第2話『裸のランチ』
幸福とは、セロトニン、ドーパミン、オキシトシン、エンドルフィン、その他神経伝達物質の脳内カクテルだ
それを人は神や愛、セックス、正義、自由、平等、金、平和、希望、芸術、ドラッグ、一般意志、魔力などと呼ぶ
異世界ぶらぶらドライブの物語をさきへ進めるまえに、ここでオレの簡単なプロフィールを話しておこう。
オレの名前は田中生死。35歳。もとの世界では地方のブラック企業勤務。年収300万。金無し、コネ無し、学歴無し。恋人も10年いない、ついでに頭頂部から額にかけての頭髪も無い。どこにでもいるハゲあたまの、ちょっぴりチンポの皮があまったおじさんだ。
異世界へ来るまえにつとめていたのは絵に描いたようなブラック企業だった。
しかしブラック企業にはブラック企業なりのメリットもある。
会社自体が違法行為をくり返してるから、オレが多少の犯罪を犯しても見て見ぬふりをしてくれるし、もっと重大な労働基準法違反を隠すためにかくまってくれる。その他にも不倫やセク&パワハラ、小さな脱税、横領、窃盗などが跋扈し、コンプラとモラルが崩壊したわが社では、社員全員がいつでも犯罪者にジョブ・チェンジできるステータスの持ちぬしだったので、公的機関への密告だけは禁忌となっていた。
だから目玉がまっ赤でもロレツがまわらなくても誰も気にしない(さすがに電話応対の時はわざと後ろからドン、とぶつかられたりはするが)。
みんなストレスで人間関係が最悪だからおたがい誰も何も会話しないし、目のまえに白目をむいて口から泡をふいて痙攣したやつがいても放っておいてくれる(ひょっとしたら「そのまま死ね!」ぐらいは思っているかもしれない。おたがいに)。
だから大麻の吸いガラや使用済みのLSDのシート、焦げたアルミホイルやカラフルな錠剤なんかが、勝手に開けた他人の机の引きだしの中から見つかっても、誰も何も言ったりしないってわけ。
そんなチンケな薬物中毒社会人のオレにも自慢できることがあって、それは田中家が武士の家系だということだ。
カタナ、ハラキリ、カミカゼ・アタック。漫画やアニメ、映画なんかでも有名な、日本が世界にほこるサムライの末裔であることを誇りに思う。
まあ正確には武士は武士でも、資産なんかなーんも残ってない没落武士の家系なのではあるけども。
田中家のご先祖さまたちは酩酊しながら歴史のアップ・ダウンを千鳥足でぶらついて、地方の村の庄屋として大金持ちになった幕末あたりに大枚をはたいて武士の身分を買い取った。
いっときは村周辺の山々はすべて田中家が所有していたというから豪勢な話だ。
今でも村には苗字が田中の遠い遠い親戚が多く、広大な田んぼや国道のむこうから、カエルやコオロギや小鳥の鳴き声と一緒に、本家の陰口をささやく囀りが聞こえてくる。
田中家の没落がはじまったのはひいじいさんの田中ちょんまげ丸の時。
一度も働いたことのない士族ニートのちょんまげ丸は、道楽ついでに村の議員になって田中家のありったけの金を無差別にバラまいた。
金持ちのバカ息子にゴマをすってお追従笑いをするだけで、土地や絵画刀剣その他金目のものがかんたんにゲットできるボーナス・ステージだということで、当時は山師じみた起業家や、あやしげな骨董屋なんかがよく田中家に出入りしていたらしい。
身ぐるみをはがされたちょんまげ丸は地獄に堕ち、人間のカタチをしたシロアリどもに食いあらされて、ついに田中家は土台から崩壊することになったのであった。
オレが高校三年生の頃に失踪した父親は真夜中に泥酔して帰宅したあと、台所のシンクで小便をたれながら(そんなとき母親は怪鳥音を発し、うしろから父親に飛びかかってマットをびしょ濡れにした)、よくこの悲しい田中家ヒストリーを話してくれたものだ(そんな風に元気に発狂していた母も数年まえに癌で死んでしまった。なつかしいメモリー)。
大企業につとめているのにもかかわらずアル中で、二度も上司をぶん殴り日本各地の左遷巡礼をくり返していた父親にとって、田中家が武士の家系であるというのは唯一の心のささえだったのかもしれない。
父親は行方不明になる直前、とうとう気が狂ったのかチョンマゲ頭になって(まあすでに頭頂部はハゲていたから、チョンマゲにもしやすかったのだろう)、ふんどし一丁で住宅街を疾走しながら夜のむこう側へと消えていった。
そしてそろそろ、今度はオレが人間界からオサラバする番だった。
と、いってもべつに、死ぬわけじゃない。
高校の時の同級生の佐藤外骨と(父親がいなくなったときなぐさめてくれたね、ハンバーガーを頬張ってゲップしながら)異世界に行けるなら行ってみようってわけ。
まあ、んなもん本気じゃない。
たしかに少し薬でアタマをやられているけど、そんなこと本当に考えるほどまだキチガイじゃない。
『異世界トンネル』というネットのウワサに乗じた薬物中毒者のふまじめな冗談、ドロップ・アウトしたバカな不良社会人(そして出来立てホヤホヤの無職)の悪ふざけだったわけだけど、
まさか本当に異世界に来てしまうとは。
別の世界からはるばるやって来たオレは、この異世界で武士に、いや、勇者になれるかもしれない。
こんなバカなオレでも、今度こそオレの代で田中家の汚名を挽回し、名誉返上できるかもしれない。
そうだ。
オレはこの異世界で勇者になるんだ。
なんか凄いパワーみたいのを神さまとかからもらって、勇者になる。伝説の武器とか、そんなの。
勇者になって、有名人になって、金持ちになって、えーと、うーんと。なんだろ。とりあえず異世界のドラッグをキメまくる。それから糞して。ちょっとシコって。えーと……なんだろ。なんだろな。
ハハハ
今は思いつかないけど、なんか色々やるつもりだ。
冒険とか?
きっと色々やる。
なんか楽しいことやるはずだけどなあ。
異世界なんだし。たぶん。
オレは勇者ってことなんじゃねえの?
よし、色々がんばるぞ。
今度こそ、がんばるぞ。
オレは勇者だ。
「オレは勇者だぞー!」
うるせえぞハゲ! 毛むくじゃらのゴリラみたいな半裸のオッサンにどなられて、ガチン、と、両手でにぎりしめた牢屋の鉄格子を棍棒でぶったたかれる。
おどろいたオレはひっくり返ってしまった。
手足にクサリでつながれた枷をはめられているので、うまく受け身がとれずにうめき声をあげる。
見上げると、佐藤もオレと同じく色あせたオレンジ色のそまつなズボンだけはかされて、よごれた太鼓腹をつきだし、地面にあおむけになっていた。
男どものきついニオイが充満した大きな奴隷部屋のすみから、いく人かの失笑がもれてくる。
どうしてこうなった?
「おい。佐藤。佐藤!」
糞デブらしく、無呼吸状態だったらしい。声をかけると息をふき返したみたいに赤くなった目を見開いて、半開きの口からヨダレをたらしながら小きざみにうなずいた。
「ウー、ウー。アー、アー」
「なんだよ、何かキメてんの? オレにもくれよ」
「ゴホッ、ゴホッ。な、なにも持ってねえよ。チクショウ。薬は全部あいつらに取りあげられちゃったぢゃねえの」
佐藤が目を細めたさきで、牢屋の向こうのラリゴ盗賊の看守たちが大きな屁をこきながら酒盛りをしていた。もりあがった看守たちは腹踊りをしたりお尻をだしたりして、見たくもないおぞましい体毛をおたがいに見せびらかしている。
あの酒だ。色んな薬とチャンポンしながら、あの糞まずい酒をたくさん、親切なみにくい毛むくじゃらの男たちにふるまわれて、目がさめたら牢屋に入れられていたのだった。肩パンチとケツ棍棒を何発かオレたちに食らわせたあと、態度を一転させた男たちの中の一番体が大きくて毛の濃いオッサンが、ラリゴ盗賊の親分スゴラノビタだと名のった。
カビくさい土壁の地下には窓が無いが、蝋燭のあかりでおぼろげながらようすがうかがえる。盗賊たちが酒盛りしているあたりには盗んできたものなのか、宝石や金銀の装飾品、絵画や彫刻など価値のありそうなものがいいかげんに放りだしてあった。
牢屋はいくつかあるらしく、はなれたところに独房があって、青い糞みたいなスライムの大群を車ではね飛ばした時に見た、金髪碧眼のメイド服姿の少女が閉じこめられていた(しかし囚われているのにもかかわらず、まだ頭に猫耳をつけている。本当に日本人がアニメのコスプレしてるみたいな顔立ちをしているな)。
奴隷のオレたちとちがってちゃんとした食事が出されているようだけど、女の子は食べ物にほとんど手をつけることなく、夜中なんかにはふるえたすすり泣きが聞こえて、こっちまで異世界の悲しい夢を見てる気分になる。
悪夢だ。
「あのさあ、こんなことあるか? 異世界に来たら、勇者とかになれるんじゃねえの? 最悪だよ」
「最悪。せめて風呂わみんなと別にして欲しい、俺パイパンにしてるから恥ずかしいんだよな」
「ところでオレたち、なんで異世界のやつらがしゃべってることを理解できるんだ? こっちの日本語も普通に通じてるし」
「ナア田中。俺みたいな薬中に、そんなむずかしいことが分かるワケないぢゃないの」
「まあ、それは、そうだけどさあ」
この、ハゲー!
また棍棒で鉄格子をなぐられる。
どうしてこうなった?
オレたちは勇者になるどころか、
異世界に来て速攻で奴隷になってしまった。
目を閉じて、何度も寝がえりをうちながら考える。
おっぱい、おっぱい、おっぱい、おっぱい、おっぱい、……(と、心の苦しみをやわらげてくれる魔法の呪文を、オレはヨガのマントラのようにひたすら唱えつづけるのであった……)
第三話『限りなく透明に近いブルー』こうご期待!