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跋 1

 

 夜。

 雪の鶴岡八幡宮。


「お覚悟召されいッ」


 ものかげから飛び出てきた僧衣の人物。

 見覚えのある蓬髪(ほうはつ)の人は、一目散にこちらをめがけて斬りかかってきた。

 すぐそばに立っていた文章(もんじょう)博士、源仲章(みなもとのなかあきら)が、「ひええ」と情けない声をあげ、慌てふためいているうちに、背中から袈裟に斬られてどうと倒れ伏す。

 松明に照らされた雪が散り飛んで、周囲の武士たちのあっけにとられた(おもて)に夢のような不思議さで降りかかる。


 ──つぎは、わたしだ。


 そう思った刹那だった。

 式列のずっと後方から、稲妻のように駆けくだってくるひとりの武人(もののふ)。すでにその手には白刃をきらめかせている。


「無礼者ッ」


 ひと声叫んで、暗殺者の青年と自分の間に割り込んできたかと思うと、男はまず一合だけ相手の刃を受け止めた。彼の剣圧に耐え切れず、賊はぐらりと足元を崩れさせる。彼はその機を逃さなかった。そのまま間髪いれず、ずさりと賊の胴を薙ぎ払った。

 ぐうっとくぐもった声がして、雪の上に重いものが落ちる音。真っ白な雪のおもてに、びしゃびしゃと黒いものが醜く()みこんでいく。その時にはすでに、幾人もの郎党たちが自分の体を盾にしながらこちらの体を抱きかかえて、その場を離れさせようとしていた。

 賊は一刀のもとに絶命したらしい。

 あとは、いたって静かなものだった。


 血刀を()げたまま(しかばね)の前に立ち尽くしている、礼装の男の背中。

 それが誰のものであるかを、自分が見誤るはずがない。


「……泰時っ」


 大声で叫んだところで、目が覚めた。

 飛び起きた自分の部屋のベッドの上で、しばらく胸を押さえて荒い息をつく。


(……久々に見たな、この夢)


 以前と同じく、体じゅうにびっしりと汗をかいていて気持ちが悪い。

 だがそれでも、前の時に感じたような虚無感はなかった。あたりまえだ。自分は彼に(まも)られて死なず、彼もまた命を喪うことはなかったのだから。


 それでもなんとなく虫の(しら)せのようなものを覚えて、律は無意識に枕元のスマホに手をのばした。時刻は深夜の二時と少し。

 と、奇しくも、アプリを開くのとほぼ同じタイミングで海斗からのメッセージが画面に表示された。


 《律くん》

 《お休みのところ、突然すみません》


 律はほとんど反射的に通話のボタンを押していた。


 《……律くん?》


 海斗の驚いた声が耳に届く。


 《もしかして……夢、見ました?》

 《律くんも?》


 電話の向こうで合点がいった様子の吐息が聞こえた。


 《前にも話した、あの夜の鶴岡八幡宮──》

 《自分も、同じです》

 《でも、最後だけはちがっていて》

 《自分もです》

 《あの、こちらの夢では海斗さ……泰時が、公卿を斬りふせて退けてくれたのですが》

 《……同じくです》


 海斗の声がくぐもって、少し遠くなった。いつものように、ちょっと言いにくいことを言うときに彼がよくやるように、口元を手で覆ったのかもしれない。


 《あの……律くん。今から、出てこられませんか》




 (ほのほ)のみ 虚空(こくう)に満てる 阿鼻地獄(あびぢごく) ゆくへもなしと いふもはかなし

 『金槐和歌集』615


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