第29話 聖女の帰還
アイスドラゴンが来るまでに、私たちは予定していた苗木を全て植え、祈りを捧げ終えた。同時に、ロウド王国に根付く若木にも祈りを捧げて回った。ロウド王国内にある若木の根元には、何処に行っても小さな祭壇が設置されていた。
「あの、アレン様、この祭壇はもしかして?」
「ああ、これも100年前にいた神官が教えてくれたもので、今は習慣のようになって続いている。聖女のいないこの国では、小さな祈りが天界樹の成長に必要なのだそうだ。ここに住む者は老若男女問わず、普段から当たり前の様に、この祭壇に感謝の祈りを捧げているぞ」
聖女はいなくても、天界樹の守護に感謝する皆の祈りは、この樹に影響を与える何かになるようだ。タランターレ国には存在しない信仰のようなものが、この小さな若木に浄化の結界を張らせているのだとしたら、五カ国にある天界樹に、皆が祈ることでもそれは可能なのかもしれない。
タランターレ国にも神殿はあるが、そこは天界樹の管理が主な仕事で、祈りを捧げるのは聖女の仕事だ。聖女が一人いれば浄化に支障はない。支障がないから、聖女一人にその使命を背負わせる。これが今の現実だ。
それ以外に方法があるなんて、誰も考えもしない。そうやってはるか昔から、天界樹の守護印の現れた少女を聖女とし、その者だけに祈りを捧げさせてきた。
人は知ろうとしなければ、他の方法を探さない。聖女一人が祈り、それで困ることがないから、その方法を唯一無二だと決めてしまったのかもしれない。
もし本当にロウド王国の方法で、天界樹が浄化の結界を維持できるなら、それこそが本来あるべき姿なのかもしれない。
そしてこの方法が上手くいけば、これから現れる聖女に、一人で祈りを捧げるという使命を背負わせる必要がなくなるのではないだろうか?
どうしてそう思ったのかは分からない。でも、考えれば考えるほど、これが正解な気がして、落ち着かない気持ちになった。
私は自分の考えを誰かに話したくて、護衛役として一緒に同行してくれていたキャロライン様に、思いついたことを聞いてもらった。
「タランターレ国の天界樹だって、皆に感謝された方がいいと思うのです。守っているのはそこに住む人々なのだから。私の本来の役目は、その人々の代表だったのかもしれない……。よく分かりませんが、何故かそう思うんです」
黙って私の話を聞いてくれていたキャロライン様は、私を励ますように頷いてくれた。
「不思議ね。私もこの祭壇に祈る人たちを見ていたら、これが本来の祈りのような気がしていたの。聖女だけが天界樹に祈ればいいなんて、少し無責任な感じがするわよね。そういう私も、ここに来てこの光景を見るまで、聖女が祈ること以外の方法があるかなんて考えていなかったのよ。これも一種の天啓かもしれないわね」
神様が人々のために天界樹を授けてくれたのなら、その祈りを聖女にだけ背負わすようなことはしない。きっとガレア帝国の時の様に、長い歴史の中で誰かの都合でそうなったのかもしれない。
「天啓……、そうだったらいいですね。このことは帰国したら、クリスに話してみますね」
「そうね、私はここで頑張るから、オーレリア様はタランターレ国をお願いしますね。離れても、私の大切な故郷ですから」
「はい、私もキャロライン様とチャーリー君のこと、応援しています。何かあれば、駆け付けますからね」
「私も応援しているわ。もう小娘なんて呼べないわね。聖女オーレリア様の前途に幸あらんことを、ロウド王国より祈っています」
私たちはお互いに励まし合い、抱きしめあった。
私が清浄の祈りを捧げている間に、隊長のユリウス様が陛下に事の次第を説明した伝書蝶を送り、返事が来たのが帰国予定の前日ギリギリだった。アイスドラゴンとその子供を国内に入れることに難色を示す者はかなり多く、連日会議が続いたそうだ。
真っ先に反対したのは、何とクリスだったそうだ。結局、陛下がクリスに、子供のドラゴンと一緒でないとオーレリアは戻らないと言っていると脅しをかけ、渋々クリスが賛成に回ったそうだ。
それをきっかけに今度は、私に少しでも早く戻ってきて欲しいクリスが、反対している者を脅す構図になり、こちらも渋々ながら賛成をもぎ取り、結果的には賛成多数で許可が下りたそうだ。
「兎に角、過程はどうであれ、無事に陛下より子供のドラゴンは聖女の友人として、タランターレ国の滞在許可が下りました。ただ、アイスドラゴンの王都への飛来は、流石に民が混乱するので許可出来ないそうで、辺境伯領へ飛来許可が出ました。そこまでは白の魔法使いであるクリスティアン様が迎えに来るそうです。その後クリスティアン様が転移魔法で王都へ戻れば、期日には間に合うそうです。まあ、ここが譲歩のギリギリラインだそうです」
ユリウス様が説明してくれた内容を聞いて、私はクリスがかなり強硬に賛成をもぎ取ったことが、容易に想像できてしまった。本当に困った旦那様である。
「十分です。いろいろと手配していただき、ありがとうございました」
「いえ、私に出来ることはここまでです。白の魔法使いのクリスティアン様にも心労をお掛けしていますし、アイスドラゴンには私も同乗させていただきたいのですが、可能でしょうか?責任を持って聖女オーレリア様を国まで護衛させて下さい」
アイスドラゴンは、自分が認めた者しか背には乗せないと言っていた。ユリウス様が認めてもらえるかは、アイスドラゴン次第だ。
そして、すべての行程を終える頃、アイスドラゴンが約束通り迎えに来た。
今回は、獣化禁止を周知徹底したため、大きな混乱はなかった。アレン様が少し複雑そうな顔をしていたのは、気づかないフリをしておいた。
「それでは皆様、お元気で。何かあれば、連絡してください」
「聖女オーレリア様、大変お世話になりました。今後も両国のよりよい関係を希望します」
アレン様のお父様、つまり現ロウド王国国王が、私の額に自分の額を合わせた。これは獣人の親愛の挨拶なのだそうで、初めてこれをされた時は驚いてしまった。ロウド王国中を回った私は、至る所で感謝され、その度にこうして額を合わせることがあったので、今では緊張せずに挨拶が出来るようになっていた。
ロウド王国国王は、アレン様の雰囲気に似ているが髪は銀色ではなく黒色で、獣化すると大きな黒ヒョウになるそうだ。強面だが、孫のチャーリー君を溺愛する優しいお祖父さんでもある。
今はアイスドラゴンがいるので、獣化は厳禁だ。その事を知れたことも、国王は感謝してくれていた。今後獣人が間違えて食べられることがないことを、祈るばかりだ。
皆さんに見送られる中、私たちはアイスドラゴンの背に乗り出発した。同行してきた魔法騎士団9名は、アレン様が国境まで送ってくれるそうだ。そしてアイスドラゴンの背に乗ることを拒否されてしまったユリウス様は、現在アイスドラゴンの手に捕まれて、空を運ばれている。
『これが妥協案だ。嫌なら連れて行かん』
空は寒いので外套を二重に着込み、休息を取る度にだんだんと遠い目になるユリウス様を励ましながら、半日かけて私たちは待ち合わせの辺境伯領の端の丘まで帰って来た。




