儚き胎動
いや、正直すまんかった
彼がクロエ・ソピエージュとして覚醒したのは月明かりもなく虫も鳴かない真夜中の事だった。
光も射し込まないクローゼットの中で最初に自覚したのは我が身に染み行く嗅ぎ慣れた生暖かい液体の臭いと耳に焼け付く虫の息の女の吐息。
「声を出してはダメ。隠れるのよクロエ」
そういって女はクロエをクローゼットへと隠し、抵抗して斬られたのだ。
そして今はその下手人に身体を蹴りつけられ、わずかながらに残っていた命が急速に喪われていくのをクロエは目にした。
そして今。
胎動する。
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「クソがっ。どこにもいねぇじゃねえか」
男は苛立っていた。
何にと言われれば目の前で虫の息の女にだ。
始まりは教会への密告だった。
とある侯爵家に白髪の子供が秘匿されて育てられていたと言う話。
それをもたらしたのは現侯爵の弟だったか?
男の上司は聖教会の御偉方で白髪の子供は漏れなく教会で育てなければと熱心に何度もソピエージュ家に打診したそうだ。
だが、どうだろうか。侯爵はついぞ首を縦に振らなかった。それどころか追い立てる始末だ。
それに怒ったクソ上司が俺たち異端審問をでばらせたわけだが……ちと拍子抜けだったか?護衛の腕もそこそこだったしな。
屋敷を隈無く探したがそれらしい奴は見当たらなかった。
目撃者は全員始末したし、当主は今頃遠方で別動隊に消されただろうよ。
奥方はナイフで突きかかってきたからつい反撃でヤっちまったが、ま。目撃者は全員消す話だったし構わねえか。
それより煙草が吸いてぇな。
ん?
男はクローゼットから此方を伺う瞳を見つけ、喜色を浮かべ、クローゼットを護るように横たわっていた母親を蹴飛ばすと扉を乱暴に開け放った。
「みぃつけた!」
「!?」
「かぁーっ!外れかよ」
しかしその瞳に怯えを滲ませる少女の髪色は金色。それを少し残念に思いながら男は血濡れの剣を掲げる。
「わりぃな嬢ちゃん。これも仕事なんでな」
そして躊躇なく振り下ろした。
……はずだった。
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月明かりが戻ってくる。
それなりに物量のある物が倒れた音がした。
彼が息をスッと吐くと、目の前の男ははじめきょとんとした顔をしていたが、次第に自分の身に何が起きたのか悟ると絶叫を上げた。
「お、おれの腕がぁ!!?」
あまりの痛みに斬られた肩口を必死に押さえて跪く男。
そう、まるで断罪を待ち望む囚人のように。
それをただただ眺める彼ではなく。
落ちた腕が付いた血濡れの剣を拾い上げると無造作に振り下ろした。
「ま、まっt-」
何か言っていた気がするが彼にそんな暇はない。
今の絶叫を聞き咎めた下手人どもがこの部屋へと向かってきているのだから。
「わかってるよクロエ」
幼さの残る声で彼はそう溢す。
「君の想いはちゃんと受け取ったからね」
慌ただしく扉が開け放たれ、獣は躍動する。
その想いを胸に秘めて。
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その日、ひとつの侯爵家が惨殺された。
当主は遠方の地で賊の襲撃に遭い死亡。奥方は屋敷にて謎の集団の手により葬られた。
屋敷に居たものは1人娘を除いて全員が亡くなってしまったが、幸いなことに当主の弟が居たので侯爵家の断絶には至らず、娘が成人するまでの間はその弟が代理人としてその地を治めることになったと言う。
それとは別に聖教会の枢機卿の1人が亡くなったが、農民たちの間ではどちらも雲の上の話でそんなには気に止められなかった。
ただ不思議なのは、屋敷を襲った謎の集団は全員が全員。死んでいたということくらいか。
国公立新聞社 第2046号より抜粋。
続き、書くかなぁ?