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第10話 愛される覚悟

「リア?」

 心配そうな声で、クリスティアン様が私の顔を覗き込んだ。私は焦ってその瞳から逃げるように背を向けた。

「あの、私はチャーリー君と……」

 チャーリー君と寝るので先に行くと告げようとして、ハッと気がついた。今日からはキャロライン様も滞在するので、チャーリー君の寝室はキャロライン様の客室に移ったのだ。

「リア、今日からは夫婦の寝室を使って欲しい」

 落ち着いた声でクリスティアン様が言ったので、余計に私は取り乱した。

「あ、あの、それは、……はい、そのように、します」

 チャーリー君を言い訳にして、先送りにしていた問題が急に現実的になり、私はドキドキしながら返事をした。もしかしたらうやむやになってしまった初夜を、今夜迎えるということになるのだろうか……

「そ、それではお先に失礼します。キャロライン様もおやすみなさい」

「ええ、色々とお世話になり、本当に感謝しています。おやすみなさい」

 居たたまれない気持ちのまま、私は足早にその場を辞した。


 頭が混乱したまま部屋に戻ると、侍女のメリがニコニコとした笑顔で私を浴室に連れ込んだ。

「え、あの、メリ、待って。私、疲れているから、今夜はもう入浴せずに早く寝ようかなって……」

「まあ、奥様。今夜からは旦那様と同じ寝室を使われるのですよ。待ちに待った初夜ですよ。入浴してお待ちにならないと、旦那様の機嫌が、いえ、執事長の胃炎をこれ以上悪化させないであげてくださいませ」

「執事長……」

「最近は、胃痛で薬が手放せないそうですわ。どうぞ、今夜は旦那様を寝室でお待ちしてください」

「分かった。執事長は私が癒すから、それでいい……」

「いいえ、そういう問題ではございません。旦那様の機嫌一つで、執事長の仕事も私たちの仕事も変化します。お嬢様、いえ、奥様には是非今夜旦那様と仲良くお休みいただきたいのです。これは使用人一同の総意ですわ」

「総意……」

 総意とまで言われては、入浴を拒否することは出来なかった。いつもより入念に磨き上げられ、バラの香油と花びらの入った浴槽につかった。いい香りにほっこりしていたのも束の間、メリから着せられた夜着に、一気に現実に引き戻された。

「……ねぇ、本当にこんな格好でクリスティアン様を待つの?」

 メリが嬉々として私に着せたのは、いつもの夜着の半分の面積しかない、しかもそのほとんどの部分が透けて見えそうな布に、可愛らしいフリルが付いている夜着だった。

 中心にあるリボン数か所で辛うじてとめられているだけの、如何にも誘っていますと言うような夜着で夫婦の寝室に入るということは、つまりそういうことを期待していると言っているようなものだ。

「流石にこれは、やり過ぎではないかしら……」

「いいえ、こういうことにやり過ぎということはございません。何と言いましても、今夜は待望の初夜でございます。このくらい演出しても、まだ足りないくらいですよ」

「このくらい、ね……」

 私は若干引いた目で室内を見回した。夫婦の寝室の中心に鎮座するベッドの上には、バラの花びらが装飾され、部屋全体は雰囲気を演出した間接照明で照らされている。サイドテーブルには、ご丁寧にお酒まで用意されていた。どう見ても気合が入っている、主に使用人一同の……

「あの、メリ、やっぱり、せめてこの夜着だけは、着替えさせて欲しいの。恥ずかしくて、無理…」

 諦めきれず、メリに懇願しようとしたその時、クリスティアン様側の部屋の扉がノックされた。思わずびくりと体を揺らしてしまった。

「まあ、もういらっしゃいましたのね。間に合って良かったですわ。では、奥様、頑張ってくださいませ」

 メリはいい笑顔を残して、クリスティアン様が入って来る場所とは反対側の扉から素早く出ていった。残された私は、仕方がなく返事をした。もうどうにでもなれだ……

「はい、どうぞ……」

「よかった、まだ起きていた……」

 クリスティアン様は扉を開けて入室し、半ば諦めの心境で立っていた私を見て固まった。お互い見つめ合ったまま沈黙すること数刻。その後、ギギギと音がしそうなぐらいぎこちない動作で、クリスティアン様が私を上から下まで見た後、見る見るうちに真っ赤になった。

「リ、リア、な、なんて格好で、…そ、そうだ、風邪をひいてしまうと困る、毛布をかぶって……」

 クリスティアン様は慌ててベッドに近寄り、勢いよく寝具を引っ張り出したので、上に乗っていたバラの花びらがばらばらと床に落ちた。私が落ちた花びらを見つめている間に、クリスティアン様は素早く私に毛布を巻き付けた。

「ふう、これでいい」

 満足そうに頷いたクリスティアン様は、私をベッドの端に座らせた。毛布でぐるぐる巻きの状態なので、使用人が期待したような雰囲気では最早ない……

「あの、クリスティアン様?」

「ああ、何だい、リア」

「今夜は初夜で……」

「ぐふっっ」

 変な声で呻いたクリスティアン様が、ダラダラと額に汗を浮かべながら微笑んだ。ちょっとだけ怖い……

「今、リアから変な言葉が、いや、変ではない、変ではないけれど……、今は我慢だ、我慢だ……」

 クリスティアン様が私には聞こえない音量で、何やらブツブツ言っているようだ。

「あの、何でしょうか?」

「あ、いや、気にしなくていい。リア、どうしてこんな格好を、いや、確かに夫婦の寝室にいるのだから、間違いではない。でもリアが自らこんな姿にはならないはず、誰の差し金だい?」

「……屋敷の皆様の総意、でしょうか?夫婦になりましたが、いろいろあって延期になっていたので、きっと屋敷の皆が心配していたのではないでしょうか?」

「屋敷の、そうか、それはそうかもしれないが、僕はもう少し待っていようと思っているんだ」

「待つ、とは?」

「リアは16歳になったばかりだろう。僕はリアと一緒に寝たいし、側にいて温もりを感じていたい。それで今夜から一緒の寝室にしたけど、夫婦としての行為はもう少し待とうと思う」

「どうしてですか?」

「リアの覚悟が出来るまで、待つほうがいいと思って」

 クリスティアン様の言葉に、私はドキリとした。覚悟が出来ていないことを気づかれていたなんて……

「あの、…それは……」

「分かっているよ。僕のことが嫌いとか、そういうことではないって。リアはまだ成人になったばかりだ。僕の我儘で、16歳で花嫁になったけれど、花嫁になったからといって、すぐに覚悟が出来るかは人それぞれだ。リアはまだ怖がっているよね?」

「……ごめんなさい」


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