第11話 少しだけ待っていてください
大好きなクリスティアン様。
両親が殺され、お兄様が失踪した後、後見人として私を育ててくれた大切な人。12歳になってからは、白の魔法使いの弟子として彼の手伝いをして、ダメダメなクリスティアン様の一面にも触れてきた。
勿論、今は男性として、ちゃんと愛していると言える。でも、どこかで戸惑っている自分がいるのも事実だ。
今まで大切にしていた場所が、人たちが婚姻したことによって変化していく。それが当然のはずなのに、私の気持ちがまだ追いつかないのだ。
このまま周りの期待に応えて、クリスティアン様と本当の意味で夫婦になろう。結婚式の当日、私は確かに覚悟をしていた。それが予期せぬチャーリー君の登場で流れてしまった。
一度した覚悟は、脆く崩れ去ってしまった。それから今日まで、チャーリー君を言い訳にして私はその事から逃げていたのだ。
「リア、謝らないで。僕はリアと夫婦になれて嬉しいんだ。少しぐらい待てるさ。健気に待っている僕に、君へのキスは許してくれるかい?」
私は、クリスティアン様の綺麗な紫の瞳を見つめてから頷いた。クリスティアン様の美しい顔がそっと近づいてくる。キスは何度もしているけれど、いつもこの瞬間は緊張してしまう。綺麗な顔は心臓に悪い……
優しいキスの熱は、すぐに離れていった。
「愛しているよ、リア」
名残惜しそうに耳元で囁かれた言葉の破壊力に、思わず力が抜けて膝から崩れかけた私は、機嫌を良くしたクリスティアン様に横抱きにされてベッドまで運ばれてしまった……
「おやすみ、リア。僕は湯を浴びてくるから、先に休んでいいからね」
丁寧に布団を掛けられ、額にそっとキスを落としてから、クリスティアン様は部屋を出ていった。
私は布団に顔を埋めて、ドキドキした心臓を必死に落ち着けた。キスだけでこんなにドキドキしている私に、夫婦としての行為に耐えられる心臓が備わっているのか、それが心配だった。
「幼い頃は一緒に寝ていても平気だったのに、どうして今はこんなにドキドキするの。キス以上のこと…肌を見せるなんて、そんなの無理……恥ずかしすぎる……」
私は結婚準備を行うのと並行して、淑女教育で省かれていた閨の教育も受けていた。あの授業の後から、クリスティアン様の姿を見る度に、閨を意識してしまうようになってしまった。
兄や父の様に信頼していた男性を、異性として意識してしまい避けてしまう私の気持ちの変化を、クリスティアン様は気づいていたのだと思う。だから待つと言ってくれた……
「もう少しだけ、待っていてくださいね……」
暖かい布団にくるまって、疲れがピークを迎えた私はそのまま眠気に負けて瞳を閉じた。だから浴室から戻ったクリスティアン様が、少しだけ残念そうにしていた事には気がつかなかった。
「リア、こんな無防備な寝顔を見せて、僕の忍耐力を試しているんだね。……早く、僕のものにしたい。いや、我慢できる。僕は大人だから……」
眩しい光に意識が浮上した。隣に体温を感じて振り向けば、私の隣に寄り添うように眠るクリスティアン様の寝顔があった。私はそっとクリスティアン様の胸元に頬を寄せた。
幼い頃、悪夢にうなされると、クリスティアン様が一緒に眠ってくれていた。私はこうしてクリスティアン様の胸に耳を当て、穏やかな心音を聞くのが好きだった。
「…ん?少し心音が速い?」
記憶にある穏やかな心音が、今は少し早い心音を打っているように感じた。確かめるため、胸元にぴったりと耳を当てたところで、頭上でふふっと笑う声が聞こえた。慌ててクリスティアン様の顔を見たら、ばっちり目が合った。
「ごめん、くすぐったくて。おはよう、リア」
「……おはようございます、クリスティアン様。いつから起きていたのですか?」
「少し前からかな?リアが起きそうになったから、思わず寝たふりをしたら、僕の胸に頬を寄せるなんて可愛いことをしてきたから、ご褒美かと思って寝たふりを続けてしまったよ」
少し悪戯っぽく微笑むクリスティアン様に、私は自分のしたことを振り返って真っ赤になった。
「ち、小さい頃の癖で、深い意味はないです!」
「そうか、小さい君も可愛かったね。今のリアは、可愛すぎて僕には少し刺激が強い。僕の理性を試すなんて、リアはいけない子だね」
クリスティアン様はにやりと微笑んで、私の頬にキスをしてからベッドを降りた。私は不意打ちのキスに固まったまま、部屋を出ていくクリスティアン様を見送った。
まさか出ていったクリスティアン様が、先ほどの行為を反芻して、部屋を出ていった直後に悶えているとは知る由もなかった。
「ぐぅぅ、可愛すぎる、リア。もう少し長引いていたら、危なかった。待つと言った自分を殴りたい。いや、ここで強引に行けば、リアの心は僕から離れるかもしれない。ここは我慢一択だ……。今は目の前の問題を早く片付けて、それからゆっくりリアの心を、そうだ、切り替えて、冷静に……」
廊下をブツブツ言いながら歩いていくクリスティアン様を、多くの使用人が不審な目で見送ったそうで、朝の支度をしにきた侍女のメリに、何かあったのか聞かれてしまった。よく分からない私は、笑って誤魔化した。
「それでね、メリ。今夜からは普通の夜着でお願いね。この格好はまだ早いみたい……」
「そうですか。では、今夜からは普段通りでいきましょう。旦那様もそのように指示されていました」
「そう、クリスティアン様が……」
「夫婦それぞれ、ペースがあります。あまり気になさらないで大丈夫ですよ」
朝の支度に来たメリには、昨晩何も無かったことは言わなくても分かっているのだろう。使用人一同の総意は、もう少し長い目で見守ってもらうことにした。
「奥様、旦那様は先ほど王宮からの要請で出られました。朝食はどうされますか?お部屋でもいいですし、食堂でも可能です。先ほどチャーリー様とキャロライン様は、食堂で召し上がると連絡が入りました」
「そう、じゃあ私も食堂へ向かうわ。食事の後に天界樹へ向かうので、準備をお願いね」
「畏まりました。ではそのように料理長に伝えます」
その後向かった食堂で、初夜祝いだと言わんばかりの豪華な朝食が出され、何も知らずに喜ぶチャーリー君と、何とも言えない空気の私とキャロライン様が、笑顔を張り付けたまま黙々と食事をすることになった。
「すごい、こんなにごうかなのは、はじめてです。なにかいいことがあったのですか?」
「そうね……」
「……美味しそう、さぁ、チャーリー君、沢山食べようね」
「はい」
この場にクリスティアン様がいなくて良かった。そう思ったのは秘密だ。
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