第二部 20話 ただいま
ラピスに乗って暗い海の上をひたすら真っすぐに渡って、やっと海岸線がぼんやりと見えた。
ドラゴンが人に見られると大騒ぎになるだろうと心配したが、幸い今夜は月が出ていないこともあり、人も海辺には見当たらない。
町並みは見えないが、海岸近くの民家の窓に小さな光が灯って見えるので、とても綺麗だ。遠くには酒場などの店があり、その辺りは大きな光の塊になって見える。
「ラピス、送ってくれてありがとう」
『クゥゥ~』
ラピスは海上ギリギリを低空飛行していたが、海辺に近づいてバシャりと勢いよく着水した。攫われた時は海中に潜られ、溺れるかと焦ったが、セイレーナが人間は海中で呼吸できないと説明してくれたおかげで、帰りは空を快適に飛行することが出来た。
『オーレリア!』
ルーちゃんの声がして海岸を見ると、海辺にルーちゃんが立っているのがぼんやりと見えた。私はラピスから飛び降りると、ルーちゃんに駆け寄った。
「ルーちゃん、ただいま」
ルーちゃんに声をかけると、後ろからクリスが駆け寄って来るのが見えた。帰る連絡はしていないので、どうやって戻ろうかと心配していたが、何故か4人が海岸で待っていてくれたようだ。
「あ、クリス、ただいま戻りました。心配を……かけ…」
言葉の途中で、突然クリスに抱きしめられて私は焦った。海の中に潜り、そこから1日半以上。私はちゃんと体を洗うことも出来ず、水で少し体を拭いたくらいなので、きっと汗臭いはずだ。いきなり密着されるのは、いろいろと気になる。
「リア、おかえり。無事に戻ってくれてよかった……」
「ただいま。あの、クリス。私から離れてください!」
「え、嫌だけど」
即拒否されて、私は焦ってクリスを手で押し返そうとしたが、クリスは更に強い力で私を囲い込み、あろうことか頬を私の頭にのせてそのまま深呼吸をした……
「ク、クリス、お願いです!駄目、離れて!私、汚いです!」
「リアが汚いなんて、そんなことないよ。リアはいつでも愛らしく、いい匂いだよ」
私が羞恥心で震えていると、私の隣にいたルーちゃんがポンッとドラゴンに変化した。
「え?ルーちゃん……」
『オーレリアさらった、これは、しかえし!』
驚いて振り返ると、ルーちゃんはテケテケと勢いをつけて駆けだすと、ラピスに向かって飛び蹴りをした。ドカッと凄い音がして、ラピスは少し吹っ飛んだ。
『クゥゥ~』
ラピスは悲しそうに鳴いたが、体勢を整えてからぺこりと私たちに頭を下げて、海の方へトボトボと歩いていった。私は慌ててラピスの後姿に声をかけた。
「ラピス、私は気にしてないからね。送ってくれてありがとう」
ラピスは少しだけ振り返って、クゥクゥと鳴いてから海中に潜った。帰りは泳いで帰るようだ……。気にしてないとは言ったが、海中に連れ込まれたのは軽くトラウマになりそうだ。
「ルーちゃん、仕返しは駄目だけど、怒ってくれてありがとう」
ルーちゃんはポンッと人間の姿になると、クリスを押しのけて私に抱きついた。
『オーレリア、おかえり』
「ただいま」
私はルーちゃんを抱っこしたまま、馬車が停まっている場所まで歩くことにした。宿までは馬車で、少しかかるようだ。クリスが私に構って欲しそうにこちらをチラチラ見ていたが、湯に浸かって体を洗うまでは、これ以上のスキンシップは拒否したい。
「メリ、宿に着いたら入浴できるのかしら?」
「はい、温泉は常時湧き出ているようで、深夜以外は使用できるようになっているそうです。着きましたら、すぐに準備いたしますね」
私はホッとして、馬車の背にもたれた。入り江にいる間、ずっと温泉に浸かることを夢見て頑張ったのだ。髪も体も塩水でベタベタしているし、体も固い土の上で寝たせいか、強張っているようで疲れていた。光魔法で癒すことはできるが、温泉でゆっくりとした方が絶対に癒されるはずだ。
「温泉、楽しみだわ」
『ルー、いっしょにはいる』
「あら、一緒に?」
ルーちゃんが嬉しそうに頷こうとした時に、それまで黙っていたクリスの腕が伸びてきて、ぐいっとルーちゃんの首根っこを掴んだ。
「駄目だ。リアは疲れているんだ。チビは僕と入るんだ」
ルーちゃんがショックだと言うように私を見上げたが、クリスがそこは譲る気はないと、ルーちゃんをそのまま自分の方へ引き寄せた。
「そうね、ルーちゃんは男の子だから、女性用の湯殿には入らない方がいいかもしれないわね」
ルーちゃんは不本意そうに俯いたが、一応納得したのかそれ以上は食い下がらなかった。
メリに手伝ってもらいながら、海水でべたついた長い髪を洗い、体の隅々まで薔薇の香料付きの石鹸で洗ってから、私は念願の温泉にゆっくりと体を沈めた。ジンと体が痺れるような温度だが、疲れた体には心地いい。
「はぁぁ~幸せ」
温泉に浸かりながら、私はほぅっと息を吐いた。ここは屋外に作られた湯殿なので、外の冷えた空気が火照った体に丁度いいのだ。
「凄いわね。星空を見上げながら浸かれるなんて、とても贅沢だわ」
「ええ、本当に素晴らしいですわね」
隣で一緒に湯に浸かっているメリも、幸せそうに微笑んだ。普段は一緒に入ることなんて出来ないが、旅行中は無礼講だ。こんな素敵な経験は、一緒にする方が楽しいと思うのだ。
「それにしても、奥様。少し日に焼けて頬と腕が赤くなってしまいましたね……。後でしっかりスキンケアをしないと、ですね……」
「そうね、流石に日に焼ける心配とか、する余裕がなかったの。よろしくお願いするわ」
温泉に浸かると、焼けた肌が少しだけピリリと痛んだ。先ほどまで、セイレーナを浄化して、海の精霊王の怒りを回避することだけに注力していたのだ。日焼けを気にする余裕なんて、持てるはずもなかった。
「本当に、回避できてよかったわ……、回避、出来たのよね……?」
急いで入り江を後にしたので、今後起こることについては、詳しくは聞けていなかった。呪ったセイレーナも、そこは詳しく分からないと言っていたが、いずれジャックという男性は呪われて泡になって消えるはずだ。呪術師の行方もセイレーナは知らないと言っていたし、結局今後どうなるかは分からないことの方が多い。
「今日はもう疲れたから、明日起きてから考えよう……」
用意された軽食を食べた後は、疲れてそのまま眠ってしまったのか、その後の記憶がないまま朝を迎えた。




