5.一年前の十月、初対面のこと
桐谷の絵を見て以来、わたしはたびたび桐谷に初めて会った日のことを思い出すようになった。
あれはちょうど一年前の十月のことだった。その日はオーナーが社用車を運転してくれて、わたしは助手席に座っていた。次からは財前さん一人でここに通うことになるからよく道を覚えておいて、と言われて。
とはいえ、オーナーの言葉に従いつつも、わたしは窓越しの移り変わる景色を無邪気に眺めていた。やがてビルの数が減り、緑地が増え――畑が、田んぼが、川が、山が見つかるたびにわたしはいちいち声をあげて喜んでいた。
「財前さんってやっぱりちょっと変わってるよね」
オーナーの他意のなさそうな独り言は、わたしの耳を右から左へと流れていっただけだった。
高速を降りるや、わたしはオーナーに断りを入れて窓を全開にした。
普段暮らす土地と同じ空気のはずなのに、匂いも味も感触も、何もかもが違っていて、そんな些細で当たり前の変化にわたしは一層嬉しくなった。窒素と酸素の濃度が違うのだろうか。不純物が少ないのだろうか。ああ、そうか。自然のあるところにはきっと神様がいるんだ。神様がいるからこんなに空気が違うんだ。そんなことを思いつくままに口にしていたら、「財前さんてメルヘンチックなんだね」とオーナーに言われてしまった。
初めて訪れたこの土地はすでに秋の中盤にさしかかっていた。
桐谷の住む別荘は随分山奥にあり、しかもかなり年季が入っていて、一目見た瞬間、期待が最高潮に達したことを覚えている。
こういう場所を自ら選んで住み着き芸術活動に勤しむなんて、誰にでもできることではない。利便さや物質的な豊かさよりも大事なものがあることを知っている人間は少ないし、自ら不便な生活を選ぶ勇気もそうそうない。
車を降りるや、踏みしめた枯れ葉の心地よさ、さくりとした感触も覚えている。
初対面の桐谷は今とまったく変わらなかった。つまりは女であれば誰でも心惹かれる類の容姿と雰囲気を有していて、しかもそれを意識することなくふるまえる稀有な男だった。オーナーのみならず誰からも変わり者扱いされるわたしですら、桐谷のことを素直に美しい人だと認めたほどだ。
だがその時のわたしはとにかく感動していて、美貌の男に緊張するどころか、興奮のままに接してしまったのだった。
「このたび先生の担当をすることになりました財前風香と申します。先生の活動を全力でサポートさせていただきますのでどうぞよろしくお願いします」
「ああ、うん」
あの時の桐谷はややあっけにとられていた……そうだ。だがわたしは帰りの車でオーナーに指摘されるまでそのことに全然気づかなかった。物静かな人なんだな、もしかしたら人見知りなのかも、と見当違いのことを考えつつ無遠慮に言葉を重ねていっただけだった。
「先生は風景画を描く方だと聞いていますがここは本当に素敵な場所ですね」
「そう言ってもらえてうれしいよ」
「ここまでの道中でもずっと感動していたんです。どこもかしこも彩りにあふれていて目にも眩しいほどでした。春夏秋冬、きっとどの季節でもここには素晴らしい光景が広がっているんでしょうね」
「はは。大げさだな」
この時の桐谷は苦笑していたはずだ。反してわたしは一層熱を込めて語っていった。
「大げさだなんてとんでもないです。でもきっと秋は特別なんでしょうね」
「特別? 秋が?」
「はい。秋はすべての色が散りばめられる特別な季節なのかもしれないなって、そんなことを考えながらここまで来ました」
オーナーにはこの時のことで今でもちょくちょくからかわれる。ここまでメルヘンチックな人だとは思わなかった、と。
わたしも我ながら呆れる。どうして初対面の人に、しかも担当画家にあんなことを言ってしまったのかと。芸術の素人であり人生の後輩でもあるわたしなんかが。
だが一番覚えていることは――。
「いいや。ここにはすべての色なんて存在しないよ」
そう断言した桐谷の表情だった。
ニュートラルな態度を一変させた桐谷は、このとき強い怒りをわたしに示したのである。
芸術家に対して芸術の源、命ともいえる色について講釈する形になってしまった――その失態に気づき謝罪のために口をひらきかけたわたしに、それよりも早く桐谷が強い口調で重ねて言った。
「ここには紅はない」
その言い方はまるで紅という色を憎んでいるかのようだった。
数ある色の中でも、紅、ただ一つを。
「でも紅葉もそうですし、カラスウリも、りんごも。夕暮れだって」
とっさに反論しかけたものの、
「ここには紅はない。今の僕には紅が不要だからだ」
あまりに強い否定に、当時のわたしは二の句を告ぐことができなかった。
*
今日は神経が過敏になっていただけだと思う。いつもは違うんだ。オーナーが帰りの車中で何度もそう繰り返し、わたしはその慰めを信じたかったから丸ごと信じた。
桐谷さんは……そう、少し頑固なところがあるんだ。色覚に異常があるわけではないのにここ数年は暗い色ばかり使った絵を描くんだ。そうやってオーナーが嘆息まじりに説明する一つ一つを、わたしは一言一句鵜呑みにした。ああ、桐谷という画家は芸術家気質が強く明るい色が嫌いなのだな、と。
それでも、翌月のたった独りでの別荘への訪問では、わたしは内心怯えていた。またあの日のような態度を示されたらどうしよう、と。いつものごとく仕事を辞めてしまうのも手だが、わたしはできれば辞めたくなかった。給与面でも、待遇面でも。
だが出迎えてくれた桐谷はひと月前の激昂を忘れていた。いや、忘れたふりをしてくれたのだろう。この推察は半年もすれば確信に変わった。桐谷とはそういう人物だったのである。自分の中に芽吹いた曖昧な感情にようやく名前を付けることができたのもこの頃だ。ああ、わたしは桐谷のことが好きなんだな、と。初めて会った瞬間に一目ぼれしていたのだ。そして「ここにはすべての色なんてない」と吐き捨てた直後の桐谷の吐息に胸を高鳴らせ、「ここには紅はない」と憎しみを込めて見つめられた瞬間に心を打ち抜かれてしまっていたのだった。
これが恋というものだと自覚するまでに、実に半年もかかってしまったのである。
初対面から今に至るまで、桐谷は常に一線を引いてわたしと接する。時を重ねるごとに緩やかに親しみを示してくれるようにはなったが、それはあくまでビジネス上のものだ。だがそれでいいと思っていた。わたしのような変わり者に恋はふさわしくないから。
それでも――あの日桐谷の絵を見て以来、わたしは毎夜祈り、願いながら眠るようになった。いつまでもそばにいさせてください、と。あなたのために誠心誠意尽くしますから――と。
*