第二部 14話 青い髪の人魚セイレーナ
「あの、どうしてドラゴンが私を攫ったのですか?」
『クゥゥ~、クゥクゥ』
「あら、あなたは聖女なのかしら?ラピスが聖女を連れて来た、と言っているわ」
「はい、この国の聖女ではないですが、隣国の聖女です」
人魚は困った様にドラゴンを見た。ドラゴンは人魚を心配そうに見ている。きっと私を連れて来たのは、餌のためではなさそうだ。
少しだけ余裕が出来てきた私は、洞窟と人魚の様子をうかがった。人魚は土の上に布や木で寝床を作っているようで、その上に横たわっていた。
腰から下は魚の様な形状で、キラキラとした鱗で覆われている。耳は見えないが、鰭のような形状のものが耳の辺りについている。髪と瞳は海のように綺麗な青だ。
「どうして海に入らず、陸にいるのですか?人魚は海に住んでいると、本には載っていました」
「海に帰りたいけど、残念ながら私は海に入れないの……」
「それはどうして?」
「これよ。自分で呪いを掛けてしまったの……。海に入れば、呪いで海が穢れてしまう」
人魚が指さした部分は黒く焼けただれたように変色して、鱗が剥がれ落ちていた。微かに異臭がしている。
「この匂い、どこかで……?」
くさい……、ルーちゃんの声が頭の中で響いたような気がした。
「イーストマン辺境伯領で起こった呪い……?」
「イーストマン?聞いたことがないわ。私が呪ってしまったのは、人間の男よ。呪った時に自分自身にも呪いがかかることは知っていたし、覚悟していたけど実際にそうなってしまうと、いろいろと困ったことになっているわ。このままだといずれ泡になって消えてしまう……」
「泡になって消える?」
『クゥゥ~』
「ごめんね、ラピス。あの時の私は、裏切られた怒りに我を忘れてしまったの。今思えば、あんな男、こっちから捨ててやればよかったのよ。サメの餌にすればよかった。呪うことの危険性は知っていたのに、本当に馬鹿ね……」
人魚はそのままシクシクと泣き出してしまった。おとぎ話では、人魚の涙は真珠に変わると書いてあったが、実際にはそんなことはなく、人間と同じように涙がポロポロと流れ落ちていた。
どうやら人魚は悪い人間の男に騙され、恨みのまま呪ってしまったようだ。黒く焼けただれたような鱗は、イーストマン辺境伯領で見た呪具になった鱗に似ていた。腰の辺りの変色していない鱗は、キラキラと虹色に輝いている。それは解呪した後の鱗に似た色をしていた。
『クゥゥ~』
ドラゴンは悲しそうに鳴いて、私をじっと見た。どうやらこの人魚を助けて欲しくて、私をここまで連れて来たようだ。
私は泣いている人魚にそっと近寄った。呪うことは決して褒められた行為ではないが、人間に騙された挙句、自身も泡になって消えると聞いてしまえば、知らないフリをするわけにはいかなかった。
「あの、解呪できるとは言い切れませんが、私に癒させてもらってもいいですか?」
人魚は潤んだ青い瞳でじっと私を見た。
「どうして?私は人魚よ。あなたが助ける理由はないわ。何か目的があるの?」
人間に裏切られた人魚は、人間の私に対して警戒を示した。私はじっと人魚の瞳を見つめた。
「目的、というよりは、知っていることを教えて欲しい、というか……。でもそれはついでみたいなもので、私は目の前で助けられそうな人、いや人魚がいたら、助けたいと思う質なんです……」
「たちって、それは損な性格ね。ラピスに攫われて、無理やりここまで連れて来られたのに、恨まないの?」
「正直に言えば、理不尽だとは思いますが、恨むことではないです。そのドラゴンがあなたを助けたいと思って私を攫った気持ちは、一応理解できますから……」
ずっと心配そうに人魚に寄り添うドラゴンは、この人魚を気に入って契約したのだろう。その主が目の前で苦しんでいるのなら、聖女くらい攫ってくるのだろう……
「そう、ありがとう。……助けてくれたら、あなたの知りたいことで、私が知っていることは教えるわ。お願い…私を、助けて……」
最後の言葉は、小さくて聞こえ難かったが、ちゃんと私の耳に届いた。私は頷いて、人魚の元へ近づいた。呪いの部分に触れると危険なので、手をかざしてゆっくりと光を注いだ。
呪物になった前辺境伯は、解呪と共に灰になって崩れ落ちたが、生きていたジョルジュ様は灰にはならなかった。人魚は生きているので、多分大丈夫だとは思うが、念のため慎重に光を注いでいくことにした。
クリスのように魔法陣は描けないので、直接癒すしかない。時間はかかるが仕方がない。今頃、陸で私のことを必死で探しているはずのクリスたちのことは、一旦忘れることにした。
「あなた、名前は?私はセイレーナよ」
「セイレーナさんですね。私はオーレリアです。隣国のタランターレ国から来ました」
「そうなのね。折角旅行に来たのに、こんなことに巻き込んでしまってごめんなさいね」
「これも乗りかかった舟、というのでしょうか?実は前にも同じようなことがあって、私もドラゴンと契約しているんです」
「まあ、そうなの?ラピスは水系のドラゴンなのよ。オーレリアのドラゴンは?」
「ルーちゃんはアイスドラゴンです。まだ子供なので、飛べないのですが、綺麗な白い鱗は冷たくて、氷系の魔法が得意のようです」
セイレーナとドラゴンの話で盛り上がりながらも、治癒は慎重に進めていった。途中でセイレーナが苦しそうに呻いたので、今日の治癒は中止した。呪いと清浄の光が、体の中で戦っている状態なのだと思う。
「辛い時は言って下さいね。治癒を急ぐと、体が拒否するので、様子を見ながら進めましょう。呪いの部分も、色が薄くなっています。何度か浄化の光を注げば、きっとよくなりますよ。頑張りましょう…クシュンッ」
夕方になって日が傾いてきた。海水で濡れたままだったため、急激に体温が下がってきた。このままでは風邪をひいてしまうだろう。癒せばいいと言っても、自分で癒やすのは少し苦手だった。
「大変、人間は冷えると病気になるのよね。そこにあるもの、着られるかしら?人間の船が遭難した時に流れ着いた木箱なのだけど……」
セイレーナの指さした岩場には、木箱がいくつか無造作に置かれていた。その中には衣装箱も含まれていた。私は箱を開けて、適当なワンピースを選んで着ることにした。この際誰のものだったかは気にしないでおく。
乾いた服を着ると、冷えた体に体温が戻ってきた。他の箱の中に毛布やランプ、火打ち石を見つけたので、今夜は寒さに震えることはないだろう。
「あとは食事ね。流石に何日も飲まず食わずでは死んでしまうわ……」
「水はこの入り江の奥に湧水があるから、それを飲んだらいいわ。食事はラピスが捕って来た貝や魚を食べているんだけど、人間も食べられるわよね?」
「多分大丈夫です。ただ魚をそのまま食べたことはないので、ちょっと自信はないですけど……」
ラピスが捕って来てくれた貝は、たき火で軽く炙って食べることが出来た。プリプリの身は新鮮でとても美味しかった。流石に魚をいきなり調理することは難しく、今夜は貝だけを食べることにした。捕ってきた魚は、セイレーナとラピスが完食していた。見た目は人に近いと思ったが、流石海に住む人魚である。




