れていた。このままでは失血死だ。
「う~ん、治療にあたった者に事情を聞いたが、治癒魔法師ではその傷は治せないらしいですよ。呪いの類は、聖女の浄化魔法があれば可能かもしれないが、こんな辺境伯の地にはいないですしねぇ。残念です」
お兄様はニヤリと微笑んで、男を見下ろした。
「せ、聖女を連れてこい!今すぐに!」
「どうしてもと言うなら、呼んでもいいですけど、その前に事情を聞かないと、流石に不審者には、我が国の聖女を派遣するわけにはいかないよね、クリス」
「そうだな。我妻は、不審者には会わせられないよ」
「聖女が、貴様の妻だと……、化け物のくせに、生意気な……」
「化け物……?何ですか、この失礼な男は……」
「取るに足らない者の言葉など、気にするな」
クリスがムッとしている私の頭を、よしよしと撫ぜた。そして凍えるほど低い声で、男に質問した。
「それで、隣国にいるはずのメイバール先輩は、イーストマン辺境伯領で何をされていたんですか?手足を失った原因は?」
男は目を逸らして、クリスの視線を避けようとしたが、そこにお兄様が近づいて微笑んだ。
「事情を話さなければ、聖女は来ませんよ。あと数刻もすれば、先輩は失血で死んでしまいますが、いいんですか?ああ、それと、あなたが所持していた革袋から、黒く変色した何かが見つかりました。あまりにも禍々しいので、触れることさえ出来ませんでしたが、後程調べる予定です」
「し……死にたくない。死んでしまったら、ミレーヌ様を覗き見ることが出来なくなる……。憎きジョルジュを、もう少しで葬ることが出来たのに、ああ、なんで、こんな目に合っているんだ……」
ミレーヌ様とは、辺境伯の奥様の名前だったはずだ。学生時代、恋人だったミレーヌ様を執拗に追いかけていた男を、イーストマン辺境伯がボコボコにした話を先ほど聞いたばかりだ。
「でも、どうして今更?」
思わず心の声が漏れた私を、苦痛に顔を歪めた男は、ぎりっと睨みあげた。虚ろな目が怖くなって、咄嗟にクリスの手を取ると、クリスは優しく私の手を握り返してくれた。
「小娘に何が分かる。私はミレーヌ様をずっとお慕いしていたのだ。そのせいで、政略結婚で娶った妻とも、結局破綻した。どうして、ジョルジュだけが幸せになれるんだ?あんな、体力と剣しか能のない男より、私の方がミレーヌ様に相応しい。きっと、そうなのだ…。だからこのまま離婚して、私の元へ来てくれるはずだ、ははは、あはは……」
虚ろな目は、目の前の私を捉えていないようだった。笑っているのに、目は笑っていないので怖い。
「もしかして、イーストマン辺境伯領に呪いをかけたのはあなたですか?人魚の鱗と肉を持って逃げたのも……そうなのですか?」
「そうだ、それのどこが悪い?私は何も悪くない……悪く、ない。悪いのは、ミレーヌ様を私から奪ったジョルジュだろう……、悪くない、悪くないんだ……」
「あなたの手と足は、泡になったのですね?」
「ど、どうしてそれを?もしかしてお前は、人魚の仲間なのか⁈そうなんだろっ早く呪いを解け!」
男はむくりと起き上がろうとして、バランスを崩してベッドの下に落ちた。それでも体を引きずって、私の方を目指してズルズルと進んできたので、私は小さな悲鳴を上げた。
「リア、僕の後ろにいて」
クリスは私を庇うように、背中の後ろに隠してくれた。男はクリスの防御魔法に阻まれて、それ以上進めなくなったのか、悔しそうに床に転がった。男の顔色は一層悪くなり、青を通り越して真っ白になっている。
「あの、お兄様、そろそろ癒さないと死んでしまいます。この男は、生きて裁かれるべきです」
「う~ん、そうだね。改心するかどうかは置いておいて、取り敢えず自白もしたから、助けようか……」
「クリス、時間が無いので魔法陣をお願いします」
「リアは優しいね。こんな男、死んだ方がいいと思うんだけどね」
「優しくないです。ただこのまま見殺しにしたくないだけです。それに、この人は呪いで手足を失っています。癒してもそこは戻りません。一生不自由な身で、反省して欲しいだけです」
「そ、か。分かった。このまま見殺しにしたら、隣国と揉めても困るしね。さっさと癒して、国の審問機関へ引き渡そうか」
「……」
男は抗議しようと口を開こうとしたが、そこからは苦しそうな息が漏れただけだった。
クリスはさっと魔法陣を描くと、その上に男を魔法で浮かせてドスンと置いた。扱いが雑なのは、この際目を瞑っておく。私は魔法陣の端に触れて、そこに清浄の光を注いだ。
禍々しいものが消え、男の傷口は綺麗に治ったが、失われた手首から先、足首から先は元には戻らなかった。痛みから解放された男は、手足が戻っていないことに愕然として、私に掴みかかろうとした。クリスはすぐに魔法で男の体を拘束して、口も塞いでからにこりと笑った。
「魔法を詠唱されたら困るから、念のため口も塞いでおいたよ」
辺境伯領の兵士と共に、男の引き渡し手続きをしていると、俄かに屋敷の外が騒がしくなった。
「あ、先輩と奥様が戻って来たみたいだね。丁度いい」
「すまない。キース近衛騎士団長、……クリスティアンも戻っていたのか……好きだ」
「先輩、ブレませんね……奥様も一緒に戻られたんですね。丁度よかったです。この男に見覚えは?」
イーストマン辺境伯と一緒に現れたのは、ミルクティー色の髪に、青い瞳の美しい女性だ。拘束されていた男が、じたばたと動いて声にならない声を出した。たぶん、ミレーヌ様と言っているのだろう。お兄様の指し示す男を見たミレーヌ様は、「ひぃっ」と小さな悲鳴を上げてから、イーストマン辺境伯の背に隠れた。
「ミレーヌ、どうした?」
イーストマン辺境伯は、不思議そうに背中に隠れたミレーヌ様を抱き寄せた。ミレーヌ様は男から顔を背けて、震えながら辺境伯の胸に顔を埋めた。床に転がった男からは、声にならない悲鳴が聞こえた気がした。
「イーストマン先輩、この男に見覚えは?」
「すまない。見たことがある気はするが、覚えていないな……誰だ?」
男は、イーストマン辺境伯の言葉に、大きく瞠目した。少し涙目な気もする。




