第二部 25話 イーストマン辺境伯領の件
それから私たちは大急ぎで、屋敷で帰りを待ってくれている使用人のみんなにお土産を買い、イーストマン辺境伯領で事後処理をしているお兄様にも、疲れを癒せるような甘味を買い求めた。
アウレリーア国の王からは、感謝の品としてアウレリーア国の特産品である、ラピスラズリの宝石や、真珠が大量に贈られた。多分今回の口止め料も含まれているので、ここは遠慮せずに貰っておくことにした。
「オーレリア様、今回は本当にお世話になりました。アベリーも、これからは堂々と連れて歩くことにします」
カイラ様はこれまで、アベリー君の青い髪を気にして、なるべく人目を避けて生活していたそうだ。
今回のことで、セイレーナの話を聞いて危機感を持った国王陛下は、大々的に宣言を出した。アベリー君が害されれば、海の精霊王は間違いなくこの地を呪う、そう気づいたのだろう……
曰く、『聖女は神の愛し子で、産まれた子供はありがたくも海の精霊王の加護をもって生まれた。だが、これは偶然であって、今後も必ず産まれるものではない。王家は聖女の元に産まれた子供を心より祝福している。今後は大切に見守り、害をなそうとする者は、王家に仇成すものとして粛清をするので、心するように。さらに一言付け加えるが、私は王妃一筋なので、今後も側妃は不要である』とのことだ。
「クリスも、折角の新婚旅行だったのに、俺たちの事情に巻き込んで、本当にすまなかった……」
ギル様が申し訳なさそうに、ぺこりと頭を下げた。クリスはポンポンとギル様の肩を叩いた。
「気にしなくていい。これからこの子が自由に生きられるなら、それでいい」
アベリー君は、ギル様に抱かれてスヤスヤと幸せそうに眠っている。小さい頃から、膨大な魔力に苦しんで、幸せとは言えない子供時代を過ごしたクリスにとって、偏見に苦しまずに自由に生きられることは、何よりも大切なことなのだろう。
「今度は、タランターレ国に遊びに来てくれ」
「ああ、祈りを保存できる魔石を使えるよう、国王陛下にも奏上するつもりだ。今回の件もあるから、願いは聞き届けてくれると思う」
ギル様は悪い笑顔で、王宮のある方を見た。青の魔法使いと聖女が、手を取り合って出奔するよりは、祈りを保存して出かけることを許可する方が、マシだということだろう。
聖女は時期が来れば守護印は消えるが、国を出奔した場合はどうなるのだろうか?前例を聞いたことがないので、予測は不可能だ。つまり、カイラ様がいなくなっても、必ず新しい聖女が誕生するとは限らないので、そんなことになると国としても困るのだ。
「じゃあ、そろそろ行こうか。また次は、色の魔法使いの会合で合おう」
「ああ、気をつけて帰れよ」
「オーレリア様もまた会いましょう。それと、これは塩アイスのレシピです。帰ってからも、ルーカス君が食べられるように、うちのシェフに聞いておきました」
カイラ様は小さな紙をそっと渡してくれた。ここに来てから、毎日塩アイスを食べていたルーちゃんは、嬉しそうにその紙を受け取った。
「では、転移魔法を発動するよ」
国王陛下の許可を得て、帰りはアウレリーア国の辺境伯領にある転移門まで、一気に転移魔法で飛べることになっている。クリスは、私たちを囲うようにして、さっと転移魔法を発動した。私はルーちゃんを抱きかかえ、瞳を閉じた。
一瞬の浮遊感の後、足が地面に着地したので瞳を開けた。
すでにそこは、アウレリーア国の辺境伯領にある転移門の前だった。
「本当に、あっという間ですね……」
「行きは安全を考慮して、小刻みに転移したから時間がかかったけれど、目的地さえわかっていたら、こんなものだよ」
私は魔法学園に通っていないので、一般的な魔法使いの力量は知らないが、それでもクリスが規格外に凄い魔法使いだということだけは理解できた。
「さあ、後はこの門をくぐれば、イーストマン辺境伯領だ。キースと合流して、状況を確認しないといけないが、出来ればこのまま何事もなく、順調に解決していて欲しいが……」
クリスが希望的観測を述べたが、ここにいる誰もがそこまで楽天的には考えられなかった。第一、イーストマン辺境伯がどうして怪しい呪術師に狙われたのか、理由すらまだ分かっていない状況だ。
人魚のセイレーナを襲った呪術師が、もしかしたら同一人物の可能性もあるが、その人物ですら誰か分からない。ジャックは泡になってしまったし、襲われたセイレーナは呪術師の顔すらまともに見ていなかった。
ただ、あの時持ち去られた鱗や肉はセイレーナが呪ったので、呪術師も泡になって消えてしまっている可能性もあるのだ。
不安な気持ちのまま、転移門をくぐってイーストマン辺境伯領へ辿り着いた時には、すでに日が傾きだしていた。私たちはそのままクリスの転移魔法で、辺境伯の屋敷へ向かった。
「おかえり、新婚旅行、楽しめたかい?」
私たちを出迎えてくれたのは、事後処理に追われて疲れ切ったお兄様だった。私たちが発った後、イーストマン辺境伯は体調が回復すると、すぐに実家に帰ってしまった奥様と子供たちを迎えに行ったそうだ。
「それで、イーストマン先輩は、まだここに帰って来てないのか……?」
「奥様の実家が、先輩にかなり怒っているようで、離婚させると騒いでいるらしい……」
「先輩の奥様は、魔法学園の同級生だったよな?」
「ああ、侯爵家の令嬢で、学園で知り合ってそのまま結婚したんだ。当時は辺境伯の跡取りである先輩では、家格が釣り合わないと言って難色を示されたが、何度も侯爵家に通って説得したらしい。僕はクリスに愛を叫んでいる先輩しか知らなかったから、てっきり男性しか愛せないのかと疑っていたんだけどね」
「……先輩は、別に僕のことを好きなわけでは…、いや、顔はかなり好みだと言われていたか。でも、あの行動自体は一人でいる僕を心配して、先輩なりに構ってくれていたんだと思うよ。今でも条件反射のように、愛を叫ぶけど……」
私は、正気に戻った時に突然愛を叫び出したイーストマン辺境伯を思い出して、少し笑ってしまった。辺境伯は、後輩を思いやる素敵な先輩なのだろう。
「そういえば、あの頃事件があったな?」
「ああ、イーストマン先輩の彼女、つまり今の奥様を執拗に追い回していた留学生を、先輩がボコボコに……、そうだ、あいつは確か、クリスと同じ部活じゃなかったか?」
「クリスの部活?」
「学生時代、クラブ活動は強制で、一人一部活って言われたんだ。それで、ほぼ活動が休止している部活を選んだんだ……、確か、呪術部、だったかな?部室に行ったことがないので、すっかり忘れてたよ」
「呪術部……」
「あいつ、確かアウレリーア国からの留学生だったよな?まさか、だよな……」
「流石に、もう10年以上前のことだよ。今更、先輩に恨みを抱くか?」
「……そうだな。確かに、今更か……」
私たちが、結論を出した頃、辺境伯領を巡回していた兵士から、不審者の情報が入った。その男は、山小屋で隠れていたそうだ。何故か発見時、手と足を失った瀕死の状態で、今は救護班で治療を受けているそうだ。
「手と足がない……?」