第2話 新婚生活はお預けです
「え、リア。待って、どういうこと?」
「そのままの意味です。チャーリー君一人ではどこにも行けないのですから、お母様が迎えに来てくれるまで一緒にいるのがいいと思います」
「え、でも、僕たち今日結婚して、やっと、新婚生活が始まるよね」
「今はそんな気分ではないです。問題が解決するまでは、そういうことは全て拒否します。私はチャーリー君と一緒の部屋でいいですから、クリスティアン様も今までのお部屋を使って下さい」
お兄様が気の毒そうにクリスティアン様を見たけど、私としてもこのままなし崩しに新婚生活を送る気にはなれなかった。第一こんな幼い子を放り出すなんて出来ないし、色々とモヤモヤしてしまう。
「まあ、仕方ないよなクリス。君の身の潔白が証明されないと、僕としても大事な妹を君に任せられないな」
お兄様がポンポンとクリスティアン様の肩を叩いてから少し意地の悪い顔で微笑んだので、クリスティアン様は大きな溜息を一つついてからチャーリー君に向き合った。
「チャーリー君、僕は君の父親ではないと思う。でも、君の母親が見つかり証明できるまでは、責任を持って君のことを保護しよう。言っていること、分かるかな?」
チャーリー君は少し考えてからこくんと頷いた。
「おとうさま、ではないのですね…」
少し寂しそうにチャーリー君は下を向いてしまった。4歳の子供にする説明としては少し優しさに欠ける気がする。今は、クリスティアン様も混乱しているのだろう。私もそうだ。
「さあ、とりあえず今から結婚披露のパーティーだ。今はこのことは置いておいて、二人とも、今日の主役なんだからさ。楽しんでいこう」
お兄様がわざとらしく微笑んで、私たちのことを励ました。
「そうですね、とりあえず今はパーティーが優先です。クリスティアン様、後でお話ししましょうね」
微笑む私を見て、クリスティアン様が引きつった顔で頷いた。
付き合っていたのは私が11歳の時のことだ。勿論私に当時の事を責める資格はない。でももし子供がいたなら、それは今の私にとって、無関係ではなくなってくる。
先ほどまでの幸せな花嫁だった気分はすっかり消えてしまい、今は不安な気持ちでいっぱいだった。
それでもこの小さな男の子を放り出すことは出来ない。きっと一番不安なのはこの子なのだから……
その後、エイベル伯爵家で華やかな結婚披露パーティーが執り行われ、若干複雑な表情を浮かべる新郎新婦とその兄以外は、概ね満足そうにパーティー会場を後にした。
「何とか無事に乗り切れましたね。今日はもう遅いですし、明日ゆっくりと話し合いましょう。では、私はチャーリー君と一緒に寝るので、クリスティアン様はあちらへどうぞ」
「え、本当に別々に寝るの?今日は夫婦最初の夜なんだよ……」
「そんな気分になれるとお思いでしたら、随分おめでたい思考回路だと思います。疲れたのでこれで失礼します。おやすみなさい」
それだけ言って私はチャーリー君が待つ部屋に向かった。これ以上クリスティアン様の顔を見ていたら泣いてしまいそうだった。どうしようもない事実と現実、そしてこれからのことを思えば幸せな花嫁を演じることは出来なかった。
不安そうに待っていたチャーリー君に私のお気に入りの絵本を一冊読んであげた後は、私も疲労困憊でチャーリー君の隣でそのまま寝てしまったようだ。
翌朝目覚めると私付きの侍女メリが慌てた様子で、私の支度を整えてくれた。
「お嬢様、いえ、奥様。昨日何かあったのですよね。男の子を連れて帰って来た時は驚きましたが、そのまま旦那様とは別のお部屋でおやすみになったので、朝から旦那様の機嫌が……、いえ、執事長が胃痛を訴えるほど空気が重くなっておりまして、是非奥様には旦那様といっしょに朝食をと」
メリが言い難そうにそう言ったので、私は直ぐに了承した。結婚した途端に不仲説が囁かれるのは甚だ遺憾だ。気を遣う使用人たちにも申し訳なく思う。
「分かりました。でも、その前に天界樹に祈りを捧げに行きますから、チャーリー君のお世話をお願いします」
「畏まりました。そのように伝えます。ではチャーリー様、一緒にまいりましょうか」
少し不安そうなチャーリー君に大丈夫だと微笑みかけてから、私は天界樹のある神殿へ向かった。向かうと言っても、クリスティアン様がいつでもすぐに行けるようにエイベル伯爵家と神殿をゲートでつないでくれたので、行くのは神殿に通じる扉を開けるだけで、行って帰るのにはさほど時間はかからない。
「ただ、今は時間をかけて気分を落ち着けたいのよね…」
そびえ立つ天界樹に手を当てて瞳を閉じる。モヤモヤしている自分の気持ちを今は考えずに、ただじっと平和を願い祈った。
各国の聖女が天界樹に祈ることによって、世界は魔物と瘴気の危険から守られている。それがこの世界の理だ。
私たちの世界は「始まりの天界樹」を中心に4柱の天界樹が囲むように5つの国が存在している。5カ国以外にも国は存在するそうだが、ほとんど交流がないので情報が少ない。
それぞれの国で誕生した聖女が、毎朝天界樹に祈りを捧げることよって世界は浄化されるのだ。聖女は天界樹の紋様が右手に現れた女性のことを示す。聖女が祈りを放棄すれば、この世界は魔物と瘴気の脅威にさらされることになるので、聖女に拒否権はない。
少し前までは「始まりの天界樹」があるガレア帝国に聖女を花嫁として差し出していたが、いろいろあって、今は自国の天界樹に祈りを捧げることになった。
そのことを思えば、今の聖女は自由が約束されている。自由と言っても、聖女がいなくなれば困るので出来ることとできないことがある。
「天界樹から離れること、は出来ない」
遠くへ行くことは出来ないのだ。それこそ他国や天界樹の守護が及んでいない5つの国以外へ旅行に行くことなど論外であろう。
「5つの国以外の国……」
「おはようリア、5つ以外の国ってどういうこと?」
キースお兄様の声が聞こえて、私は慌てて振り返った。
「お兄様、影から急に現れないようにっていつもお願いしているでしょう?本当にびっくりするんです。やめてください」
「あはは、ごめんごめん。つい癖でさ」
お兄様は私の頭を撫でながら、私の顔を覗き込んだ。きっと昨日の件で私が落ち込んでないか心配してくれているのだろう。私はフゥッと溜息をついて微笑んだ。
「たぶん、チャーリー君はクリスティアン様の子ではありません」
「ふぅん。どうしてそう思うの?」
「実は昨日、チャーリー君と一緒に寝ていたのですが」
「え??昨日は初夜…って、まぁ、仕方ないか……」
「ゴホン、それは置いておいてください。それで一緒に寝ていたのですが、夜中にチャーリー君が悪夢にうなされていて、目が覚めたのです。そうしたら……」




