第46話 一旦忘れましょう
クリスはこうと決めたことはやり遂げる人だ。長く一緒に過ごしていれば分かる……。いい方向に行くときは素晴らしいことだが、間違った方向に行く場合、それはとても厄介な性格だった。特に私が絡むと、その方向性は極端に厄介になる。それが我が身に降りかかることになるなら、全力で遠慮したい……
「分かりました……このことは、今は忘れます。魔力を保存できる魔石の普及は、してもいいんですよね?」
「そこはいいよ。陛下も許可している。だから今回、新婚旅行に行く許可が出たんだから。そっか、監禁は出来ないんだね……」
残念そうにこちらを見るクリスに、背筋がぞわっとした。絶対に監禁する気満々だった、そんな気がする。
「……」
「リア、僕は君が危険な目に合ったり、貶められたりするようなことになれば、この国を恨むかもしれない。白の魔法使いを仰せつかっていたとしても、僕は君の夫であることを優先するからね」
傾国の美貌で微笑まれているのに、全然ときめかないのは、クリスの発言が物騒だからだ。私を害したら、クリスはこの国を見捨てて去るか、滅ぼすか、そんなことを本気で考えていそうだ……
「クリス……脅さないでください。ちゃんと分りました」
「そう、それなら良かった。じゃあ、明日朝一に陛下に報告したら出発だから、今夜は早く休もう。あ、そうだ、隣の部屋で殺気を放っているチビも一緒に寝るといい。僕は別室で寝るから、おやすみリア」
私の額にそっとキスを落とすと、クリスは部屋を出て行った。私はそっと指先で自分の額を触った。
クリスと久しぶりに言い争った。記憶にあるのは両親を殺され兄が行方になり、クリスの屋敷に引き取られて自暴自棄になった時だ。食べることを拒否して、死にたがっていた私を、クリスはバルコニーから落とそうとした。
勿論本気ではなかったと、冷静になって後から考えれば分かることだが、あの時はクリスの冷酷な面に触れて、本当に怖かったことを覚えている。流石にその時に、監禁なんて物騒な言葉は言われなかったと思う。どちらが怖いかは判断が微妙だが……
「ルーちゃん、そこにいるの?一緒に寝ましょうか?」
隣の部屋からドラゴンの姿で出てきたルーちゃんは、心配そうに私を見上げた。クリスはルーちゃんが殺気を放っていると言っていたが、こんなに可愛いルーちゃんに限って、殺気なんて放つとは思えなかった。
『ルー、ルル』
一緒に寝ると言っているようだ。ルーちゃんは人間の姿になった時だけ、片言だが話せるようになった。ただ、ドラゴンの時は相変わらずルルッとしか言えない。言いたいことは何となく分かるので、不便を感じることはない。
「あ、そうだ、ルーちゃんは、お風呂は熱いから苦手だけど、お水なら大丈夫よね?明日からお出かけだから、水浴びしておきましょう、ね?」
ルーちゃんは少し嫌そうな顔をしたけれど、いい子で水浴びをしてくれた。ルーちゃんをベッドに運んでから、私はたっぷりとお湯を張った湯船につかって、クリスの言ったことの意味をぼんやりと考えていた。
天界樹は聖女が祈らないと瘴気を祓う結界が張れない。だから聖女である私がいる……。私はロウド王国で見た祭壇があれば、将来的に聖女はいなくてもいいのではないかと考えた。
でも、クリスは私の考えを危険視した。考え自体を否定された訳ではない、それは分かる。天界樹の、いや、私が聖女の存在意義を否定することで、聖女である私を国と国民が否定することにつながると心配したのだ。
新しい考えは、往々にして受け入れられることが難しい。だからまずは祈りを保存できる魔石を普及させ、それが定着してから、祈りの方法を変える方がいいと……
「時期尚早……、確かに私はいいと思ったほうに、すぐに進みたくなる…」
クリスからすれば、私はまだ危なっかしい子供なのかもしれない。そういう意味では、目が離せないのだろう。だからと言って、監禁すると脅すのはどうかと思うけれど……
アウレリーア国に行ったら、祭壇のことも含めてカイラ様と話し合いたいと思っていた。カイラ様なら私の気持ちを分かってくれるはずだ。ガレア帝国で命の危険を感じながらも、浄化し続けるために祈り続けた日々を、共に戦ってくれていた人だ。聖女だけが背負う祈りという責任を、誰よりも感じていた戦友だった。
「……言わない方がいいのかな……」
考えがまとまらず、同じことを何度も自問自答している内に、段々と頭がぼんやりしてきた。
「あ、これ、のぼせたの、かな……」
浴室でゆっくりしたいからと、今日に限って侍女のメリに入浴の手伝いを断ってしまっていた。自力で湯から出ようとしたが、力が入らない。そのうち湯は冷めるから、そうなればのぼせた体も冷えるかもしれない。
「風邪をひくのは困るし……、いや、そこは自分で癒やせば、いいから、大丈夫か、な……」
考えている間にますます意識がぼんやりとしてくる。このままでは湯で溺れてしまうかもしれない。倒れるにしても、湯から出てからじゃないと危険だ。最後の力を振り絞って、浴槽から体を出そうとしたところで、浴室の扉が激しく叩かれた。
「リア、いるのか⁈いたら返事を、いや、入っていいか?入るよ!」
焦ったクリスの声がしたが、声を張り上げる元気は残念ながらなかった。でも、このままでは裸を見られる。こんな明るい場所で見られるのは初めてで、気持ちは焦っているのに体に力が入らない。
バンっと扉が開いてクリスの姿が見えた。こちらに気づいたクリスが慌てて湯船から私を抱き上げた。
「やっ、いや、クリス……」
「リア、ちょっとだけ我慢して、出来るだけ見ないようにするから、というか、すでに何度か見ているし……」
サッと布で包むと、そのまま私をベッドへ運んでくれた。騒がしくしてしまったせいで、目を覚ましたルーちゃんが、私の異変に気づいて、火照った体を冷気で優しく冷やしてくれた。
「リア、水を飲んで」
口元にグラスを持ってきてくれたので、私はゆっくりと水を飲んで、ホッと息を吐いた。
「リア、大丈夫?様子を見に来たら、チビしかいなかったから探したよ。先ほどの僕の態度に腹を立てて、どこかに行ってしまったのかと焦った。どこにもいないから戻ってきたら、浴槽で水音がした。見つけられてよかった……」
濡れた髪を魔法で乾かしながら、クリスが私を優しく抱きしめた。
「ごめんなさい……クリス」
「いや、謝るのは僕だ。リアを失うのが怖くて、君の考えに賛同してあげられなかった。僕はリアの味方だ。だからリアが希望するのなら、それを叶えられるよう協力する」
「ありがとう、クリス。私もずっと考えていたの。さっきは感情だけで反論してしまったけど、クリスの言っていることは正しいと思う。今はまず、聖女が天界樹の祈りを休める日があってもいい、それを当たり前に出来ることから始めたい。時間がかかっても、祈りの方法を変更することは諦めない。だからこのことは一旦忘れて、魔石の普及を頑張ることにしたの」
「本当に?リアはそれでいいの?」
私はクリスを真っすぐ見つめて頷いた。クリスは少しホッとしたように微笑んだ。きっと私が暴走しないか心配していたのだろう。
その後、私の体調を心配したクリスが、一緒に寝ると主張して、ルーちゃんとどちらが私と寝るかでひと悶着あった。結局、私の希望でルーちゃんを真ん中にして、3人で寝ることで納得してもらった。
「新婚旅行中は、チビの寝室は別だからね。そこは、譲れないから……」
いつも読んでいただきありがとうございます。
このお話は、続編なので登場人物を忘れている方、このお話から読んでいる方もいるかと、今日プロローグの後に登場人物紹介を入れてみました。
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