第二部 17話 海の精霊王の怒り
「どうですか?病は治りましたか?」
食事が終わって、紅茶を飲んでいると、王妃は楽しそうに微笑んだ。
「病が治る?」
「ええ、人魚の肉は不老不死の妙薬なのでしょう?わたくしも最近シミやしわが気になっていたので、ちょうど良かったですわ。これで、美しいままいられるのですね」
王妃が嫣然と微笑んだ。王は咄嗟に口を押えた。
「ぐぅっ……っ」
理解するより先に、王は食べたものを全て吐きだした。何度も吐きながら、王は王妃を問い質した。
「セリアは、……どこにいる?」
「……地下室に…いるはずですわ。でも、もう死んでいるかもしれません。陛下、どうしてそんなに人魚にこだわるのですか?病気が治れば、用はないでしょう?」
「違う、そうじゃない。私は……」
王は、地下室へ向かった。そこには足鰭を削がれ、大量の血を流すセリアが横たわっていた。辛うじて息はあるものの、それも風前の灯だ。王はセリアを抱き上げ、急いで海へ向かった。海に行けば、彼女の仲間がセリアを助けてくれるかもしれない。
「待っていろ。すぐに助けを呼ぶ。死ぬな、セリア。私は君を、こんな形で失いたくない……」
抱きかかえたまま、海までたどり着くと、いつもの穏やかな海とは様子が違っていた。波が荒れ狂い、近づくことも難しい有様だった。生まれて初めて見る光景だった。
王は波しぶきで濡れるのも構わず、声の限りに叫んだ。このままこの人魚を死なせたくない一心だった。
「誰か!セリアを助けてくれ!!頼む!誰か、助けてくれ!」
海からは何の反応もなかった。それでも諦められなくて、王は必死で叫び続けた。苦しい息のまま、セリアは王の手を取った。
「もう、いいのです……これも、私があなたを、愛して、しまったから……」
「違う、間違っていない。私もセリアを愛しく思っていた。後悔している。その思いに素直に向き合っていたなら、こんな事にはならなかったのに。一人では死なせない。私も一緒に…行くから」
王は護身用のナイフを握ると、自分の首筋に当てた。まさにその時だ、それまで反応がなかった海が大きな音を立てて盛り上がった。王はセリアを庇うように覆いかぶさった。
『アウレリーア国の王よ。我は海の精霊王なり。我が眷属、セリアよ。そなたはこの哀れな王を本当に愛しているか?そして、愚かな人間よ。貴様はセリアを助けるためなら、人間であることを捨てることが出来るか?』
突然姿を現した海の精霊王は、それぞれを見て真剣に問うた。セリアは乞うように頷いた。王は問われた意味は分からなかったが、セリアを失うことより最悪なことはないと思い、覚悟をして頷いた。
『では、二人で海の中で暮らすといい』
海の精霊王が二人に手をかざすと、いつの間にか二人は亀の姿に変わっていた。亀たちは幸せそうに微笑んで、海の精霊王に頭を下げてから海の中に仲良く潜っていった。
『さて、残りの代償は、王族に払ってもらおうか?』
この国の始祖は、眷属の人魚と人間の間に産まれた子供だった。大切な眷属の子孫である王家に、海の精霊王は加護を授けていた。髪の色が青いのも、その恩恵の表れだった。
だが長く続く今の王家は、それを当然だと勘違いして感謝しなかったため、今では加護の力も弱まっていた。
セリアの肉を食べた王妃は、呪いを受けてシミとしわだらけの老婆の姿に変わり果てた。王妃は醜くなった自分に耐えられなくなって、消えた王を恨みながら自ら命を絶った。
海の精霊王は、魚をアウレリーア国の海域から遠ざけた。さらに雨雲を呼び、降る雨は呪いの雨となってアウレリーア国の作物を腐らせた。川の水さえも腐り、あっという間に人々は飢饉に陥った。
この状況を何とかするため、海の精霊王のもとにやって来たのは、その時代の青の魔法使いだった。青の魔法使いは何度も精霊王の元へ通い詫びた。
海の精霊王は、その度に青の魔法使いを追い返したが、最後には根負けしたのか、青の魔法使いと話すことにした。
約束の日に、青の魔法使いは新しい王を連れてやって来た。海の精霊王はアウレリーア国の怠慢を責め、改善するように求めた。そして海の恩恵に感謝し、人魚などの眷属には今後一切手を出さないことを約束させた。
新しい王は真摯に受け止め謝罪したので、精霊王は雨雲を消し、海の生き物を元に戻した。川の水は綺麗になり、人々は海の精霊王の寛大な心に感謝した。
だがそれ以来、王家に青い髪の子供が産まれなくなった。
『王家の黒髪は、戒めだと思え。人間が勝手なことをすれば、報いはすぐに返って来る。その事を努々忘れるでないぞ』
当時の青の魔法使いは、その記録を次の青の魔法使いに伝えるため書き残していたが、王家は海の精霊王の加護が無くなったことで、王家の権威が失墜することを恐れて、その事実を秘匿することにした。
真実は、その記録を次代の青の魔法使いが読めば伝えられるはずだったが、運悪くその記録は王宮が火事になった時に焼失したらしい。王宮の厨房から火の手が上がり、隣接していた保管庫を焼いたそうだ。
「あの、確かに王家の黒髪の理由を聞きましたが、この話、私が聞いてしまっていい話でしょうか……?」
「知りたかったから、聞いたのでしょう?」
確かに聞いたが、4代前の王が亀になってしまったとか、海の精霊王が王族の加護をやめたから、王族は青い髪は生まれないとか、王家が秘匿し、現在の青の魔法使いすら知らないことを、私が知ってしまっていいはずはなかった。
「それにしても、やけに詳しい説明でしたね…、まるで見てきたみたいな……?」
「そうね、見てきたもの。こう見えて私150歳を超す年を生きてきたからね。それに、セリアは私の友達だったから、せめて私は覚えておかないと……」
セイレーナは少し寂しそうに、海がある方を見た。亀になった王とセリアは、海亀が生きる寿命を全うして、二人仲良く天に召されたそうだ。人魚が生きる年数よりは短いが、セリアはそれでも幸せだったのだろう。
「このことを、今の青の魔法使いに話しても、問題ないですか?」
本来なら、燃えずに残っていた記録を読んで、ギル様はこの事実を知っているはずだった。偶然なのか故意なのか、その記録は燃えてしまってないのだ。
「話す必要があるのなら、私は構わないと思うけど?だって、本来ならこのことは、史実として伝えて、二度と同じ過ちを繰り返さないためのものだから、って、騙されて呪った私が言えることではないけどね……」
「あの、先ほどの話では、青の髪の子供は生まれないはずですよね?現在の青の魔法使いと聖女の間に産まれた子供が、青い髪なのですが……」
「そうなの?それは知らなかったわ。その子供の親は王族なの?」
「聖女が王家の血をひいています。その当時王太子の長女だった方が祖母なのです。最後の青い髪の王族、ということになっています」
「はっきりとした理由は分からないけど、聖女は神の愛し子なの。そんな王族の血を引く聖女と、青の魔法使いの間に産まれた子なら、加護の力が戻っても不思議ではないわ。先祖返りみたいなものね」
「では、その聖女が現王の側室にされたとしても、青い髪の子供は生まれないと思いますか?」
「側室?海の精霊王の性格を考えたら、そんなことをしたら怒り狂いそうね……」